・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2001年2月のページ

2001年
(平成13年)
2月10日(土)
ウィルスバスター2001

 世間的には3連休らしいが、木工所的には2月は仕事のピ
ーク。当方は明日も明後日も仕事になる。それでも果たして
受注しているキャビが完成するかどうか怪しい。こんな不安
な毎日も製造業のつらいところだ。
 
 ところで先日のMTX(マトリクス)コンピュータウィルスの感
染に懲りてインストールしたウィルスバスター2001だが、こ
れはかなり良く出来ている。メールの送受信やインターネット
アクセスの時には必ずチェックが入るが、中でも感心している
のが『インテリジェントアップデート』機能。
 これはインターネットアクセス時に、現用のバージョンをチェ
ックして常に最新のバージョンにアップデートしてくれるという
もの。始めはそれほど頻繁に行われるとは思っていなかった
が、実際もう既に2回アップデートされた。
 実際ウィルスとワクチンはいたちごっこの戦い。アップデート
が頻繁にこしたことは無い。
 今度は年会費:3150円は忘れずに支払うことにしよう。

2001年
(平成13年)
2月9日(金)
デジカメに望むこと

 昨日はまたも空いてしまったが、朝からドタバタ続きでパソ
コンの電源さえも入れなかった。そもそもが図面のミスに気
付いたところからケチのつけ始めで、これの訂正に2時間近く
を費やし、お陰で工場の作業を終えたのが夜10時。それから
事務所でまた図面拾いをして気が付いたら12時だったので、
そのまま寝てしまった。
 今日はこれから(夜7時から)、消防団の夜回りである。

 ところで私のデジカメはニコンのクールピクス990であるが、
まず長所から述べると
@回転レンズがとても使いやすくて撮り易い
Aその名の通り画像の解像度がとても高い
 (いちばん画質の荒いモードで十分実用になる)
Bマグネシウムボディの質感がとても高い
といったところ。他にマクロ撮影に強いといった点もあるが、
私の場合は使用しないので余り感じない。
 逆に短所から述べると
@バッファーが小さいので撮影インターバルが長い
Aやや色乗りが浅め
 (ただこれはフォトレタッチソフトでカバー出来る)
B他のデジカメと同様、明るさに弱い
という感じ(あくまでも個人的)。
 @については私はボートのレースの撮影をする時に、とても
感じる。Bは工場内や室内撮影の時にどうしてもフラッシュ使
用になってしまう。@について強いのはオリンパス、Aについ
て強いのはフジフィルムであろう。
 
 個人的希望では
@画素数は200万画素もあれば十分
ACCDの大きさを大きくして、明るさに強くなってほしい
Bズームは光学10倍以上、出来れば光学20倍あると最高
  (ボートの撮影にはズームは大きいほど良い)
Cバッファーを大きくして、なるたけ撮影インターバルを小さく
  して欲しい。
  (これもボート撮影のため)
という機種が出て来て欲しいと思っている。
 最近キャノンから光学10倍ズームの機種が出て来た。技
術革新の著しいデジカメのこと、今後の展開がとても楽しみ
である。


2001年
(平成13年)
2月7日(水)
JALのニアミス事故

 何だか管制塔のミスらしく、2つの機体を取り違えたらしい。
どちらも9で始まる型番だったからだ。

 結構この2つというのは間違えるのではないかという気がし
ている。自己弁護する訳では無いが、今年成人式を迎えた
佐野女子高校ボート部のOGはいつも2人いっしょだった。そ
んで顧問の先生もいつも2人をいっしょに呼ぶから、私はどっ
ちがどっちだか分からない。
 以前も書いたが先日たまたま片方がひとりでやってきた時、
『えっと・・・、オマエどっちだっけ?』
と聞いてしまった。もちろんエラク怒られたが。
 そんな私も最近ようやくこの2人の名前まで(エライ!)覚え
ることが出来た。携帯のアドレス帳にも登録したから安心だ。
しかし現在の佐野高校ボート部の3年生は誰が誰だか分か
らず、佐野女子高校ボート部の現役部員に至っては全く分か
らない。

 最近ボートの現場にも顔を出していないが、今後ますます
出せなくなるような気もしている。
 やはりボートに関われる身分というのは贅沢な状況に無い
と無理だということを、最近痛感している。


2001年
(平成13年)
2月6日(火)
マラソンの西田選手

 女子マラソンで優勝した渋井選手(だったかな?)に続き、
先日の別府大分毎日マラソンで優勝した西田選手も栃木県
出身。とにかくこんなスゲエこと初めて。
 西田選手は箱根駅伝でも活躍していたが、栃木県出身と
は全く知らなかった。とにかく地元の下野新聞では第一面
でデカデカと取り上げられていた。そうしたらナント佐野日大
高校の出身であった。
『だけど佐野日大高校は県外出身者が多いからナア・・・』
と思って読んでいたら、隣の足利市の出身。これは正真正
銘の栃木県出身選手である。
 もしかして毎日カネゴン宅の前を通って通学していたのだ
ろうか?
 とにかく今度の世界選手権でも活躍してほしいものだ。

