・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2000年10月のページ

2000年
(平成12年)
10月20日(金)
アパート

 一昨日だったか、またまた17歳による殺人事件が起こったが、今朝の
ニュースでもっと驚いたのがアパートで起きた殺人事件。
 階上の男性が階下の女性を殺してしまったものだが、その理由がナント
『掃除機の音がうるさかったから』
というもの。もうこれは本当に
『?????・・・』
でこんなことで殺人の動機になってしまうものかと、恐ろしくて仕方なくなって
しまった。お互いの話し合いでどうにかならなかったものか。

 私も大学時代は4年間アパート暮らしをさせてもらった。ずっと田舎の一軒
家に住んでいた私にとって、
『壁の向こうは他人』
というのは始めは実に落ち着かないものだった。
 特に思い出深いのは1年生の時で、群馬県の前橋に住んでいたのだが、
家賃16000円也の安いアパートだった。住人も学生だけでなくて社会人も
いた。その名は『荒牧荘』。
 そんで隣人がすごくて普段は物静かなおとなしい人(群馬大学医学部の
学生)なのだが、どこぞの宗教団体に入っていて、それも夜中に大勢で集ま
ってお経をあげるのである。そんな頻繁では無かったのだが、結構目が覚
めてしまったことが多かった。
 階下の人もすごくて、社会人なのだが年齢は50歳近い何だか暴れん坊な
感じの人だった。そんでこれも夜中とか明け方とかに、
『出て来い!!コノヤロー!!!』
とかいう怒鳴り声がして何回も起きてしまった。どうも借金取りに追われてい
たらしい。そういや大家さんが頻繁にやってきていたのだが、どうも家賃も溜
めてしまっていたみたいだ。昼間も結構部屋にいたから、定職には就いてい
なかったのだろう。
 そしたらある日アパートの駐車場に何とパトカーが!
『俺ワルイ事してねえよナア・・・』
と自問自答していたら、その階下の住人が連れて行かれてしまった。
 個性豊かな人が多かったナア・・・。
 前橋に住んでいたのは一般教養の1年間だけだったが、結構この1年間が
思い出深い。
 しかしこの『荒牧荘』はもう無い。群馬大学教養学部キャンパス近辺はすっ
かり開発されて変わってしまった。何せ正門すぐ近くにゴルフの打ちっ放し場
が出来たのには驚いた。
 群馬大学生が打ちっ放しやるのかな?
 今の学生ってそんなにリッチ?

 何はともあれお互いに思いやりを持って、円満に過ごしたいものである。
 
2000年
(平成12年)
10月19日(木)
iモード事件A

 今朝はすごく寒かった。というか昨日既に北海道では雪が降っていた。秋
を通り越してもう冬?でも昼間は結構暑かったんだナア。一体どうなってるん
だろ、この季節は?
 どうなってるといえばアメリカの株価が1万ドルを割る急落をしたのに伴い、
日本の株価もまたまた下がってしまった。景気はどうなるんじゃ!と文句を
言おうにも、この国の国会は今だにまともな運営がなされていない。この調
子じゃ日本の企業がどんなにがんばっても 『日本の』 がついてしまうことで
格付けが落ちてしまうような気がしてならない。
 全く景気が良くなるきざしも感じられないのは私だけだろうか。
 
 ところでiモードの続き。
 まず開発には『小型・軽量』との目標が置かれたが、仕様の決定において
重大な二者択一の選択を迫られる。パケット通信の採用は『DoPa(ドゥーパ
)』の実績から確信があったようだが、インターネットにアクセスする方法として
@WAP(ワップ)方式とAHTML/HTPP(実際にはC−HTML)の2つが
挙げられ、世界標準の@、既存のインターネットとの互換でAという形で大い
に悩んだという。
 結果としてAのC−HTMLを採用したが、これがiモードのコンテンツを提供
し易くする結果を生み、今日の普及につながったと思う。

