Everday I have the blues


なぜか、最近の話に昔の思い出が絡み付いて、湧き上がったところを書いています。
date
98/01/15
パソコン購入
 パソコンを購入しました。これで何をしようか?っと思う前に、仕事で使ってるから、「なにも家までパソコンやん無くてもいいかな?」なんて、思うのが先でした。パソコンとの付き合いは長く、仕事には欠かせない、道具であります。
 表計算の一発性は画期的でした。電卓離れのはじまりでしたね。行や列は後からでも挿入できるし、繰り返し演算はやってくれるし、ショックが大きかったです。宛名書きもラベル一発ですし、「こりゃ参ったなぁ」なんて。計算や、書きこと等保守的内部的な業務は、どんどんパソコンにやらせちゃいました。生み出した時間で、今までの残業地獄も幾分緩和された感があります。まぁその程度の効率化でも追いつかない程、仕事は山ほどありましたし。
 最初に出会ったモノほど印象的なものはありませんね。当時、名簿管理を行うのに、良いソフトがなくて。まぁ,今もデータベースは難しいですけど、私にとっては。最初のマシンは、リコーのミスターマイツールでした。今も、ソフトは健在。特に、ウイン対応になってから,手が離せなくなりました。ハードディスク搭載モデルが10MBなんですけど、なぜか、フロッピーベースのタイプを選んでしまいました。抜き差しが強烈です。フロッピーは壊れるし。でも初心者の私には、うれしいソフトでした。ベーシックも知らなかったんですけど。簡易言語、統合型ソフトってやつなんです。コマンドだけでも、良いんですけど、それを構文使って、プログラムを組むんです。オートで、動いてくれます。自分で、メニューも作れますし。名簿管理なんですけど、種目集計や、もちろんソート、サーチ、DM発行など、すべてに対応できました。ただ、「容量と速さ」これだけが問題でしたね。入らない、遅い。もちろん、データの互換、汎用性なし。独自のものです。もう、15年ぐらい前ですね。日進月歩ですねー。インターネットなんて、なんのこと?の時代でした。まあ、そんなことで、面倒なことが、簡単になると、より「アナログ」性が、重視されてきますね。だからこそ、バンドなんて「みんな遊び」がいいんですよ。対人を嫌う人はだめでしょうね。特に普通の付き合いですけど。たまたま、楽器もって集まってくるだけですけど。野球やる人が、グローブ持ってくるのとおんなじ。
 CDで好きな音聞くのは、手軽で良いです。でも、音は悪い。というか、良くない。・・・好きじゃない。といったほうが良いかも。でも、井上陽水のベストをCDで聞いていたら、「この曲、こんな音入っていたっけ?」なんて、ビックリしてしまいました、まぁ、中学の頃、安いステレオで、聞いた以来だし、聞く自分の耳も当然変わっているはずだし。でも、その昔、レコードが擦り切れ、白くなるほど聞いたのに、いままた、覚えの無い音がが聞こえてくるなんて。新鮮で、何となく、回顧的で、過去と現在が複雑に入り混じった気分になりました。
 ギターを弾き始めたのが、井上陽水。その自閉的でありながら、表に出ようとする鼓動。ライブ「もどり道」の盤面は真っ白です。井上陽水は多分、「ギルド」だったでしょう。使用ギターは。すごく、良い音で。東へ西へのイントロにしびれまくっていました。このへんから、ギターに入りこんだわけです。アコギでなければ、覚えられなかったテクニックもいっぱい覚えました。後々エレキに持ち替えた時に多く活かされています。
99/12/01
仕事は生活

