・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2000年12月のページ

2000年
(平成12年)
12月10日(日)
道路工事

 我が家の前の道路の2車線工事が本格化して、もうすぐ下水
の工事が終わりそうだ。
 それにしても自分の家に入るのに遠回りせねばならないのも、
何とも面倒くさいものだ。木工所という商売柄、トラックが頻繁に
入ってくるが、
『いやあ、ぐるぐる回っちゃったよ』
と皆が苦労して入ってくる。
 ただイチバンの心配だった4トン・トラックが何とかぎりぎりで
入ってこられるので助かった。

2000年
(平成12年)
12月9日(土)
消防団の定例

 昨日は消防団の定例だったのだが、私は今回初めてすっかり
忘れており、先輩のガソリンスタンドにいる時に携帯で知らされ
『スミマセン、完全に忘れておりました』
と平謝りだった。そういえば先日の真夜中の火事の帰りに小屋
で言われたような・・・。
 消防団の定例とは毎月の始めの金曜日か土曜日に行うのだ
が、毎回必ず消防車を近くの川まで持って行って水出しの点検
を行い、小屋へ帰ってきてから間近の行事についての連絡を団
長から受ける。
 今回初めての試みとして、吉水小学校の防災訓練の時に操法
大会の実演を行うことになった。私は3番員か2番員をやると思う
が、果たして小学生の目にどう映るだろうか?

2000年
(平成12年)
12月8日(金)
宛名印刷

 先日佐野高校ボート部のOB会である「わたらせ会」の葉書の
通知を出し終えたところだが、それにしても宛名印刷も楽になっ
たものだ。

 今から10年前のMS-DOSの時代はと言えば、私は住所録
管理も表計算のロータス1-2-3でやっており、そこからマクロと
いうプログラムを組んでタックシールを作っていた。またこれを
ベースにして葉書の宛名印刷(横書きでしかも明朝体)も行った
が、紙送りの具合でセル1個分がずれてしまったりして大変だっ
た。

 その後近くのパソコン・ショップの店員さんの奨めでデータベー
スソフト:「桐」を購入。何しろこの時の定価で98,000円、実売
でも79,800円もしたバカ高いソフトだったが、以後このデータ
ベースソフトが私の基本ソフトになっていく。考えてみたら今では
この値段でパソコンのハードが、ディスプレイ付きで購入出来て
しまうのだ。時代の流れとは恐ろしい。

 タックシール印刷はこの桐の帳票印刷で簡単に行えた。また
レーザープリンターを導入したこともあって、雨の日に配達されて
も安心になった。以前のキャノンのバブルジェットプリンタはインク
が水溶性だったため(今はどうか知らない)、雨の日などに配達
されると宛名がにじんでしまったのだ。

 さて葉書の宛名印刷をどうしようかと思案していたところ、富士
ソフトの「毛筆わーぷろ」というのが目に止まった。格調高い毛筆
体フォントを2つ用意して、しかもきれいな宛名印刷が出来る。こ
の機能は私が求めていたもので、画期的だった。
 ただレーザープリンターの紙送りの精度の問題もあったが、郵
便番号覧は結構ずれてしまった。最大5mmくらいは覚悟せねば
ならず、赤い枠に字が乗ってしまうこともしばしば。それでも当時
としては良かったのだ。

 私が現在使用している「筆まめ」も現在バージョンが11だから、
ほぼ同時期の登場と思われるが、バージョンが5辺りになった時
に完璧に他社をリードしたように思う。それは郵便番号枠の位置
調整を0.1mm単位でやってのけ、自動レイアウト調整などの機
能も含めて葉書印刷に関しては完璧と思えるまでの完成度に達
した。私もMS-DOSの時代には富士ソフトの「毛筆わーぷろ」を
使用してきたが、ウィンドウズ3.1からはクレオの「筆まめ」を使用
している。

 毎年購入しなくてもいいのだろうが、クレオが上手いと思うのは
10月頃にバージョンアップの通知が来るのである。完全に他社
よりも早い時期だ。しかも値段はアップグレード版だと4000円
代だと思った。そんなに気構えせずに購入出来る値段である。
現在のバージョンでは地図作成やテレリンクなどの機能も取り
込んでいて、もはや単なる毛筆ソフトの範疇に収まらなくなって
いる。