 実はこのC−HTMLは私も良く知らなかったのだが、インターネットのホー
ムページと共用出来るというのは実に便利なものだ。というのは栃木県ボート
協会のホームページで使用しているティーカップ社の掲示板がいつの間にか
iモード&J−スカイ対応になっていた。・・・確か今年の6月だったか。
 ボートのHPにアクセスしてくれるのは大学生が圧倒的に多く、自分でパソ
コンを持っている人間は少ない。大学のパソコンセンターでアクセスしている
人間が大半である。ところが携帯からも見られるようになったことで、この掲
示板の有用性が非常に高まった。
 かくいう私も出先からはiモードで投稿するようになった。
 私もここまで見越してティーカップ社の掲示板を採用した訳では無かったが、
(結構レンタル掲示板の会社も悩んだ)まさしくこれは結果オーライである。
 最近は真っ先に最新情報は掲示板に載せるようにしている。

2000年
(平成12年)
10月18日(水)
iモード事件@

 昨日『iモード事件(松永真理著、角川書店、税別1300円)』を読み終え
た。松永真理さん:余りにも有名になってしまった感があるが、iモード立ち
上げのためにリクルートを退社してやってきたワーキングウーマンである。
 事の顛末を挙げていくとキリが無いが、私がまず印象に残ったのは彼女を
サポートしたスタッフである。その中でも最も強力な片腕となった夏野氏に
興味を持った。
 夏野・・・珍しい名字、アレ?もしかして・・・。やはりそうであった。潟nイ
パーネットで板倉雄一郎社長を補佐して副社長として活躍した夏野氏であ
った。潟nイパーネットとは1996年にインターネットと広告を結びつけた
「ハイパーシステム」を開発したベンチャー企業。「ニュービジネス大賞」を受
賞、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏とも直接面会を果たすが、その後倒産し
てしまう。この辺の顛末は
『社長失格・・・ぼくの会社がつぶれた理由・・・(板倉雄一郎著、日経BP
   出版、税別1600円)』
に詳しい。
 実際のiモードの稼動にあたっては、松永氏が苦手な理系の知識を夏野
氏が補い、実に見事に弱点を補っていったことが見てとれる。また何より
松永氏が自らを『機械音痴』と自覚して、遠慮なく周囲に質問をぶつけてい
ったのが、結果としてiモードの成功につながったことが非常に良く分かる。
 私が読んでいても、自分がやはりマッキンゼー側の理系的な考えに立っ
ているのがよく分かったからだ。
 何も知らない方が時として斬新な発想が出来るというのは事実だと思う。

2000年
(平成12年)
10月17日(火)
道路拡幅工事

 我が家の前の道路が今まで1車線だったのが2車線に拡幅されることにな
った。そんで拡幅される1車線分は、そっくり我が家の土地にかかる。来月か
ら町の工事が始まるので、それまでにいろいろと移動しなければならない。
現在植木の移動をしているが、自家用車などもどけておかなければならない
ので、実に面倒である。
 我が家の前の道路は以前はダンプカーなどもガンガン通っていて、実に事
故が多かった。緩やかなカーブで見通しが悪く、それでいてスピードを出して
いるのでぶつかってしまう。よく車とオートバイでぶつかりっこしていた。
 栃の葉国体の時に開通した通称『国体道路』のおかげで、ダンプカーは通
らなくなった。・・・のだが隣の佐野市石塚町にある佐野日本大学高校の通
学路であり、通学時間帯には高校生で道いっぱいになってしまう。
 あと見通しの悪さもあってか、東西両方向から車が突入してしまってニラメ
ッコ状態になることしばしば。バックしたはいいがナゼか逆方向にハンドル切
ってしまって、向こうの田んぼに車を落としてしまう人(女性が多い)が年に
数人いた。
 2車線化でかなり通りやすくなるのは事実で、特に我が家にはトラックの出
入りが多いから助かる。ただ工事期間中は通行止めになってしまうんだろう
ナア・・・。

