・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2000年11月のページ

2000年
(平成12年)
11月20日(月)
マイクロソフト

 インテルの話題が出たついでに一方のマイクロソフトについて。
 マイクロソフト会長のビル・ゲイツ氏は大金持ちである。どれくらい
大金持ちかというと、その個人資産は韓国の国家予算を上回るの
だという。何ともタマゲタ話である。
 先日の来日公演の際に、
『そんなに稼いで、もうやることはないのでは?』
の問いに、
『まだまだコンピュータは未成熟。やることは山ほどある』
と答えていた。
 
 ただあまりにも稼ぎ過ぎてアメリカ国内では相当の反発もあるよ
うだ。独占禁止法にからむ米司法省との裁判も長期化しているし、
フリーソフト(のはずだが、ターボリナクスはアキバで売られていた
)のリナクスの台頭もある。
 また今後のインターネットへのアクセスは日本では既に携帯電話
の方にシフトしつつあるし、家電ではテレビの方が主流になるので
はないか。『財界』によると日本の家電4社でテレビからインターネ
ットにアクセスするための合弁会社の設立の動きもあるようだ。

 正直言って今のパソコンの起動にかかる時間、そしてインターネッ
トへアクセスするための面倒な手続きやパスワードの問題、そして
URLやメールアドレスの入力の手間など、家電の領域へ普及する
ためには大変未成熟と言わざるを得ない。
 テレビのように電源を入れたらすぐに画面が出てきて、そしてテレ
ビのチャンネルを選択するような簡単な操作でHPのURLが選べる
ようにならないと、完全普及は無理であろう。

 今パソコンのビデオボードの機能でテレビの映像やビデオの画像
も取り込めるようになっているようであるが、
『パソコンがテレビに近付いていく』
方向よりも
『テレビがインターネット機能を取り込んでいく』
方向の方が普及するような気がしている。
 ソニー辺りはパソコンでも携帯電話でも相当にインターネットのノウ
ハウを蓄積しているから、操作性も洗礼された凄いテレビを発売させ
てくるような気がしている。

2000年
(平成12年)
11月19日(日)
どうした、インテル?

 かつて『ウインテル』という言葉があって、現代のパソコン界を支
配している『ウインドウズ(マイクロソフト)』とCPUの『インテル』を
くっつけた造語である。
 ところで、CPUのインテルが現在劣勢である。
 私もここ最近パソコンのハード関係の本はあまり読まなかったの
だが、自分のパソコンのパワーアップを機にいろいろ調べてみたら、
デスクトップ用CPUでは完全にAMDの『アスロン』に負けている。
同クロックの勝負でも処理の速さで負けているし、何と言っても価格
が違う。
 それにアスロンを超えようとして出したペンティアムVにバグが判
明して、出荷停止になってしまった。次世代のマザーボードでも安価
なメモリー採用でも、アスロンに先を超されてしまった。果たしてペン
ティアム4で挽回なるか?
 そしてノートパソコン用CPUでは(メーカー名忘れたが)『クルーソ
ー』が話題だ。これは徹底した低消費電力と発熱の防止に努めた
CPUで、冷却用のヒートシンクやファンが不要な上に、一度充電す
れば4時間〜8時間もバッテリーが持続してしまうという。これは使
用するアプリケーションソフトによって、駆動する周波数を変化させ
ているらしい。負担の大きい画像処理ソフトでは最大限高い周波数
で、逆に負担の小さい表計算ソフトやワープロソフトでは周波数を
低くして、バッテリーの持ちを良くしているらしい。
 今月になってどっとこの『クルーソー』CPU搭載ノートパソコンが
登場してきた。そしてこの技術を真似したインテルCPUがのこのこ
と出て来た次第。

 どうも今は完全にインテルが他社の後追い状態である。何だか
途中まで開発して取り止めになってしまったチップセットもあるらし
い。

 マシヤマ君の投稿にあったようにアスロンの1GHzに興味は持ち
つつも、私は今回のCPUはインテルのペンティアムVの800MHz
にした。最大限安定性を重視したからだ。でも次回(2年後?)辺り
はAMDを選択しているかもしれない。それくらいに今のAMDは実
に好調に新製品を投入している。
 インテルの安定性とは言っても、変なバグが報告されている。これ
はASUSのマザーボードの問題よりも、インテルの815Eチップセ
ットの問題のようだが、Windows2000でATA100のハードディ
スク接続時にパフォーマンスが低下するらしい(DOS/Vマガジン)。
 あとこれもDOS/Vマガジンに記載されていたが、電源を切っても
マイクロソフトのインテリマウスの赤いLEDが光りっ放しになってし
まう。気にしなければバグというほどのものでも無いのだが、私の
マシンもそうで、なおかつBOXのファンも回り放しになってしまうの
で、仕方なく一度電源のコンセントを抜いている。