 今年購入した日本HPの990CXiには葉書専用トレイまで付
属している。「筆まめ」とこのプリンタのコンビで、100枚ちょっと
の両面印刷は実にあっけなく終わってしまった。7桁の郵便番号
も赤い枠にかぶるなんてことも全く無かった。
 また私はデータベースの「桐」からテキスト変換したデータファ
イルを「筆まめ」で取り込んでいるが、この際に郵便番号を自動
的に7桁に変換してくれる機能も大助かりである。


2000年
(平成12年)
12月7日(木)
ホームページのキャラクター

 多分日本ボート協会のHPは、専門の業者の作製によるものと
思う。また国会議員さん達のHPも大部分は(選挙に間に合わせ
るべく)、専門の業者による作製によるものと思う。
 大手企業や専門業者によるHPはすぐに分かる。とてもキレイで
レイアウトもきっちりしているが、何となく無味乾燥で面白味に欠
ける。もちろん作成者の私見など入れられるハズも無い。

 やはり個人で管理・運営しているHPは見ていて面白い。そんな
に高度なHTMLのタグのテクニックを駆使出来る訳でもないから、
レイアウトが雑だったり見づらい面も多々あったりするが、その作
製者のキャラクターがHP全体にダイレクトに反映される。さらに突
っ込んで述べれば、その人の生き様みたいなものも見えてくる。

 私の「カネコ木工HP」について述べると、昨年はヤフーに登録す
べく、立ち上げ当初にメールで様々な人に意見を仰いだ。私のボ
ートの後輩達(大学生)が様々な意見を出してくれたが、その中
に、あるパソコンソフトの技術者からと思われる以下のような内容
のメールがあった。

「内容が個人的過ぎる。ヤフーに登録するには内容を全面的に作
 り直した方が良いのでは?」

 との厳しいものであった。私見ではカネコ木工は法人ではなくて
個人事業だから、個人のキャラクターを出すべきと思っていたから
この方にお礼のメールは出しつつも、私は内容を変えるつもりは
無かった。
 そして昨年12月の小学館「ラピタ」のインターネット特集で取材
を受ける際のメールでは、

「とかく装置や作品の自慢に走りがちなオーディオ関係のHP群
 にあって、木工所というプロの立場からの製作アプローチという
 ユニークな内容を持つ」

というのが選定対象になったことを知らされた。そして取材の時の
昼食の際に
「マニアのみなさまにも言われるんですが、私のHPは趣味のもの
 なんだか、商売のものなんだか訳ワカンナイらしいのです。確か
 に自分でも訳ワカンナクなってきました。」
と私が言ったら、小学館の記者の方は
「いやあ、それがいいんですよ」
とのお返事であった。

 ひとつの物事に対して正反対の意見が出るのは当たり前の事。
結果として私のHPはヤフーにも登録していただいた。

 ところでIT革命を叫んでいる森首相自身は全くパソコンが使え
ないらしいのだが、果たして大丈夫なのだろうか?そういや森
首相って早稲田大学の出身だった。アレ?ラグビー部のOBと
いう話も?


2000年
(平成12年)
12月6日(水)
思い出のラグビー早明戦

 やはり何と言っても早稲田大学が全国優勝した年、私が大学
2年の時であったから多分1986年だと思う。
 この年は黄金の1年生トリオと呼ばれた3人:スクラムハーフ・
堀越、フルバック・今泉、センター・藤掛が大活躍した年であった。
このセンター・藤掛君は佐野高校で私のひとつ下の後輩になる。
彼は早稲田に入学して転向するまでずっとナンバーエイトだった。
 早明戦の時は藤掛君は故障していて出られなかったが、とにか
く雪の中の戦いでしかも
『フォワードの明治、バックスの早稲田』
という特徴が実よく現れていた。
 この試合でイチバン印象に残っているのは、もうもうと湯気が上
がる中、ゴールラインを背にして早稲田が明治のプッシュを必死
に耐えているシーンである。
 この年の早稲田大学はガンガン点を取っていくチームではなく
て、徹底したディフェンスでしのぎ切っていくチームであった。デ
ィフェンスから切り返して、一発のチャンスをものにしていくチーム
であった。
 『強い』というよりも『負けない』チームであった。

 とにかくラグビーは見ていて面白い。ボートと同じイングランド・
スポーツということもあるのかも?