2000年
(平成12年)
10月16日(月)
あるお母さんからのメール

 8月の初旬だったか、栃木県ボート協会HPの掲示板がインターハイ(全国
高校総体)の話題で盛り上がっている頃、1通のEメールが届いた。Hさんと
いう女性の方からのメールで、息子さんがボートをやっていてインターハイに
出場される旨書いてあった。
 まあネット上の世界で余り相手のことを立ち入って詮索するのも何だから、
『ボートはいいですよネエ』
というような内容で返信を出しておいたような気がしている。
 8月も半ばを過ぎていたかと思ったが、
『うちの息子は全国大会で決勝に残りました。今国体の東海地区予選に行
ってます。でも予選を勝ち抜くのは難しそうです』
との内容を見てビックリ!決勝に残ったとはスゴイ!
 その後しばらくメールが無かったので、国体予選の結果はどうだったかなと
思って静岡県ボート協会HPで見たら、やはり残念ながら国体出場はならか
った。
『本当に残念でした。
 でも息子さんが今後もボートを続けてくれたら嬉しいです。』
とかいう内容でメールをお出しした気がする。
 そうしたら昨晩、大変嬉しいメールが届いていた。
『就職が決まりました。』
という内容で、社会人になってからもボートを続けてくれるらしい。これは本当
に嬉しいことだ。

 人によって意見は様々だろうが、私は
『何が何でもイチバン、勝たなくては意味が無い』
という考えは持っていない。まあ状況によってはそういう考えにならなければ
ならない場合もあるだろうが、基本的には
『楽しめる範囲で、かかわれる範囲でスポーツにかかわっていければいいの
 ではないだろうか?』
と考えている。
 事実私は高校でボートを止めるつもりでいたが、何が何だか分からぬうちに
栃木のボートに関わり続けて現在事務局になってしまった。私は膝の病気も
あったりで選手としては三流以下であったが、ボートを通して様々な人に出会
いそして様々な体験をすることで、大きく視野が広がったと思っている。
 もちろんいいことばかりではなくて、というより頭を痛めることの方が多いが、
そのひとつひとつが勉強になっていることは確かである。
 まあそれもこれも栃木で自営業に就いたから出来ることとも言えるのだが、
事務局になったら更に多くの他県の方とも交流が持てるようになり、またHP
開設のおかげで更に交流の輪が大きく広がっている。
 実際私の高校の時の先輩は、今勤務先のアメリカから栃木県ボート協会の
HPを見てくださっている。留学に行った大学生達も、留学先から見てくれてい
るようだ。
 本当にHPの立ち上げは昨年いろいろと苦労したが、現在立ち上げて良かっ
たと思っている。

 皆様のご声援のおかげで『栃木県ボート協会のホームページ』が昨年の7月
に、『カネコ木工のホームページ』が今年の10月にYahoo!Japan!に登録
なった。ナゼ登録出来るまでの内容に達したかというと、
『見てくれてる人がいる』
という事実をアクセスカウンターの数字が物語ってくれたからだ。そして掲示
板やメールで励ましのメッセージを多数いただいたからだ。
『お客様あってのHP』
で、これは商売の世界と全く同じである。

2000年
(平成12年)
10月15日(日)
日刊スポーツ

 とやま国体の秋季大会が始まったが、そういえば1か月前はボートの監督
で富山に行ってたんだなあと思い出した。間にオリンピックを挟んだから、随
分昔の事に思える。
 それにしてもボートシーズンが終えて随分と暇になった。ボートが終えると
火事への出動が多くなってまたまた忙しくなるのだが、今年は当分団の出
動は非常に少ない。少ないと思ったら、当分団の管轄地域は今年無火災だ
という。このまま火事が無ければ本点検で表彰される予定だ。
 とは言っても11月は相当消防の行事でつぶれるから、気持ちが暇なのも
今のうちだ。

