・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2001年5月のページ

 
2001年
(平成13年)
5月10日(木)
録音メディア@
MDデッキ


 私のシステムのアナログ・カセットデッキが壊れて
しばらく経つ。別にウォークマンを使用するでもない
し、特に不自由していなかったが、先日やってきた
佐野女子高校ボート部のOG達が、
『金子さん、デッキが無〜い!! ナンデ〜??』
と騒いでいるので(それだけでも無いが)、久々に
録音メディア機器を購入する気になった。
 
 現状だとCD-RとMDの2つで、私個人的には
CD-Rだけで十分だと思っていた。ただ、車にMD
プレイヤーが付いているのと、大学生の後輩達は
MD派が多いだろうと思ってどちらがいいか悩んだ。
ちょうどその時アバックからダイレクトメールが来て、
ケンウッドのMDデッキ、ティアックのCD-Rデッキ
が半額前後の価格になっているので、どうせだと
思って両方購入してしまった。

 まず先に届いたMDだが、ハッキリ言って私は
MDに偏見を持っていて、どうしてもCDに対して
『圧縮・伸張』している、という先入観から(これは
DVDでも同じだが)ピュアオーディオには使用出
来ないと思っていた。
 ところが使ってみてビックリ。ポピュラー系では
私の装置でも録音前後で差が分からない。まあ
かなり厳しく聴いてみて低音の底力とかが落ちる
かな、という気はしてくるが、ただ単に気のせい
だけかもしれない。
 とにかく今のMDは大したもんだ。

 それ以上に驚いたのが操作性。CDに比べて
はるかに簡単で楽。そしてあの大きさ。これは
本当に楽である。
 メモリースティックはまだまだ記録時間が短い
から、しばらくMDが録音メディアの主流であり
続けるだろう。
 私個人的には長時間記録のLPモードは不要
と思っているが、実際はどうだろうか?

2001年
(平成13年)
5月9日(水)
プロジェクトX
スバル360


 昨夜のプロジェクトXは、朝新聞のテレビ欄を見て
知った。
『おぉ〜、いよいよ真打ち登場だあ!』
と楽しみにしていたが、仕事をしていて夜になると
忘れてしまう今日この頃(ボケてきた?)、今回も
ヤバかったがボートの後輩が掲示板に投稿してく
れたので、忘れずにしっかり見ることが出来た。

 この車の概要についてはある程度知っていたが、
それにしてもこの車の開発に秘められた物語は感
動的で、涙がポロポロこぼれてきた。

『360ccという当時のスクーターのエンジンで、
 大人4人を乗せて箱根の峠道を30分以内で
 かけ登る』
という開発コンセプトが、当時の技術力でいかに
無謀なものであったか。また開発主査の百瀬氏
の年齢が当時35歳であったというのビックリだ
った。開発者の平均年齢は29歳だったという。

 あの愛嬌のある丸っこいデザインも、見た目優
先ではなくて薄い鉄板で強度を出すためのもの。
この辺はまあ知っていたのだが、イチバン驚いた
のがサスペンション。なんとコイル・スプリングを
置く場所が無いのだという。結果開発されたのが
直線式のねじれスプリングだったというが、この
辺の設計は現代の乗用者も真っ青のパッケージ
ングだと思う。

 このスプリングが走行テストで折れてしまい、
最後まで時間がかかったが、運輸省のテストでは
見事に箱根の山道をナント24分で駆け登って
しまった。
 開発者の知られざる家族の苦労、赤字続きで
倒産しそうな会社の状況、・・・、1台の車にこれ
ほどのドラマが秘められた例も少ないであろう。

 多分普通乗用者の開発は、トヨタ・クラウンよ
りも先だったと思う。排気量1000cc(確か)の
乗用者の開発を終了させていた。しかし、
『富士重工ほどの規模の会社では、この車の
  生産・販売はムリ』
と銀行からの融資が受けられなかった。もしも
この車が世に出ていたら・・・、との思いは強い。
トヨタを凌ぐ日本最大の自動車会社になっていた
だろうか?
 なっていたかもしれないが、国民車:スバル
360は生まれなかったであろう。この辺の判断
は難しいところだ。

 なお、以前も書いたが私が物心ついた時に父
が乗っていたのがスバル・レオーネ(初代FF)。
この車のパッケージングもすごかった。
 先日久々にインプレッサがWRCで2位入賞。
がんばれ、スバル!


2001年
(平成13年)
5月8日(火)
ブックス・テン閉店

 昨日は丸1日外で塗装をやっていたので、頭痛で
クラクラ。今日が朝から雨(ナゼだか陽が出ているが
:午前7時30分)という天気予報だったからだ。塗装
をやった日だけは、夜は何もする気になれない。
 昨夜11時に寝たら、今朝は目覚まし無しで5時に
起きた。朝事務所で雑用を済ませることが出来ると、
落ち着いて工場に入ることが出来る。

 ところで私がいつも利用していた(ちゃんと購入し
ていた)ブックス・テンという本屋さんが閉店してしま
った。昨日通りかかったら閉まっていたのだ。もう
ひとつある方の店舗では営業を続けていくそうである
が、残念で仕方が無い。
 この本屋さんは私の家から出て行って車で10分
くらいで、道の左側にあるので車が停め安かった。
また店長さんの応対が丁寧だし、雨の日にはナイ
ロンの袋に本を入れてくれるなど親切だったのだが。