 ところで私のパソコンだが、サウンドカードのドライバをインストール
しようとしても、CD-ROMを認識してくれない。何度やってもダメな
のでまたBIOSの問題かと思っていろいろ調べてみたが、何とCDの
ディスクそのものに内周に大きなキズが付いていた。
 あまりにも単純な原因にほっとしたやら、呆れたやら・・・。
 しかし当方の工場の『ふち貼り機』は原因不明でスイッチが入らず、
仕方なく明日は手作業でやらねばならない。昨夜機械屋さんが来て
くれたのだが、今まで経験したことの無い症例だという。
 マイッタ!


2000年
(平成12年)
11月18日(土)
スバルのフラット4 その2


 スバルのフラット4はエンジン形式もさることながら、その独特の
『バタバタ』という排気音にも特徴がある。これはスバル1000か
らの伝統で、最新型のレガシイではかなり音の個性が弱められた
ようであるが、それでも名残りはあるようだ。
 私の推測であるが、これは普通車に積載する関係でどうしても
『ビッグボア・ショートストローク』
というレーシングエンジンのようなオーバースクェア形式にならざる
を得ないのと、
『吸気系統の取り回しは楽だが、排気系統の取り回しがきつい』
というふたつの性格によって生み出されるものではないかと思う。
 良くも悪くもこの個性的な音を好む人もいれば好まない人もいる。
ただひとつ言えることは、この音によって、
『あ、スバルが来た!』
とすぐに分かったことだ。

 現在フェラーリは水平対向12気筒は積んでいたかな?確か
ポルシェは911シリーズに水平対向6気筒を積んでいたハズ。
ヘッドが横向きだから、整備性も悪いだろうナア・・・。

 日産が黒字転換しとたとは言っても、リストラして会社がスリム
になっただけであって、国内シェアは下がっている。国内市場では
トヨタのひとり勝ち状態だ。マツダが回復の兆しかと思ったら、また
赤字転落で更なるリストラを余儀なくされるという。
 本当に自動車業界も大変だ。


2000年
(平成12年)
11月17日(金)
スバルのフラット4

 先日プロジェクトXのマツダロータリーエンジンについて触れたが、
個人的(?)プロジェクトXでいけば、スバルのフラット4(呼び方に
よってはボクサーとかホリゾンタルとかいろいろ)エンジンも世界に
稀な特徴あるエンジンであろう。
 私が物心ついた時に父が乗っていた乗用車がスバル・レオーネ
(FF:前輪駆動)であった。恐らくこの車が実はいちばんスバルFF
方式の特長を示していたと思う。排気量は確か1400ccだったと
思うが、水平対向OHVエンジンの全高の低さを活かして、何とス
ペアタイヤーがエンジンルームのエンジンの上に置かれていたの
である。おかげでスペアータイヤーの無いトランクルームは奥行き
が深くて、実に広々。初代プリメーラも真っ青というパッケージング
を実現していた。
 この水平対向エンジンも時代の流れに合わせて、OHV→OHC
→DOHC と高性能になっていくが、それと同時に(ターボ装着や
4WD化もあって)初代レオーネのようなパッケージングの実現は
不可能になってしまった。
 私は『モーターファン』という自動車雑誌も良く読んでいて、その
中の『エンジン毒舌評論』の兼坂氏の文章が好きであった。初代
レガシイで初めて登場したスバルのフラット4DOHCエンジンで
あったが、兼坂氏によれば『旧技術の集大成』と評されていた。
確かに私から見ても他社で採用された技術ばかりだったが・・・。
兼坂氏によればスバルFF方式は『ボタンの掛け違い』と評されて
いた。そしてその延長線にあるスバル4WD方式は『ひょうたんか
ら駒』と評されていた。
 コストの面から見たら水平対向エンジンは絶対に不利である。
直列エンジンであればひとつで済むカム・プーリーが、ふた組み
必要になってしまうから。単純にこの部分だけで倍のコストがか
かってしまうのだ。
 レオーネの最終型の頃は本当にスバルは会社の状態も危なか
ったが、初代レガシイの開発において徹底的な走り込みを行い、
それ以後レガシイ・ツーリングワゴンの成功とインプレッサのラリ
ーでの活躍もあって『走りのスバル』というイメージを消費者に浸
透させた功績は大きい。
 かつて徳大寺氏が、
『スバルはボルボのようなメーカーを目指すべきだ』
と本に書いていたが、現在スバルは独自の4WD方式を前面に
押し出してPRしている。日産から離れたのも正解ではないか?