 先日日刊スポーツ新聞社から1通のハガキが届いた。
『北関東支局・宇都宮通信局閉局のお知らせ』
で、10月30日(31日付)をもって北関東版の紙面製作を終了するという。
誠に残念極まりない事だ。
 日刊スポーツ紙は、バルセロナオリンピックに挑戦する蔵田君の記事をカ
ラーで掲載してくれた。この事が縁で、アトランタオリンピックへ蔵田君が出
場する時は私もいろいろお世話になった。
 結構ボートに対して扱いも良くしてくれただけに、本当に残念だ。


2000年
(平成12年)
10月14日(土)
久々の宇都宮

 年1回は栃木県ボート協会の新年会で宇都宮市には行っているのだが、
画家の浜田泰介さんの個展が開かれているので東武百貨店に行ってきた。
 まあ浜田さんの絵は購入出来る訳で無し、で見るだけだったが、富士山
の絵が得意なのかな?他に東照宮の絵なんかもあった。
 どちらかというと書店の方が目的だった。東武百貨店の中の書店は栃木
県内では最大級と思うが、私の好きな実用書が多い。ナンダカンダと1万
円を超える金額を購入してしまった。これで今月は持ちそうだ。
 カネゴンにとっては『読書の秋』である。がんばって知識を詰め込まねばな
らないのだ。・・・元々がアホだから。
 そして何げにCDショップまわってみると、ナント私の好きな輸入洋楽がた
くさんある。しかも代表的な製品は試聴出来る。ウムム、なかなかの店・・・
と思ったら、『バージンレコード』おお!聴いたことある名前だ。確か本店は
東京のどこかだった。
 長岡先生の推薦CDはMYUタカサキさんから購入すれば良い。・・・そう
いやしばらく高崎さんに会ってないな。
 じっくりいろいろ聴き回って、CD3枚、DVD(ハムナプトラ)1枚購入。こ
こでも1万円購入してしまった。KD−S10000で聴くのが楽しみだ。

 結論としては近くの店でこちょこちょ買ってるよりは、月に1回でもこの東
武宇都宮で買ってしまった方が早いと結論。やっぱCD試聴出来て輸入洋
楽あるのはウレシイ。東京まで出て行かないで済む。電車賃は片道720
円也。

2000年
(平成12年)
10月13日(金)
続・iモード

 今日は1日工場に入っていた。現在とりかかっているマンションの洗面台
が27台でありながら間口寸法が11種類もあり、細かいミスが重なってし
まって、てんやわんや(死語?)だった。
 工場から戻ってすぐに消防団の定例。分かった事は11月が消防の行事
と栃木県体育協会の行事が交互になってしまって、大パニックになること。
 マイッタ!

 ところで今後のインターネットへの接続は、パソコンよりも携帯電話が主
流になると見られている。現在iモードは加入台数が1000台に達している
そうだが、来年には2000台になると言われている。
 そしてアメリカの某銀行は、直に1億台に達する携帯電話を端末にして顧
客に取り込もうと計画しているのだ。今だに不良債権処理に苦しむ日本の
銀行とはもう全然発想のレベルが違う。
 もうひとつはインターネットへの接続で、現在主流のISDNの次にくるもの
が具体的に見えてこない。通話が目的の現在の電話回線では現行の64K
から大幅に通信速度を増加させるのは難しいようだし、地中埋設の光ファイ
バーケーブルもコストの問題からどの程度普及するか疑問。
 それに対して携帯電話はNTTのW−CDMA、auのCDMA2000と、既
に次代(といってもスグ)の技術がアナウンスされている。これによると動画
も簡単に配信可能になるという。もう携帯電話は完全な『情報ツール』である。
 確か近々(来月かな?)ソニーからau機種で、メモリースティックで音楽が
聴ける携帯電話(折りたたみ型)が登場するはずである。パナソニックの音
楽が聴けるデジカメはあんまり関心を抱かなかったが、このソニーの携帯電
話には非常に興味を寄せている。
 というのは現在の通話用のIDOがそろそろヤバイからだ。結構私は仕事
中なんかに思いっきり携帯電話をコンクリート上に落下させてしまうので、
使用する携帯電話の寿命が短いのだ。
 今までだと大体半年といったところ。
 しかし携帯電話にメモリースティックを組み込んでしまうとはさすがソニー!
ちなみに先日お亡くなりになられた盛田昭夫・元会長の遺産は何と393億
円だったという。相続税もすごくてナント130億円!