やっばりお金稼ぐのは正直つかれます。しかし、生活のリズムは、仕事依存であることも否定できない。けっこう、仕事ナリの満足いただいています。だから、仕事順調=生活好調。と言えます。
さて、「今日の仕事はつらかった」っと歌ったのは、岡林信康。実は、アコ出の私、良く知らないんですけど。慶大の学祭に、バンドいっぱい出るイベントがあって、大2の時、行きました。
その時「誰がカバやねんロックンロールショー」ってバンド出まして、70年のアメリカ、日本の音楽シーンを再現する一こまがありました。日本代表−岡林 アメリカ代表−その名も「ジミ・ヘン」 日本代表は「友よ・・・・」と演り、アメリカ代表はパープルヘイズのリフを「ズン・ズン・ジャーカ」「ズン・ズン・ジャーカ」と交互に演ってました。格好もチョイそれなりで。大笑いしました。ドラムはソウル透でした。(多分)

ほかの出演は、
上田正樹、RC、シナロケ(?)いろいろ出ました。RCは、もう小川銀次いませんでした。梅津はいました。片山氏も。(変態七拍子が聞きテぇー)
生活向上委員会というバンド(というか、プロジェクトみたいな集団)でしたね。ステージ上でサックスファック(?)してました。キヨ氏ローと。RCは、ロックに衣替えしました。依然は、フォークっていうのかな。やつぱり、この時代に足利に来てますね。「ガロ」と「陽水」と一緒に。私はなぜか行けなかったのです。

00/11/01

沖縄だよ

スロット好きです。ハイハイシオサイ、打ちました。ありゃ!、「ひたすら、ツッコム!、レバー、叩く」ハイビス・ぱかぱか!!ブラックライトで当たり。単純明快でした。うわさでは知っていましたが、30径の大きいコイン。やっぱ。でっけー。幅ったいです。連チャンしました。8回です。箱が即満タン。否応もなく、年甲斐も無く、カチカチにとんがらせました。箱3っになり、「ハマリ」かな?。とおもったとたん、180Gで、また、ブラックライト。ハイビスがパカパカ。単発でした。投資も3万超えてましたのでやめました。収支トントンでした。
久々に「連チャン」を味わいました。俗に言う「**モノ」でしょうか?。ふーん、沖縄はこうなんだ。
クレジット内で、ほとんど「ハイビス・ぱかぱか状態」でした。
沖縄といえば、「紫」。ディープパープルのコピーバンド。もちろん、オリジナルもありましたが。
足利でライブがありました。市民会館。私が高校3年の時でした。演りましたね!!。ハイウエイスターとスモ・コン。友人曰く、レイジーのフレーズもちょっと演ったといってました。ハイウエイスターは、2人ギターいるから、ハモッテました。もち!、スタジオテイクで。一人はレスポールだったような。私もレスポールだったので(もち、グレコです。38000円のサンバースト)。イントロは、ジョージ紫のカウント付きで。(1.2.3.4.とカウントとってからズンズンズンと始まりました)実はこの頃、私はキャロルしてまして、たまたま、うちのリードギターが、パープルに詳しかったので、この2曲はかうろじて知ってました。
お客は、激少。100人ぐらいだったような。全員、ステージかぶりつき。怪我する道理もなく、100人全員が、パープル擬似体験をしました。狂乱状態でしたね。みんな好き好きにメンバーに声かけてました。
声をかけるたびに、私、振り向くと、みんな友達でした。ハードロック余り詳しくなかったですけど、興奮しました。カッコ良かったです。ちなみに前座は、「安全バンド」でした。こっちも良かったよ。たまたまなんでしょうけど、あまり良いアーティストこないんですよ。足利は。でも、ほんとラッキーでした。
00/10/15 ?