 私は現在トヨタに乗ってはいるが、基本的にはスバリスト。私
の父なんか宇都宮で免許証を取ったその足でスバル1000を
買いつけてしまったというからスゴイ。
 とにかくスバルにはがんばって欲しいと思っている。
 先日いつもの書店で『アルシオーネSVX(現在生産終了)』を
見た。フラット6エンジン+VTD4WDというハイテクメカニズムを
積み、ジウジアーロのデザインによるクーペである。実に格好良
くて外車みたいな佇まいがあった。
 仕事に使えないので乗れないが、ぜひとも2台目に欲しい車だ。
何となく用が無くてもクルージングしたくなるような車。クーペって
そんな魅力があると思う。

 新CPU&マザーボードは変なバグも無いようで安心だ。キー
入力もストレス無く出来るので、何だか同じ時間でもより多い量
の文章を打っているような気がしている。
 やはり私にとってパソコンへの投資は重要なものであると実感
した次第。


2000年
(平成12年)
11月16日(木)
パソコンパワーアップ

 完璧に風邪をひいたようだ。今回の理由は明白。先週の11日
(土)の消防団の内点検で、私は操法の練習で3番員として走っ
たのだが、その汗が冷えてしまった。その日 『ヤバイ』 とは思っ
ていたのだが、2日後に症状が出てきたようだ。
 一昨日集まったらうちの分団は皆咳をしていた。どうも今年の風
邪は咳がひどいようだ。私の先輩もまだ治らない。

 ところで私のDOS/Vパソコンも、ついにマザーボード&CPUの
交換に成功した。マザーボードはASUSTekのCUSL2、CPUは
インテルのペンティアムV 800EB。イマドキの定番商品。
 実はこのマザーボード交換はやりたくなかったのだ。イチバンの
心配は現状使用している周辺機器を認識しなかったらどうしようと
いう問題。始めはCPU交換だけやろうと思っていたのだが、今ま
で使用のASUS P2B-Fに装着できるスロット1用のペンティア
ムV 600MHZ が市場から姿を消しているのだ。
 それでいろいろ悩んだ挙げ句、今後のことを考えてマザーボード
をASUSのCUSL2に始めに決めた。そして秋葉原のツートップ
に行ったら、ペンティアムVの800EBが21,800円という売り
出し価格だったので、それを購入した次第。

 期待ワクワクでいざ交換。そうしたら何と最初の起動でハードデ
ィスクの接続を認識しない。『何でじゃ?』と困りつつ、BIOSをいじ
くるも原因分からず、とにかく元の構成(インテルセレロン300A+
ASUS P2B-F)に戻す。
 いろいろと原因を考えて、どうも2台のハードディスクの接続が
逆かなと思った。以前の構成では問題無くても、マザーボードが
ATA100対応になっているのでシビアになっている可能性があ
る。またHDD接続ケーブルをマザーボード付属のものに交換した
ら、見事に起動!
 ・・・と感激したら、どうも様子が変。マザーボードが変わっている
ので、やたらと機器認識の関係でCD-ROMにディスク挿入を要
求してくるのだが、肝心のCD-ROMが認識されていない。これで
はどうにもセットアップ出来ない。
 またいろいろと説明書とニラメッコして、どうやらBIOSの設定に
問題があることに気が付いた。先日の設定で変なところをいじくっ
てしまったらしく、CD-ROMを無効にしてしまうような設定になっ
ていたらしい。
 新しいCUSL2のBIOS設定画面はグラフィカルにはなっている
のだが、どうにも以前のP2B-Fと違っていて分かりづらい。