2000年
(平成12年)
10月12日(木)
iモード

 元々私はiモード否定派だった。ずっとIDO(現在auか)の携帯電話を使用
してきたせいもあるが、
『あんな小さい画面で何が出来るん?
 パソコンでインターネット出来れば必要ないじゃん!』
と思っていた。
 この考えを変えてくれたのが2人の所有者だった。S先輩がNTTのiモード、
O後輩がJフォンのJ−スカイを使用していたのであるが、
『メールが確実に本人の手元に届く』
というのはものすごく快適で安心だというのに気付いた。「安心」というのパソ
コンのメールだと相手によってチェックの頻度が全く違うから、至急の用件な
どには使用出来ないことがあるからだ。全くチェックしない人もいる位で・・・。
 もうひとつは私の場合Eメールが仕事にも使用する関係で、携帯電話にメー
ル転送させているのだが、それまでのIDOの「インターネットアシスト機能」だ
と始めの数行しか分からない。ノートパソコン買うのも高過ぎるし、何よりも
普段持ち歩けない。
 それで現在使用しているIDOの「EZアクセス」を検討したのだが、これは
NTTのiモードとは全く違う方式であることが分かった。リアルタイムに転送し
てくれるのは始めの数行だけで、しかもかなり遅れる場合がある。この時に
ちょうど「特選街」という雑誌で特集やってくれて本当に助かった。この雑誌は
重宝している。
 いろいろ検討した結果、NTTのiモードに決定、N502iを購入した。
 使用を始めたら手放せなくなっている。メールが250文字という限界を早く
増やして欲しいと思うが、それでも転送されたメールである程度の内容は分
かる。仕事のメールなんか250文字を超えることは少ないからだ。長くなる
メールはやはりスピーカー関係の質問だろうか。

 もうひとつのメリットは夜眠れるようになった事。今までのIDOではメール転
送の際も着信音が鳴っていた。だから夜中のメール着信(こちらの方が多い)
でも鳴ってしまう。
『やはりカネゴンはアホだなあ、電源切っておけばいいじゃん!』
と思われた方多いかもしれないが(事実私はアホなのだが)、私は消防団に
入っている関係で、電源を切ってしまうと夜中の火災連絡が取れなくなってし
まうのだ。現在私の入っている分団ではなるべく携帯電話で火災連絡を回し
ている。確実に本人に連絡が届くのはもちろんだが、特に夜中の火事で家庭
への電話をしてしまうと、ご家族全員を起こしてしまうからだ。
 通話とメールの電話を完全に分けたことで、夜は安心してiモードの携帯の
電源を切って眠ることが出来るようになった。
 現在朝起きてまずやる事はiモードの携帯の電源を入れて、『問い合わせ』
機能(これもボートの後輩に教わった)を使ってメールのチェックをする事であ
る。

2000年
(平成12年)
10月11日(水)
カネゴンの苦手

 Profileにも書いたが私は人の顔と名前を覚えるのが大の苦手である。
 栃木県ボート協会のホームページがヤフーに登録されているので、それ
を見てメールをくれる関係者がいるのは嬉しい事だ。
 ただ困ったことがあるのは、佐野高校ボート部のOBならまず名前を見て
顔が浮かぶのだが、佐野女子高校ボート部のOGになるとチト怪しい。実
はメールもらってるのだが顔が思い浮かばずに返信を出している子がひとり
だけいる。というか正確に言うと候補の顔が3人くらい浮かぶのだが、誰だ
か特定出来ない。先日顧問に先生に聞いたのだけれどもワカラナカッタ。
 大体がひと学年で10人近くもいると、よほど個性的な人間でないとすぐに
は覚えられないのだ。
 