燃えました
越谷・アビーロードでのライブでした。ブルースヘルピング、いいですね。アビーの掲示板にもカキコしたけど。ます゛このあたりには無いバンドなんです。ソウルフルなんです。ボーカルはエリカさんだったと思います。素敵ですね。
オレはというと、そんなわけで、気合が入りました。アルニコのピックアップはへしょげてますけど、こなし方によって、いろいろ変わるもんですね。やっぱ、ちょっとチープなのかな。巻き弦ぎろぎろです。プレーンの方は、気合で鳴らしました。そら〜、チョ−キングですから。主役は。
話はずれますが、
「引っ叩きピッキング」で、よく演りますけど、けっこう、はずします。弦切れますし。でもこれ、やらんと、面白くない!。自分も、他人も。でも、やってる人見たことありません。みれたら、嬉しいです。無難なプレイより、
ひとつのスリルが見せたいし、見たいです。
00/11/01
あのう、モノの聞き方ってあるよね
コスモスホール出演しました。リハで次のバンドの人、うちのベースに、いきなり「シールドの長さはどの程度?」などと、ぶしつけに聞いていました。だいたいだね!。人にモノ尋ねるのに、いきなりえらそうに聞くなって言うの。えらそうなので、よっぽど上手なんだと、聞く前に、技量を決めてかかりましたよ。
その甲斐あってか、やはり、案の定ショック(?)は大きく(ハハハ大当たり!)、出なおしてくるように申し伝えたくなりました。はっきり言って、「音」を人に聞かせる人として、許すマジ言動でした。うーん、その方、お年を召していた方だったので、ワケ−あんちゃんを前にして、照れていたのかな。(んな訳ないって)、アー、気分ワリ−!。でも、こういうやり取りも、ライブならではだよね!。
00/12/01  
師走です 高校生ライブが只今ヒート中
私の通うコグレレコード楽器館では、年末ライブが目白押し。
しかし、客が集まりますね。もっぱら、ライブがみんな集まることのきっかけになっているのでしょう。自分達もそうだったと思い起こします。しかしながら、もう少し上手だったかな。個性もあったような気がします。といっても、お手本になるプロのバンドは、「すべてが個性的」だったから。と、言っても、あまり似たようなバンドは、いくも無かったような。商業シェアも狭かったし、特にロックは。不良のしるしみたいなところ強くて。
ポピュラーではありませんでした。金が無い分、とっぷりひとつの事に深く深く入り込む、時間だけはある。
いくつモノ事を器用に過ごす現在のタイム感と違って、まったく、野暮ったい、ゆっくりとした時代だったのでしょう。今の高校生、何人の人がこれからもプレイヤーとして続けていくのか。
01/01/01
何も変らん
21世紀です。しかし、これで変るものは何も無し。日付は変るがね。紅白にラルク出てたけど、ボーカルの歌い方は、昔にくらべてかっこ良くなった。やっぱいつまでも、最初の歌い方だと無理があるか?。個人的には今のが好きです。新しいファンも増えてんじゃないの?。でも、昔の歌手って、歌いつづけて、歌唱、表現が変わっていく人結構居たような気がします。成長、熟練?。だから、ギターもやっぱ、変っていって当たり前だと思うよ。いじりぼっかす人もいるみたい。なんだ「前のがよかった」なんて、よく耳にするよ。あくまでも、世評でね。
01/01/05
年越花火
新世紀ということで、あちらこちらでカウントダウンやってましたね。大晦日。
足利でも花火あがりました。渡良瀬川で。冬の花火もいいですね。なんか、澄んでます。煙もすぐ飛ぶし、クリアーですね。もう一箇所、福猿橋のほうでも、奉納花火あがってました。
カウントダウンといえば、毎年、テレビでサザンオールスターズのライブやっていたような。
いつか、ラジオで、桑田がアコギ、クラプトン特集をやってました。(アンプラグドナンバーとは別で)
よかっですね。その年代の人たちですね。
クラプトンは一番ブルースに近くて遠い、ギタリストのような気がします。ブルースへの思い入れは、フロム・ザ・クレイドルで、いろいろいわれてます。戻るでもなく、試みるのでもなく、ごく自然に、成立しているアルバムかなと聴いていて感じます。
サンシャイン・ラブは、やはりウーマントーン。ギター始めた頃、良く演りました。
アドリブとるには、格好の曲でした。しかし、最後のインプロ場面は、壮絶。ライブアルバムで知りました。