 ナントカカントカいじくること数回、無事にCD-ROMを認識して
起動。やたらと要求してくるメッセージは
『Windows98のCD-ROMを挿入してください』
うんざりするほど同じ作業を繰り返して、どうにか640×480
ドットの画面で起動。やはりのことまたもディスプレイドライバの
インストールをやり直して画面設定終了。
 ちなみにFDDの3モードの認識ドライバもインストールしなけれ
ばならなかった。
 接続してあるUSB機器の認識を確認していったが、イチバンの
心配だったターミナルアダプタはOKですぐにインターネット出来
た。次に心配していたスキャナもOK、ところがイチバン安心して
いたプリンタにトラブルが出た。
 ナント途中で印刷が止まってしまう、もしくは始めから印刷が出
来ないのどちらかになってしまう。プリンタは日本ヒューレットパッ
カードのHP−880Cという2年前の製品なのだが、プリンタドライ
バに問題があるのは明白。ところがバージョンをチェックして日本
HPのホームページで確認したら、ドライバが新しくなっていないの
である。これではダウンロードしたところで同じことだ。
 直感でこれは挑戦しても無理と判断。近くの店で同じ日本HPの
最新型:HP-990Cxiを購入して接続、無事に印刷した。本当は
カラープリンタはあと1年は使用しようと考えていたが、ドライバの
問題では仕方ない。
 一度 ペンティアムV 800EBのスピードを体感してしまったら、
元に戻ることは出来ない。ハードディスクが最新型になっているこ
ともあるが、体感的にはスピードが倍くらいになっているように感
じる。本当にストレスを感じなくなった。多分起動にかかる時間は
半分以下になっているような気がする。
 苦労はしたがどうにか私もDOS/Vパソコンの内部をいじくれる
ようになったようだ。今後は周辺の状況に合わせて各部分のパー
ツの交換をしていこうと思う。

 なお私は最初の構成から今回のパーツまで、全て秋葉原の
『ツートップ本店』で購入してきた。DOS/Vパソコンに関しては
パーツ同士の相性問題もあったりして、予期せぬトラブルはつき
ものである。
 今回私がトラブった際にサポートセンターに連絡したら、大変
親切に、想定される状況や対応方法などをメールで教えて下さっ
た。これは大変心強かった。このHPをご覧になられてはいないと
思うが、再度御礼申し上げたい。
 今後も私のパソコンパーツはツートップで購入していくつもりで
いる。

 なおハードディスクの認識と起動も安定しているようなので、先
ほど光磁気ディスク(MO)を取り外してしまった。これは当初は
データバックアップ用に取り付けたものだが、ハードディスクでバ
ックアップをとれるようになった今は必要無い。何よりもSCSI(ス
カジー)接続している関係で、起動の時のチェックにやたらと時間
がかかる。
 外すだけなので作業は簡単。無事に起動して予想通りにSCSI
機器のチェックが無くなって起動が実に高速になった。

 パソコンのセットアップというのは始めはもちろん苦労するもので
あるが、それを乗り越えれば確実に自分に帰ってくる。一度やれば
ノウハウが身に付いているし、何よりもスピードの向上などという、
実に分かりやすいものによって自分に帰ってくる。それは作業効
率の向上につながる。
 今回合計約11万円くらいの投資になったが、実に価値ある投資
だったと思う。何とかこの基本構成であと2年はがんばって欲しい。

2000年
(平成12年)
11月15日(水)
感覚の領域

 またまたボートネタだが先日届いた月刊ローイングで、大林コー
チが、男女のダブルスカルクルーに対して
『艇を進める感覚が身に付いてきて、体で分かってきた』
とのコメントがあった。武田選手自身からも、その様なコメントがあ
った。大林コーチからはあまり技術的なコメントが無かったのが意
外でもあったが、
『ナルホド、ボートでも一流選手になると感覚の領域になってくる
 のか・・・』
と感心した次第である。

 かつて天才F−1パイロットと呼ばれ、レース中に不慮の事故で
他界した故・アイルトンセナ選手は、時速300Kmでレース走行
中にも、路面に落ちているゴミ(だったかな?)がハッキリ分かった
という。
 また男子スピードスケート500mの清水宏保選手が世界記録を
出した時も、
『自分の通るべき光のラインが見えて、今日はそれから0.1mm
 アウトに膨らんでしまってタイムをロスした』
と語っていた。

