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・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ
2000年11月のページ
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11月30日(木) | 月末 今日は普段の月末の伝票処理に加えて図面拾いまで重なって しまい、頭の中がパンクしそうな状態。まだまだ仕事は続く・・・。 |
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11月29日(水) | カラープリンター ここ最近のカラープリンターの競争はすさまじい。毎年ボーナス シーズンと年賀状作製を睨んで、各社いっせいに11月頃にモデ ルチェンジが行われるが、写真画質だけでいくと 1位:エプソン 2位:キャノン 3位:日本HP(ヒューレットパッカード) という感じだろうか。とはいってもかなり接近した差であり、ちょっと 見ただけでは差は分からないであろう。 私は以前このHPにも書いたがプリンタドライバの問題で、この度 最新の日本HPの990Cxiに切り替えた。そして換えて良かったと またまた認識したのが、データベースソフト:『桐』でちゃんと印刷 出来るようになったことである。以前のプリンタ(日本HP880)だ と、ナゼだかエラーになってしまってプリント出来なかった。仕方無 いので桐を使用する時だけ、モノクロレーザープリンターのエプソン LP‐9000に切り替えていた。 多分プリンタ・ドライバの問題だったとは思うのだが、とうとう完全 にLP‐9000の出番が無くなってしまった。 私は日本HPのプリンタを使用している理由は、まず構造の問題 で『前から用紙が入って、前に用紙が出てくる』ということで、設置 面積が少なくて済むのに加えて大変使いやすい。 私はカラー印刷はほとんどやらないので、モノクロ印刷を重視し ているが、このブラックインクが顔料系のものを使用して耐水性が ある。概ねこの2点が選択の理由である。 ちなみに本日私の誕生日。33歳になってしまった。ア〜ア・・・。 |
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11月28日(火) | 小出監督 もはや説明の必要も無いほどに有名になってしまったが、私は その今までの偉業もさることながら、 『陸上の監督』 というイメージを変えてしまった点でも功績(?)大と思う。 私も中学時代に陸上をやっており、また以後ずっとやはり陸上 には興味を持って見てきたが、 『陸上の監督=怖い人』 というイメージが固定化されていた。実際私が見てきたのはそう いう方達ばかりだったから。 ところが小出監督と来たら、まるで正反対。高橋選手のことを 『Qちゃん』 と猫をかわいがるような呼び方で呼び、また自らを 『オレはただの のんべえだからサア・・・』 と自嘲する。著書も読んだが、多分小出監督は女子選手の指導 に向いているキャラクターなのではないかと思う。 実は昨年の国体講習会の講演が小出監督だったらしいが、具 体的なことになると全くしゃべらなかったらしい。思い返してみれ ば、著書の中にも具体的なトレーニングメニューらしきものは一切 記載されていない。そういうことに対して質問が飛んでも、巧妙に 話題を切り替えてしまったそうだ。 やはり企業秘密は明かさないようだ。 |
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11月27日(月) | 消防団通常点検終了 昨日は丸1日消防行事でつぶれてしまう『消防の日』であった。 消防団の年間行事でいくと、5月の『操法大会』、11月の『通常 点検式』は年間2大行事である。また私個人的には、9月のボート の国体が終了すると1年の6割方終了した気分になり、11月の消 防団の通常点検が終了すると1年の9割方が終了した気分になる。 あとは12月に山火事が無いことを祈るのみである。 それにしても、もうすぐ12月である。本当に1年を早く感じる。 ちなみに私は自分と仕事の年賀状だけは作ってしまった。だけど 12月はせわしないナア・・・。 |
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11月25日(土) | 国体研修会 昨日・今日と1泊2日で栃木県体育協会主催の国体研修会に行 ってきた。鬼怒川のホテル・ニュー岡部が会場であった。 書面では各協会4名の出席が要請されており、当方のボート協 会からは4名の出席&宿泊であった。私は今年が初めての出席 であったが、今年の結果の反省および来年への抱負を語り、夜は 懇親会という内容。 泊まりということもあり、実にゆっくりと楽しい話が出来た。他の 協会もほとんどが学校の先生であったが、ちょうど高校の部活動も 期末試験前で休み、また今日が第4土曜日で学校が休みというこ ともあり、先生方も実にのんびり・ゆったりとした気分でくつろげた ようである。 