たしか。クリームはプログレだという印象を、世評で聞いていました。
01/01/05
DDS 復活祈念
今年は、定番のDDS(市民プラザ主催のライブ)がありません。毎年、新旧入れ替わって、バンドが集まる
貴重な場です。確かに、事業費かかりますし、市の負担もばかにならない面があります。少しでも、盛り上げ、足を運んだ人に喜んでいただきたいの一心で、ブギハウスも励みにしていました。いろいろと、事情もあるようで、来年はぜひ再開を!。市民プラザの皆様には、頭がさがります。いろいろお手伝いもさせていただきたいと考えています。
01/01/21
大洗まで
職場の旅行で大洗まで行ってきました。そう、アンコウ鍋ですね。うーん、アンコウはどこに居たのか?。冬場の海水浴場ですから、いろいろ大変なんでしょうね。客集めが。大洗といえば、昔から、北関東周辺の海水浴場として、有名なんでしょ。小さいときから、連れていってもらった記憶があります。日帰りしかもちろんできなく、強行軍だったですね。オヤジも大変だったと思います。年に一回、お盆に。すごく楽しみにしていました。浜辺も動いて、覚えのある防波堤は、海の家より遠くなってしまいました。海辺も、新しい防波堤で、動いているようです。車の免許をとって、大洗に再び来た時、ロック野郎になっていました。といっても、免許とったの22歳なんです。遅かったんです。おふくろに、「免許ぐらいもってないでどうするの?」といわれて、しぶしぶ教習所へ通いました。まったく、足利で暮らすつもりが無かったんです。当分、東京にいるつもりで、就職活動もしなかったし。モロあまでしたね。大洗に、車で行って、海辺でビールのみながら、ホテル・カリホォルニアをずっと聞いていました。隣の人が飽きるくらい。エンドレスに吹き込んで。そのせいか、ラストのギターソロは、夢にみて、口ずさめる程、覚えてしまいました。でも、このころは、あまりギターは上手、思うようにひけませんでした。まだまだでしたね。イーグルスは、好きなバンドです。ランディー・マイズナーなんて、結構、幼女監禁(?)とかでアブネ−奴らしいですが。(間違いかもしれません、違ってたらスミマセン)
個人的には、I can’t tell you why?が大好きです。酒飲むときは最高。(まあ、酒飲むときは、特段、選曲に気をつかいます)。やっぱ、雰囲気だよね。ホテル・カリホォルニアのギター、ジョー・ウオルッシュのテレキャス(多分)は、ピッキングハーモニクスが効いていて、しびれました。このときのテレキャスの主張は、あまり他に例が無く、強烈でした。テレキャスは、ロイ・ブキャナン(これも強烈)ぐらいでしたかね?。
そのワリには、テレキャスだけ、持ってないんですよ。一度弾いてみて、「オレにはこりゃ無理だ!」と思っちゃって。それ以来。トレブリ−なんだよね。キャラはっきりしてるし。でも、良いギターだといまでも、思ってます。もちろん、人が弾いた音を聞くのがね。
01/01/31
いろいろと動きがでてきますね。
この時期、そろそろ年度末。いろいろ動きがでてきますね。やはり、卒業、異動等、4月の影がちらりほらりと。会社には、異動が付き物。メンバーチェンジが余儀なくされますね。不安の原因かもしれません。新天地なのか?。いずれにしても、落ち着かない時期になりますね。変化になれていないと、変わる事自体が、恐怖に近いものになってくるようです。安定、定着が良いのか。変わることに、躍動感を感じていくのか。人それぞれの捉え方は様々なようです。
卒業、別れ、なんていうのも、実は4月の手前、3月にあるようです。「蛍の光」ですか。「仰げば・・・・」という時期なんでしょうね。なんか、ごく日本的な感じがしますね。
日本的といえば、その・大学生の頃、スコ−ピオンズのライブを聞きました。「荒城の月」を、聞きました。一緒にバンドを組んでいた、ドラマーからもらったテープでした。名前は知りませんが、とてもハイトーンなボーカル。すごく上手だったですね。「ジャパニーズ・フォークソング!」とか、言って「一節」。いまでも、よく聞いています。最初、独唱で。次に、バック入って。ギターソロまで入ったりして。このバンド、メロがきれい。ギターは、ウィリッヒ・ロートだと思った。結構、ジミヘン好きみたい。爆弾降下奏法やつてますね。ツインのハモリもきれいだし。ルドルフ・シェンカーだった?。どの曲聴いても、覚えやすい。久々に車の中で聞いたら、