 凡人には全く理解出来ないこの 『感覚の領域』 であるが、や
はり練習を積み重ねる中で五感が研ぎ澄まされていき、ごく一部
の人間だけが体得出来る技なのであろう。

 とにかく武田選手も長谷選手も年齢はまだ26歳。4年後のアテ
ネオリンピックは、ちょうどスカラーとして体力と技術のピークとな
るであろう30歳という年齢で迎えることになる。
 とても楽しみである。

2000年
(平成12年)
11月14日(火)
消防の季節

 例年 9月で国体が終わると、ほっと一息で本当に1年の半分
以上が終わった気になる。と同時に
『これから火事が多いナア・・・』
と憂鬱になるのだが、今年は9月からまだ一回も出動していない。
これは大変に珍しいことだ。私が入った年なんか異様に多くて、
1週間に1回くらいは出動していたし、また別の年で日曜日毎に
山火事なんて時もあった。
 以前は通常点検(出初式)を1月半ばにやっており、そのための
予行演習である内点検を12月半ばにやっていたのだが、一昨年
からだか通常点検を11月末に行うように日程が変更になり、その
ために内点検が11月第2週に繰り上がった。
 この内点検と消火栓点検、秋の火災予防週間が重なってしまっ
たため、私のこの4日間は以下の通りである。

11月11日(土)夜 内点検
    12日(日)朝 消火栓点検
    13日(月)夜 火災予防週間の夜回り
    14日(火)夜 通常点検のための操法の練習

 要するに消防4連チャンになってしまった。毎年11月はこんな
感じなのだ。まあその分12月と1月に余裕が出来るのだが。
 ちなみに今週末には消防行事は無いのだが、

11月24日(金)・25日(土) 栃木県体育協会の国体関連の
                  研修会で鬼怒川へ
 本当は24日(金)の夜が通常点検のために消防車の掃除なの
だが、体協行事のために欠席。
        
11月26日(日) 午前中 消防団通常点検
           夕方  忘年会
と続く。
 ビンボー暇無しとは私の事・・・。

 
2000年
(平成12年)
11月13日(月)
男子選手と女子選手

 今日『月刊ローイング』の9月・10月合併号が届いた。もちろん
メインはシドニーオリンピックの男子軽量級2×で6位入賞した、
武田選手と長谷選手の話題になっている。まあこれはトンデモナク
スゴイ事なので当然なのだが、大林コーチのインタビューで面白い
コメントがあった。

『今回のオリンピックでは男子のスカルと女子のスカルの両方を
 見てきた訳ですが、やはり女子の方が大変でした。』

 やっぱり・・・と思って思い出したのは、藤岡高校・卓球部の顧問
をされてきた山中先生のお言葉だった。藤岡高校・卓球部では県
内では敵無し状態で、男子も女子もインターハイの常連校だった。
現在山中先生は教職は退かれておられるが、

『男子と女子では、本当に女子の方が大変です。割合でいくと、
 1対9か2対8くらいの割合で女子の方に指導に力を入れます。
 それくらいでちょうどいいのです。
 男子にあまりしつこく指導すると、うっとうしがられる。逆に女子
 に対しては、本当に箸の持ち方から指導するくらいにやらないと
 うまく行きません。すぐに違う方向に興味を示してしまう。』

 ナルホド・・・と思った。
 実は私もこんな経験がある。藤岡町の谷中湖で佐野高校ボート
部と佐野女子高校ボート部がいっしょに練習する機会があって、
もちろん私は佐野高校の方を指導していた。佐野女子高校の方
は経験者の先生がおられるからだ。
 そうしたら練習後に岸に上がってきた佐野女子高校の生徒が、
『金子さん、ズルイ!!』
と言うのでナゼかと問い返したら、
『だって佐野高校ばかり指導して、アタシ達に何も言ってくれない
 んだもん!』
『だってオマエ達はF先生がいるじゃんか・・・』
と言ったのだが、彼女達にしてみれば協会の人間である私が男
子ばかり指導するのがえこひいきに見えたのであろう。
 だけど本当に佐野女子高校のF先生の熱意には感心するばか
り。端から見ていて、自分ではとてもあそこまで細かく指導は出
来ないと思う。
 後 まあ男子生徒で、特に佐野高校の後輩であれば、
『このバカタレが・・・』
と平気で頭をひっぱたいているが、女子生徒だとそうもいかない。
あと考えていることがさっぱり分からないのだ。