  
2000年
(平成12年)
12月5日(火)
ホームページの立ち上げ

 先週だったか、埼玉県ボート協会HPがアップされた。やっと
関東の協会でアップされたかという喜びと、このページを管理・
運営されているのが浦和第一女子高校の先生であるという事
に、少なからずの驚きも感じている。どうにも栃木県のボートの
先生方は携帯電話とかインターネットとか、こういうものに全く
無関心で困るんだナア・・・。

 また先日先輩のスキークラブのホームページがアップされた。
URLが分からないのでここに記せないが、直に本人からの投
稿が掲示板にあると思う。作製に際しては私も6月頃からいろ
いろと相談を受けていたが、とても明るくて楽しい雰囲気が伝わ
ってくるHPだ。

 私も現在では所有HPが3つになってしまって、維持・持続する
方にばかり気持ちが行っているが、やはり最初のHPの立ち上げ
までは本当に大変であった。
 私が最初に立ち上げたHPは栃木県ボート協会のものであるが、
パソコン・ハード(機器)の購入までに約1年の準備期間を要し、
ホームページ立ち上げまではネット・サーフィンをしながら半年を
要した。そして最初のページはWindows付属の『フロントページ
エクスプレス』で作製した1枚ものであった。
 その1枚ものであっても、その最初のトップページが一発で開か
ない。いろいろ調べた挙句、トップページが『index.html』ではな
くて『index.htm』になっていたのが原因だった。
 ナンダカンダとようやく開いた栃木県ボート協会HPのトップペー
ジ・・・、貧弱な(リンクページも無い)1枚ものHPではあったが、
やはり今思い返してもイチバンの感動はこの瞬間だった。大げさ
な話になってしまうかもしれないが、
「ホームページを作る!」
と決意してからは2年近くが経っており、そして元々パソコンをや
っていた私でさえもいろいろと苦労したので、やはりその感動は
ひとしおであった。

 先ほど佐野高校ボート部OB会の情報をアップしたついでに、
最新情報のページを年別に分けてみたが、更新履歴の一覧を
ざっと眺めていて
『まあ、いろいろあったナア・・・』
とつくづく思った。

 ちなみにカネコ木工HPがYahoo!Japanに登録されてから
は、実にいろんなビジネス関係のメールが来る。

 
2000年
(平成12年)
12月4日(月)
夜中の火事

 昨夜日本テレビの『スポーツうるぐす』を見つつ、夜中12時頃
に「さあて寝るか!」と思ったら、携帯がプルプル。火災連絡で
あった。
 ぐるぐる現場を探し回ること数分、やっと見つけた現場はタイヤ
が山積み。焦げ臭い臭いが立ち込める中、でかいタイヤをみんな
で力を合わせてどかして行ったが、それにしても寒かった。
 現場を撤収になったのが夜中2時過ぎ、床に着いたのが2時
30分を過ぎていたか。この間通常点検が終わった時に祈って
いた、
『これで年内火事が無ければ・・・』
の願いはあっけなく崩れた。
 原因は多分タバコの投げ捨てであろう。
 
 
2000年
(平成12年)
12月3日(日)
ラグビー早明戦

 毎年12月の最初の日曜日はこの試合に決まっているが、今
日はすっかり忘れていて、たまたまテレビをつけたらやっていた。
 今日の試合は近年の早明戦にしては珍しく点の取り合いとな
り、最終的には久々に早稲田の勝利となったが、内容的には互
角に近かったと思う。
 何よりも
『ゴール前の反則で早稲田がスクラムを選択』
という大変に珍しいシーンも見られたが、一時17点にまで差が
開いたにもかかわらず、よくぞ粘り強く逆転したと思った。久々
に早稲田のきれいなバックス攻撃を見た。
 今年の大学ラグビーは昨年に引き続いて慶応大学が強いよう
だが、関西勢も交えてのこれからの大学選手権の行方が楽しみ
だ。

2000年
(平成12年)
12月2日(土)
年末

 昨日は朝から工場の仕事、足利でのナス協力会の会議、戻っ
てきて工場の仕事、そして夜は親類のところへ出かけてと非常
に目まぐるしい1日で、この日記も空いてしまった。

 いよいよ12月を迎えてしまった訳だが、図面をもらってから1
週間で収める現場なんてのを受けてしまい(今どこの木工所も
パニックで他にも頼めない)、果たして材料が納入されてくるか
も不明な状態。
 ナンダカ大変な12月になりそうだナア・・・。