当時のことが、脳裏をよみがえりました。「あの頃はよかったなぁ・・」なんてね。しかし!、ギターは当然、今のほうが上達してます。当たり前か?。
01/05/19
お別れ会
 20代の頃、共にバンド活動を行っていたメンバーが、亡くなりました。37年間の短き生涯でした。
 一緒に活動したのは5年間。私にとって、彼にとって、そしてブギハウスというバンドにとって、とても意義が深い時期でもありました。正直、年上の私が、助けられたり、慰められたり、なんてこともあり、忘れられない5年間でした。
 人生山あり、谷あり。なんでしょうか。渡りきれない谷だったのでしょうか。登りきれない山だったのでしょうか。残るのは軌跡だけでしょうか。少なくとも私の意識の中に、彼はまだ生きています。彼のお別れ会に久しぶりに、彼の友達とそして当時のブギハウスメンバーが集まりました。といっても、ブギハウスは私とボーカルとドラムの3人だけでお別れ会へ出席しました。彼は、ブギハウスを辞めても、地元で若いメンバーを集めて、バンドをやっていたようで、そのバンドメンバーも出席していました。
 その中の思い出話で、その若いメンバーが、「そんな弾き方じゃ、良い音出ないよ」ってよく、言われたんですよねって入ってました。これって、当時私が彼に言っていたことなんです。そのまま自分のバンドに引き継がれているのを知りました。「がんばっていたんだな」と改めて想い直しました。彼がこの世から去ったことについては、知らないことが多く、触れることもできません。
 いずれ「そちら」へ行くことは間違い無いことですが、ちょっと「早い」と、まだ、この世でセッションしなければならなかったのではと痛く感じています。忘れるとか,思い出すとか以前の出来事であり、この別れはいずれ「そこ」へ行くまでの「課題」としていっしょにこれから過ごすことでしょう。まだまだ、私の使命はこれからと認識しています。
 お別れのことば、「さよなら」は言えませんでした。やはり。
01/06/09
結婚式パーティー出席
大学の軽音樂研究会の時の、同級生が結婚するというので、結婚パーティーに出席しました。予めバンドを入れて、なつかしのあの曲をやろうというわけで、東京方面の連中は「リハ」を幾度か重ね(別名リハビリ)この日を迎えようとしたわけです。不明になっているやつもいるらしいが、ホント20年ぶりの奴もいて、感慨ひとしお。このようなタイミングでもなければ、なかなか集まれないなどと、口々に。(そうすると、白いネクタイは使うことが無くなり、黒いネクタイ? やば!)
01/06/15
新ベーシストを迎えて
新ベーシストを迎えて、ブギハウスも新局面を迎えます。以前、ベースを習っていた彼で、彼にはぜひ、価値ある音楽活動ができるフィールドとして、ブギハウスの活動を楽しんでいただきたいと思っています。元来、ブキハウスは、各メンバーの腕試し的フィールドして、また、それを含んだ上でのライブアクト集団として活動してきました。また、これからもそのように活動していくつもりです。しかし、人材の少ない足利で、どうやら、こうやら、メンバーを探し、活動を続けていくのは難しいことです。また、人材不足だけでなく、音楽そのものに飽きないこと、続けることの意義を見出すことに実は、難しさがあるのだと感じています。情熱を失わない。音楽が好きで、楽器演奏が好き。素朴な動機を具現化するだけなのに、障害は多いものです。出来る限り、可能性、間口は広げて、柔軟に取り組む必要があります。目的のために。
01/07/01
夏だぜ
暑い夏です。強烈な暑さをつれて、夏が来ました。梅雨がなかった?。夏の歌は何だろう。オレの中には、いかにも夏らしいつて曲が見当たらない。単に「アツイ」といえば、オレの中身、特にプレイは、いつでも「アツイ」のかもしれない。まあ、メンタルな部分ですけど。でも、良く考えてみると、いくつか思い出す曲、バンドがある。このバンドは「いかにも」である。「カラパナ」。
サーフ・ロックっていたかな?。メロディーが独特。ハワイのバンドです。中でも「ブラック・サンド」。インストなんだけど、かっこいいギターです。実は、大学時代の部の同期、前述の結婚した彼は、この曲を演ってました。ドラマチックな演奏でした。当時、フュージョン全盛。高中、カシオペア、プリズム、ラリーカールトン、リー・リトナー等、オレも出来ないなりに真似はしてみました。やっぱ、この時期、時間にまかせてギターを弾きまくつていたことが、今のオレに大きく