 と言いつつも思い出してみたら、女子生徒の中でもシマシマコ
ンビの2人に対しては、平気で頭をひっぱたいてばかりいたナア
・・・。
 だから今 掲示板で復讐されているのか。


2000年
(平成12年)
11月12日(日)
プロジェクトX
マツダ・ロータリーエンジン


 昨夜は夕食を終えて帰宅したのが夜11時30分。床に着いた
のが午前1時だったが、今朝は6時に起床出来た。朝8時から
地元の消火栓の点検に回り、終わったのが午前11時頃。
 工場に入ろうかとも思ったのだが、予想通りに昨日の内点検の
せいで腰が痛く(毎度のこと。半日立ちっぱなしだと、見事に腰痛
になる。これは私だけでなく消防団員全員。)、結局秋葉原にパソ
コンのパーツを買いに行って来てしまった。
 ちなみにパソコン雑誌を見て8万円くらいで予算を立てていたと
ころ、思ったよりもパーツの実売の値段が安くて6万円で済んでし
まった。これはウレシカッタ!

 ところで『プロジェクトX』とはNHK総合の番組で、様々な製品の
裏話を追ったものだが、どうも放映時間のせいかいつも見逃して
いた。たまたま先日のマツダ・ロータリーエンジンの放映は生で
(?)見ることが出来た。
 興味深かったのはどちらかというとマツダ=東洋工業鰍ニいう
会社が戦後復興の中心地という役割があり、そして被爆して家
族を失ったエンジニア達が取り組んだという事実である。
 私は大学の時の化学の講義で、
『ローターの外壁のキズの問題をカーボンで解決した』
と聞いていた記憶があったが、正確に言うとこれは間違いで、
『カーボンとアルミニウムの合金を使って解決した』
のであった。この材料に取り組んだのも常識への反対の発想で、
普通は硬いものと硬いものとの合金を考えるが、
『柔らかいものと柔らかいものを混ぜたらどうなるか?』
という逆転の発想によるものであった。
 結果としてそれが問題解決につながり、ロータリーエンジンの
製品化につながったのだった。

 オーディオ評論家の故・長岡鉄男先生が常に
『常識を疑ってかかる』
という行動を持って取り組み、ことごとく
『古いオーディオの教科書に書かれていた常識が間違いである
 ことが分かった』
と述べておられた。
 方舟のリファレンスとなったネッシータイプSPの
『共鳴管方式SP』
などはその最たるものである。

 言葉を変えれば
『押してダメなら、引いてみな』
ということだろうか。発想の転換、・・・と言葉で書くのは簡単だが
なかなか実行するのは難しいのだナア。どうしても過去の常識に
とらわれた判断をしてしまう。
 案外何も知らない方が斬新な発想が出来るのも事実である。
 年をとる毎に発想が貧困になってきている気がしている。
 

 
2000年
(平成12年)
11月11日(土)
工場見学

 ナスステンレス鰍フ協力会社が集まる『共栄会』の年間行事は
@1月半ばの『賀詞交換会(新年会)』
A5月の総会
B11月の工場見学会
と基本的に1年に3回ある。今回は上記Bの工場見学会だった
訳だが、関連企業の喜多田村金属工業鰍ニいう水栓金具のメ
ーカーの見学だった。
 行って驚いたのが完全機械化。少量品種は手作業で生産さ
れていたが、基本的に大量生産品は機械だけで生産されている。
とにかく機械12台に対して管理している人間は2人だけ。組み
立て作業や検査作業は、完全に女性だけで行われていた。
 『ウ〜ム、男の職人は必要無いんかいな?』
と感心したやら寂しさを感じたやら・・・。

 ちなみに今回初めて工場見学の後に食事会が行われたのだが、
仕事の疲れと寝不足でやたらと酔いの早かった私は、アホの本性
が皆さんにバレてしまったようだ。まあこれは遅かれ早かれバレ
る事だから仕方ない。

 今日は午後6時30分から消防団の内点検に間に合わせるため
に実に忙しい思いをしたが(浅草駅で全力疾走!)、何とかギリギ
リ間に合った。内点検というのは本点検の予行演習なのだが、
毎年やり方が変わるために出ておかないと本点検でとまどってしま
う。それにしても寒かった!