藤岡高校の塚本先生とも実に久々に会った。塚本先生は東北大 学のボート部でキャプテンを務めた人でもあり、ユニバーシアード大 会の日本代表になった人でもある。 塚本先生が栃木へ帰ってきてからは、ナックルフォア、舵手無し ペアー、シェルフォアーといっしょに漕いだが、中でもイチバン思い 出深いのは舵手無しペアーを漕いだ1年目である。 塚本先生は宇都宮女子高校に赴任したばかり&結婚したばかり で、毎日足利から宇都宮まで電車通勤していた。私は群馬大学工 学部の4年生で、毎日夜中2時まで研究室に閉じこもっている生活。 2人でいっしょに練習出来るのは日曜日だけ。それも塚本先生はテ ニス部の部活動の顧問、私は実家の工場の仕事があるので、その 前に練習しなければならない。結果として練習は日曜日の朝5時か ら7時までの2時間行い、それから各々の仕事に向かうという慌しさ の中で練習を行った。 確かこの年は片手の数しか乗艇練習が出来なかった記憶がある が、何とかかんとかとレースにはなったからタマゲタものだ。 『今から思えばよくまあ、あんな状況の中で練習やってたよナア・・・』 2人して大笑いしていた。 |
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11月24日(金) | 機械化の是非 先週から異常が起きてしまって使用不可能になっていた工場の 『ふち貼り機』 が先日ようやく直った。大元の電盤からの交換であった。仕方無い ので機械が直るまでは以前の通りの手作業でこなしたが、おおざ っぱに言ってこの機械1台で人間5人分の作業をこなしてしまう。 実際の作業は私ひとりで、テープや厚み調整などのセッティングを するだけである。 今や日本国内の職場から急速に人間がいらなくなっている。JR 佐野駅でもようやく自動改札になったのだが、あの広い駅構内で 改札に人間がひとりしかいないのは不気味な気さえもする。 この間のナスステンレスの共栄会の工場見学でも感じたが、今 まで人がいたところにいないというのは、あるいは非常に広い空間 で人がいないというのは、実に寂しく感じるのである。モチベーショ ンの低下は起きないだろうか? また昨日のテレビでは熟練工の技術を機械に覚えこませるという 試みが放映されていたが、なかなか数値化出来ないことも多かった りで難しいようである。 |
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11月23日(木) | 共通一次試験 今日は勤労感謝の日らしいが、私にはあまり関係の無い感じだ。 ところで私大参加もあったりで科目削減まっしぐらだった共通一次 試験だったが、ここに来て再び『5教科7科目』に戻す方向のようだ。 理由は入学生徒の学力向上だそうである。 何を隠そう私は共通一次試験5年目の受験生、5教科7科目を受 験した最後の世代である。ちなみにこの年は最も国立大学の人気が 無かった年でもある。 私見を述べれば確かに科目が多いと負担に感じるのも事実だが、 私の場合は数学、物理、英語といった私立受験科目の合間に、国 語の古文や漢文、社会の地理科目といった暗記科目を気分転換に やっていた。 実際共通一次試験が終わってしまって、理系科目の勉強だけに なってしまったら本当に息が詰まるような感じになってしまった。今 から思えば共通一次試験があって良かったような気がしている。 高校3年の時に私のいた佐野高校の国立理系クラスは非常に個 性的な人間が揃っていて、それでいて皆とても仲が良かった。休み 時間の度にプロレスをやっているような奴もいたが、受験とはいって もあまりクラスの中はギスギスしていなかった。 共通一次試験は宇都宮大学のキャンパスで受けたのだが、宇都 宮のロイヤルホテルに宿泊して、これもまた楽しかった。また昼食の 時は何となくクラスの皆が集まって来て、いっしょに芝生で食べた。 いいクラスだったなあ・・・。 多分あのクラスの皆のおかげで、現役受験で何とか滑り込めたよ うな気がしている。 果たして佐野高校ボート部の3年連中&佐野女子高校の吉澤君は 受験勉強ちゃんとやってるかな? ちなみにシマシマコンビの2人は、どちらも指定校推薦で進学して しまった。どちらも単なるアホにしか見えないのだが、なんつーか上 手いことやってて学校の成績だけは良かったらしい。 世の中分からんなあ〜。 |
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11月22日(水) | トヨタのツインカム戦略 またまたトヨタ自動車は国内販売好調で、あの新型セルシオが 納車まで8ヶ月待ちだとか。何ともすごいもんだ。 トヨタのすごさはそのコンセプトとかデザインとかネーミングとか、 いろいろ要因はあると思うが、私の記憶の範囲内でいうとこのエン ジン戦略もすごかったと思う。 何しろ当時ごく一部のスポーツカーにしか(確か日産・スカイライン だけ)搭載されていなかった 『4バルブ・DOHCエンジン』 を、乗用車の全車種にラインナップしてしまったのだから。