影響しているのは事実です。しかし、「カラパナ」のボーカルは、素敵な声で、2枚組のライブを良く聞いていましたが、気持ち良かったですね。いまも。
01/07/15
夏休み
夏休みが間近。しかし、仕事は、交代で休む。8日間とれます。これ消化がとりあえず難しい。夏だけの仕事が、短期集中で入ってきます。待ったがききません。夏休みといったら、吉田拓郎だね。もとはオレもフォークシンガーなので、とてもなじみの深い曲。歌詞も好きだし。ただ、いづれのニュー・ミュージックの中では、一番知らない人。レコードも持っていないし。それでも夏休みは知っているわけです。落陽なんて曲もあつたようです。「あのじいさんときたら・・・・」こういう歌詞は大変好き。「あー春だったね」なんか、セイヤングでよく聞いた覚えがある。それだけで、覚えてしまいました。これ言うと恥ずかしいけど「青春」の思い出が沸き立ってきます。
後は、「猫」も好きだった。地下鉄に乗って・・・・、これがよかった。つまんねー歌詞だけど、
そう言う時代だった。書き出すとキリがないのでこの辺で。
01/08/01
わたらせサマー・フェスタ
花火大会の前夜祭、サマーフェスタに行ってきました。「NORA」が出るというので、楽しみにしていましたが、なぜかオレは、2曲目で帰りました。特につまらなかつたわけではないと思っているのだが、やはり「サルサ」期待していたわけでしょうね。しかし、定着しましたね。このイベント。一番最初はなんと「シーラ・E」でした。これは、最高。雨の中、パーカッションのチューニング狂いも物とせず、グラマラス・ライフもニューバージョンで聞けました。彼女は、ドラマーですね。プリンスでは、パーカショニストってことだと思ってましたが、明らかにドラマー。素晴らしかったです。本場モノです。オヤジがサンタナのパーカッションやつていた。血は争えない。
しかし、そのオープニングアクトはもつとすごい。渋谷オーケストラ。これなんか、何でこの人たち、ここにいるの?。って演奏ばかり。絶句モノでした。数年後、渡辺貞夫も来ましたね。この時、仕事の関係で、ステージ顔出したら、オーディエンスは「無料」のステージなので、「有料」のステージと力の入リ方が違う。なんて、スタッフが言っていたので、「世界のナベサダがそういう気持ちで演奏するわけ?」って、噛み付いた覚えがあります。しかし、実際聞いたら、そんなことなかった。もちろん、特にノッテイタ訳ではないけど。きちんとホットにしてくれました。
まあ、「特別のノリ」は出ないよってことか。これくらいが良く覚えてます。あと、ジョージ川口。セガレといっしょに。元気ですね。ドラムバトル。客喜ぶ。打楽器的興奮。迫力万点でした。
01/08/04
足利花火大会
20000発、北関東最大。(なんか小山が21000発のようですが)特に、発数で競り合うこともないようで。小山の挑発には乗らない?。なんてね。でも、不景気も影を落とす。ついでに必ず、夕立が来る。スゴイ人出だね。相変わらず。実家が渡良瀬川のすぐ近く。実は、現会場の前は、実家の頭の上で花火が鳴っていた。渡良瀬橋と中橋の間がメイン会場だった。川幅や保安距離の関係で、少しづつ南へ移動していきました。昔、よくバンドが、この時とばかり路上ライブをやっていて、
その中に知り合いの顔もチラホラ。ついつい、気になって覗いてみて、「ロックンロールやってくれよ!」とか、酔っ払って「オレにも歌わせろ!」とか、息巻いていたことがありました。そんなで、「じゃあ、歌ってよ」とか言われて、「3コードで適当に」とか言って、でたらめの英語で、唸っていた覚えがあります。もう22年も前のことです。その頃の連中、誰ももうバンドやってないみたい。当時は、フュージョン真っ盛り。オレも、高中やカシオペアとかスクエア−なんて、コピってました。(でも、ロケンローはもちろん好きでした)後にも先にも、インスト中心はこの時だけで、今はボーカルなしには生きて行けません。なんてね。でも、ブルースのインストもいいよな!。特にフレディー・キング。フィンガー・ピックでグニュン・グニュンって。(一応、スクイ−ズのつもり)。一度だけ聞いた、クラプトンとのセッションライブ。忘れられません。また、聞きたい。
01/08/13
伊勢崎
ケニーズ・カフェ
初ライブ!