 先日も8月のウォーターフェアーの時にある佐野女子高校のOGがやって
きた。その学年は最後は2人になってしまったので、いつも2人いっしょにい
たのだが、その時はたまたま1人でやってきた。
『えっと・・・、オマエどっちだっけ?』
『金子さん、いい加減に名前覚えて下さいヨ〜!』
えらく本人に怒られた挙句、その後DVDを見に来た他のOG達にも
『金子さん、ひど過ぎる・・・』
と散々に言われてしまった。
 別に悪意があるわけじゃないんだけどナア。
 学校の先生は大したもんだ。あんなにたくさんの生徒を相手にするんだか
ら。学校の先生にならなくて良かった。というかアホだからなれなかった?

 個人的には家庭教師でも『先生』なんて呼ばれると、えらく距離を置かれて
いるようでしっくりこなかったカネゴンである。やはり根っからの職人かもしれ
ない。何しろ生まれた時から家が木工所やってるからなあ・・・。

加筆
 昼間こんなこと書いてたらまたまた・・・
 ボクシングを見終わって本屋さんに行った。入り口で缶紅茶飲んでたら、
目の前を賑やかな女性3人連れが通っていった。私の前を過ぎようとした時
その中のひとりが、
『アレ?金子さん!!』
と私を発見した。「ウムム誰じゃ?」と思って顔見ると、あ〜そうだ藤岡高校
でボートやってた、え〜と誰だ・・・
『え〜っと、え〜っと、顔覚えてるんだけど・・・。オマエ名前何だっけ?』
「またこのひと言が出ちまった・・・」と後悔しつつも仕方が無い。
『何言ってんですか!Hですよ!!』
あ〜そうか、そうかHか・・・って今何やってたんだっけかな・・・。
 そう地元の病院で看護婦やってたんだ。今脳神経外科と言ってた。まあ
いろいろと他愛の無い話をしていたが、別れ際
『なるべく病院には世話になんないようにするよ』
と伝えておいた。
 ちなみに私は見てすぐ分かったそうである。コリャ悪いこと出来ないナア。

畑山 vs. 坂本

 因縁極まりない日本人対決。ボクシング世界ライト級タイトルマッチ。話題
は尽きないがとにかくスバラシイ試合だった。あんなに1Rから打ち合う試合
なんて滅多に無いと思うし、見ていて本当に興奮した。
 結果は10Rで畑山選手がKOで勝ったが、スピードとバリエーションで勝っ
ていた感じだ。
 畑山選手は天才型と言われているが、私はどちらかというと「ガチンコ」とい
う番組で見たシーンが印象的だった。これは番組で練習生を育てていく企画
だが、畑山選手が激励に訪れた際、血の気の多い2期生とスパーリングをや
って軽いフック一発でのしてしまった。
『・・・これが世界チャンピオンか?』
と本当に恐ろしさを感じた。パワーの坂本と言われていたが、あるスポーツ
番組でのパンチ力の測定で何と畑山選手のストレートが260Kgを超えて
いた。常人ならばこんなパンチを受けたら、一発で死んでしまうに違いない。
・・・何しろ首が鍛えられていないから。
 この「ガチンコ」という番組でもうひとつ印象的だったのは、現役を引退した
辰吉丈一郎選手がやはり激励に訪れた際に、後輩達に残した言葉だった。
本当にひと言・ひと言が実に重みのある、スバラシイ言葉だった。

『いいか?今日がんばらな、明日は無いのやで。』

 特にこのひと言が印象的だったろうか。
 坂本選手は実に重みのあるパンチを持っているが、ガードがネックだった
と思う。前回の世界挑戦もドクターストップだった。今回も早々に左目を切っ
た。
 しかし坂本選手の偉大さは、その生きてきた過程だと思う。生まれて早々
両親と別れた坂本選手は、養護施設で育ってきた。彼のがんばりはそのま
ま施設の後輩達を勇気付ける結果となった。
 坂本選手を応援する人は、そんな彼の生き様を背景に見ているのだと思
う。明日民放で特集番組をやるようだ。