2001年
(平成13年)
2月5日(月)
初心者のためのボート

 先日埼玉県にお住まいの21歳の社会人の方からメールを
いただき、
『これからボートを始めたいのですが、どうすればよいのでしょ 
 うか?』
とのご質問であった。
 すぐに埼玉県ボート協会の鈴木先生のところへメールを転送
したが、すでにご本人からメールが行った後だった。鈴木先生
からのメールでは、やはり埼玉県では一般の方のための継続
した講習会のようなものは開いていないとの事であった。栃木
県でもカヌーとヨットとの合同の講習会が年に2回あるだけであ
る。
 ボートは環境と艇庫と人間の3つがそろわなければ出来ない
ので(故にマイナー競技なのであろうが)、なかなか簡単に出
来ない。やはりもっと一般の方々に気軽に触れていただけるよ
うな機会を設けねばならないと思うし、競技とは別の市民クラブ
的なものが出来れば本当にいいと思う。

 と思いつつも、現状では自営業者の私は身動き出来ない。
食事をする居間の私のところには、ボートの書類が10通近く
もたまってしまった。
 仕事を完全にリタイヤする遠い先の未来で無いと、ボートに
関しても思った通りには出来ないだろうなあ・・・。


2001年
(平成13年)
2月4日(日)
多忙な2月

 木工業界は毎年2月はパニックになる。ナゼかというと大体
マンションの明け渡しが3月というところが多いからだ。3月に
クリーニングをかけるためには、2月にキャビが納入されていな
ければならない。だから極端に2月に納入が集中し、3月がヒ
マになって4月は更にヒマになる。
 当方も例外ではなくて、今月半ばの納入が重なってしまって
いる。明日の朝出荷するキャビの完成が昨日では終わらず、
今日も夕方までかかる羽目になった。
 
 なかなか時間が作れないのは悲しいことだ。というか前もっ
ての時間の約束とかが立てられないのだ。
「心を亡くすと書いて、忙しい」
まさしくその通りだなと思う。

2001年
(平成13年)
2月3日(土)
MTX(マトリクス)コンピューターウィルス

 昨日は空いてしまったが、表題の通り私のパソコンがナント
コンピューターウィルスに感染してしまったのだ。昨夜は明け方
までウィルス・バスターでのチェックにかかってしまった。
 ちなみにこのウィルス、感染しても全く気付かない。システム
やデータには甚大な被害は与えず、メールに添付ファイルとし
てくっついていって増殖するのだ。ナゼ気付いたかというと、
E島が
『この前のメールについてきた添付ファイルが開けない』
というメールをくれたからだ。
『ハテ・・・、この前のメールには添付ファイルはつけていない
 はずだが・・・』
と思って、自分で自分にメールを出してみると通常のメールに
加えて無題で添付ファイルのついたメールが送信されている。
『ナ・ナ・ナニ、これがコンピューターウィルスか・・・』
とビックリしたものの、とにかくこのウィルスを駆除しなければ
ならない。
 とりあえずウィルスを撒き散らしてはいけないので、携帯の
メールからプロバイダに連絡、やはりウィルスバスターを使用
するべしとの回答をいただいた。
 実は以前私はウィルスバスターを使用してはいたのだが、
有効期限が切れてしまってそのままだったのだ。後悔しても
後の祭り。新品を購入するしかない。仕事と消防団の定例と
の合間のわずかな時間を縫ってパソコンショップに出向き、
『ウィルスバスター2001』を購入。
 自分の感染したウィルスに対処しているかどうか不安だった
が、しっかりパッケージにもソフトにも対処方法が明記してあ
った。

 ウィルスを駆除してから分かったが、結構システムも不安定
になっていたのだ。特によくアウトルックエクスプレスがフリー
ズした。
 この点についてもプロバイダからいろいろ教えていただいて
勉強になった。

2001年
(平成13年)
2月1日(木)
日産プリメーラ

 何だかまだムチャクチャ寒いが、2月になってしまった。時の
経つのは早いもんだ。 
 ところで日産プリメーラの新型がデビューした。例のデザイナ
ーの中村さんが出ているのでシーマのCMかと思ったら、プリ
メーラだった。まあそのスタイルはマガジンXで見た通りなので
それほど驚きは無いが、斬新なスタイルであることに違いは無
い。これもシーマ同様に初代のコンセプトへの回帰であろう。

 私はプリメーラへの思い入れは強い。社会人になって初めて
買った新車が初代プリメーラであった。何しろこの初代のデビュ
ーの時は、私はまだ大学4年の身であったが、先輩と研究室
を抜け出して近くの日産のショウルームまで見に行ってしまっ
た。
 当時の日本車のセダンというのは
『大人がまともに座れない』
というほど全高が低くてスタイル優先であった。そんな時代に
『パッケージング』
というセールスメッセージを掲げ、まさしくそれはヨーロッパ車
の価値観でデビューした。
 前輪はマルチリンクサスペンションを採用し、その走り味は
完全にスポーツカーであった。・・・ただその足の硬さは普段
の用途にはチトきつかったが。

 当時ヒマだった私は、休日ともなると洗車してワックスをか
けていたものだった(ちなみに現在のハリアーは一度も自分
で洗車したことは無いが)。箱根へ行ったり、猪苗代湖へ行っ
たりしたのもこの車。キャリアーやカーナビなど、いろんなもの
をくっつけたのもこの車であった。
 私にとってはイチバン思い出深い車であったと思う。

 ただこの車も平成6年8月の工場火災の直後に、100万円
の現金と引き換えに手放した。
 さすがにこの時は涙がこぼれてしまったが。