日産以下 慌てて他のメーカーが追随した際には、既に 『ハイメカ・ツインカム』 という狭角の燃費志向のエンジンのラインナップの整備を始めてい た。 その乗用車エンジンの記念すべき第1号は、カローラ・レビン& スプリンター・トレノに積まれた1600cc。型番は4A-GEだったか な?何しろ元々はカローラ用の1500ccエンジンのボアをぎりぎり まで広げて、DOHCヘッドを積んでしまったのである。完全なるゼロ からの開発では無いから、あんまりコストもかかっていない。 そして売り出した時のネーミングが良かった。その前に日産がス カイラインの時には 『4バルブ・DOHC』 と呼んで売り出した(確かFJ―20E)のだが、トヨタは 『ツインカム・16バルブ』 そして次のマークUブラザーの直列6気筒のDOHCには 『ツインカム・24バルブ』 と名付けて売り出したのである。この『ツインカム』という、通が好 んで使っていたネーミングを与え、そしてバルブの総数をつけた、 実に心憎いネーミングであった。DOHCとローマ字が続いて解読 が必要なロゴより、 「普通はひとつしかないカムがふたつ。だから『ツインカム』」 と実に分かりやすい。あまりメカに強くないお客さんに説明するの にも、それほど手間がかからなかったのではないか? このエンジンだけに限らず、その後のトヨタは常に先手を打って いる。何せあのハイブリッドエンジンのプリウスをあの値段で売っ てしまうなんて、他メーカーから見たら信じられないことらしい。と にかく環境問題でも先手を打ってしまった。 『エゴからエコへ』 これもまた実に心憎いメッセージである。 |
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11月21日(火) | マイクロソフト その2 マイクロソフトの名が広く知られるようになったのが、『Windows 3.1』 だったと思う。MS-DOSのバージョン5まではパソコン起動 時に一瞬にして見えなくなってしまった『MS-DOS』だったが、ウィ ンドウズ3.1からは『MS-Windows』のロゴがでかでかと起動時に 映し出されるようになった。 そして『ソフトの黒船ショック』とも呼ぶべき現象が起きる。OSの 次にマイクロソフトのアプリケーションソフトである『エクセル(表計 算)』『ワード(ワープロ)』が発売される。 エクセルがロータス1-2-3を駆逐するのにそう時間はかからなか ったと思うが、ワードは一太郎になかなか勝てなかった。エスケー プメニューを中心とする操作体系に、かなりの日本人が馴染んでい たためだ。 マイクロソフトはどうしたか? ナント一太郎のユーザー登録書を 持ってくれば、ワード(当時定価\58,000-)を\20,000-で売る という、 『一太郎 乗り換えキャンペーン』 を実施したのである。一太郎ユーザーをごっそりと自社ユーザーに 取り込もうというこのやり方に、私は心底アメリカ企業の恐ろしさを 実感したものである。 そしてこの頃 『アメリカ人は元々狩猟民族だから、ビジネスにおいてもやることが 徹底している。 日本人は元々農耕民族だから、やることが甘い』 『日本人はその精神の根底に弱者救済などという訳の分からん 仏教思想が根付いている。だからビジネスにおいてもアメリカ に負ける』 という、どこかのビジネス書で目にした言葉を思い出していた。 そしてその後に訪れたのはソフトの価格ショック。これはユーザ ーにとっては大変歓迎すべきことなのだが、 ・エクセル(当時定価 \98,000-) ・ワ ー ド(当時定価 \58,000-) の2つ合計当時定価 \156,000- のセットを、 『マイクロソフト・オフィス』 と名づけてナント当時定価\40,000-で売り出したのである。 このことを契機にして、ソフトの定価は雪崩れを打ったように下落 していった。名前を聞かなくなった日本のソフトメーカーは数知れず。 ワープロソフトであるが、私は元々は滑ヌ理工学研究所の『松』 (それにしてもナントも固い会社の名前と地味なソフトの名前だ)を 使用していたので、すぐにウィンドウズ3.1の時にワードに切り替え てしまった。 表計算は元々はロータス1-2-3を使用していた(学生の時に表 計算という概念に驚嘆したものの、このソフトの印刷のやりづらさ には辟易していた)が、あっさりとエクセルに切り替えた。このソフ トの完成度の高さは恐ろしいほどである。特に印刷が簡単なのは もちろんのこと、自動的にグラフの軸設定をしてくれる機能や自動 的にデータを類推してくれる機能など、 『よくぞここまで』 と感心するばかり。最近のオフィスではかなり両者の連携を高め ており、あたかもひとつのソフトを操作するがごとき感覚で扱える のではないかと思っている。 ただデータベースソフトだけは、今だに滑ヌ理工学研究所の『桐 』を使用している。マイクロソフトのアクセスも検討はしているのだ が、データベースにおいてはその「用語」が変わってしまうと実に 大変なのだ。桐でも用語を覚えるまでに相当に時間がかかった。 現在使用している「桐ver.7」は元々はウィンドウズ95用なので、 非常に動きも遅くてイライラするのだが、我慢して使用している。 |