新ベース加入後、初めてのライブ。そして初めてのライブハウス。いやー、足利から50分で、こんな素敵な店があるとは。マスターもママも最高!。すごく空気がいい。居易いし、演りやすい。
燃えた1時間でした。特にレパも変わってませんけど、やはり、箱と場所が変われば、自然と新鮮に感じてしまいます。落ち着いた中にも、ホットな感性が確かに感じられるお店です。オートレース場の西隣、「あらら、こんなところに・・・」地図でたどれば、着きました。閑静なたたずまい。しかしながら、今日はナイターオートです。オートレースの音が「すげェー」。こりゃ、負けていられない。(ギャンブルはパチスロだけです。私は)マスターと初対面。気軽お話できる方です。ついつい、いかついジャズ箱を思い浮かべちゃったのですが、これはビックリ!。一気に和みました。何時もなら、ビールでウォーム・アップですが、なんせ、車で来たので今日はノンアル。
そのためか(?)指もマジメ!に緊張。フレーズも硬かったようで。カチカチでした。全体的には、「うーん!、やっぱライブだぜ」の一言。突っ込みもしたし、はずしもしたし、けど、再起動の一夜は安堵感と嬉しさでいっぱいでした。
01/08/16
お盆はセッション!
ケニーズの恒例、ブルースセッション。参加しました。緊張しまくり!。マスターが、メンバーをセレクトしてくれるんで、ありがたいです。実際、セッションに関しては、セッションマスター的な方がいないと、上手く流れませんね。うちも、セッションベースで活動しているバンドなんで、その辺は、一応の理解をしているつもりでも、いざ、振られると、「おっ!オレの出番?」テナ感じで、緊張しますわ。バンド内のセッションは、気心知れた仲間で演るわけで、初対面の人と演るのは、期待と不安で胸が鳴りました。初心ですね。これが、大切です。たまんなく。
 初心っていうのは、まずは。度胸ですか?。テンション高いですね。酒要らずって。ハイテンで。やっぱ、高校のときやった初ライブは、ハイテンでした。キャロルでしたけど。コードもろくに弾けませんでしたし、歌なんてもんじゃなかったよ。でも、喉はカラカラ。終わった後は、なんも覚えてない。真っ白なまま朝まで浸ってました。余韻に。忘れちゃいけないんでしょうね。こんなこと。
01/08/21
台風が来るぜ
01/08/26
結婚式セッションだよ
世話なってる楽器館の友達が結婚式をあげました。そして、ナニは無くともバンド。それも、新郎の義理のお姉さんと前ブギハウスベーシストとトリオで、今後まず再結成しないセッションを行いました。グレイトな時間でした。じつは、前もって練習もしました。前日に。曲は「雨を見たかい」。CCRです。良い曲です。名曲です。ジョンホガティーのギターは、ザ・アメリカンロックギターです。トラベリング・マンのソロもかっこいいです。しかし、最初のソロと2度目のソロはなぜあんなに、バランスが違うのでしょうか。だから、2度目のソロがかっこいいともいえますが。録バランスは昔は、なんか面白かったみたいです。ほんと、あのサウンドは、今の録レベルでは、無理(?)かも。っていうか、あの時代だから、そうなったのかも。ロックの創世記のヒトコマなのかも。さあ、もう一曲は、例によって適当なセッション。酒のおかげもあって(?)まつたく、指が動かない。練習したにもかかわらず。まして、苦労していたのは、ベーシスト。6年のブランクは、笑いのネタでした。しかし、そこは、彼のこと。その、立ちまわり、存在感は、健在。
ホッとするやら。ホットになるやら。そして、笑いは絶えませんでした。他のバンドも、ガンガン!。いつまでも、音楽を側に置いて欲しい。スキなことは、身を助けるって。結婚式にでるたびに、ホントそう思うよ。
01/09/10
おー、あのメンバーが再起動
その昔、足利で気合が入っていたバンドが再結成。ギターもドラムもみんな、バリバリ。いまの、高校生や若手にはぜひ、見てもらいたい。しかし、演るほうは、けっこうそんなのお構いなしかも。でも、それかもね。そんなことで、バンドやっても、矛先違うみたい、要は、気持ち良くなりたい。それも思いっきり。ただでさえ、周りを見ずにはいられない、時代、年齢。「この程度ことはいつも、自由に」とか、思ってるかもしれない、まあ、少なくとも、オレは気持ち良くなりたいので、先行だね。しかし、足利のバンドはおもしろかった。過去形。



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