 私がラピタ掲載の時にも、
『小学館の雑誌に載るなんて、スゴク名誉なこと
  ですよ!』
とおっしゃって下さり、当方で作成したA4大のチラシ
を掲示して下さった。

 やはりビデオ&CDレンタルとドッキングした書店
でないと、これからは厳しいか・・・。

2001年
(平成13年)
5月7日(月)
腰痛・・・

 休み明けは大体において仕事のペースが上がらな
いもんだが、実に今日はだるかった。妙に腰が痛い。
昨日の操法大会は選手として出場したわけではない
し、ナゼだろうと考えてみると・・・、そう、大会用のホ
ースをひとりで巻いたのである。昨年までは先輩の
Mさん(私よりもデカイ!)が巻いていたのだが、今年

『俺や〜だ!』
というので、仕方なく私が巻いたのである。

 大会本番のホースは、大会用の特別なものを使用
してなおかつ実にきっちりと巻かねばならない。力の
ある人間が体重を乗せながら汗だくで巻くのである。
操法には6本使用するのだが、2本巻き直したので
合計8本巻いた。巻き方が違ってしまうといけないの
で、ひとりで巻かねばならない。
 一度やってしまうと、来年以降もやらねばならない
か・・・。

 ちなみに今日、
『ヤベエ!寝坊した!!』
と思って飛び起きたら、朝7時であった。

2001年
(平成13年)
5月6日(日)
消防操法大会終了

 ナンダカ町長のスケジュールの都合とかで、ナント
今日が大会になってしまった。例年よりも1週間早い。
来年こんなスケジュールを組まれたら、絶対に出場を
ボイコットすると皆で誓い合った。

 ところで今回私は操作員としては出場せず、もっぱら
3番員の指導。3番員というのはやることも多くて、教
える方も大変である。
 また今回は2番員も新人だったため、うちの分団は
1線と2線の両方で大変だった。3日前の状態だと、
例年の状態から比較して
『こりゃビリになっちゃうかな・・・?』
とマジで思ったが、ホースの延長が結構上手くいって
3位であった。久々の入賞。

 結果は別にして、1年で最もほっとするのがこの消
防操法大会の終了した日かもしれない。
 今回は安佐大会もあるので、また6月になったら
練習が始まるが、とりあえずひと息。

 
2001年
(平成13年)
5月5日(土)
結局こうなってしまった・・・

 私の部屋は寝る場所も無いが、出入りもひと苦労。
↓ドアーにある貼り紙。ナゼかというと、私自身が
いつも忘れていてスーパースワンKにぶつかりそうに
なってしまうから。




 ↓ドアーを開けると、そこには新作:スーパースワ
ンKがドーンと鎮座しております。
 この部屋の主はオーディオ装置様(特にスピーカ
ー)。人間はスーパースワンK様の横をすり抜ける
ようにして通ります。



 そんでもって今後ますます場所が無くなってしまう
ので、↓下のスピーカーをご希望の方におゆずりする
ことにしました。
 詳細はカネコ木工HP掲示板をご覧下さい。


2001年
(平成13年)
5月4日(金)
バックグラウンド補正

 連休中日、街中は車で溢れ返っている。ちょっとし
たところへ行くにも、普段の倍の時間はかかる。他人
と同じことをするのがキライな天邪鬼・カネゴンは、
こんな日は外へ出ないことにしている。幸いなことに
自営業は中に仕事が溢れている。ずっとビンボー
暇無しだ。

 6日(日)が消防団の操法大会という、トンデモナイ
日程を役場に組まれてしまったために今朝も明日も
練習。今晩は夜7時に集まって大会の準備と練習の
打ち上げだ。ヤレヤレ・・・。

 ところで表題の「バックグラウンド補正」とは、私の
大学4年の時の「臨界領域でのスピノーダル分解」
という、実にヤヤコシイ名前の卒業研究において行
われていたもの。散乱が起こっていない状態でレー
ザー光強度(透過光強度)を測定して、測定値から
ノイズ成分を削除するというものである。

 私がよく見る日曜夜9時からの『知ってるつもり?』
という番組は、偉人の余り世間に知られていない部
分にスポットを当てている。

 普段マンションに収めているキャビネットは、お客
様は扉とか取っ手とか付属品とか、そういう目に見
える部分しか注目しないが、実は目に見えない部分
のキャビの構造とか裏板の組み方とかの方が大事
である。

 家とかマンションとかも、まず基礎のつくりが大事
である。だけどお客様は壁の材料とか、調度品とか
そういう目に見える部分しか評価しない。・・・全てが
そうではないだろうが。

 今後もずっと目に見えない部分が評価されないか
と半ば諦めの気持ちを持っていた。しかし今回、ス
ーパースワンKの音を大変評価していただいた。こ
の設計は長岡先生のもので、一般の方々も数多く
制作された傑作である。ユニットが超・強力なため、
キャビの組み上げ精度が音に直結したとも言えるが。

 対人関係においても、その人間の表面的な部分
では無くて、その人の生きて来た過程:バックグラ
ウンドを知り理解することで、より円滑な関係が築
けるのではないか?

 
2001年
(平成13年)
5月3日(木)
ウォーターフェアー中止

 毎年連休初日のこの日は、ボート・カヌー・ヨット
3団体合同の「ウォーターフェアー」が藤岡町の谷
中湖で行われる。
 今まで中止になったことはなかったのだが、今回
は昨日夕方から雨が降り出した。開催を危ぶむ高
校生部員の投稿が掲示板にあったので、早速担当
の地元教育委員会(早い話が私の後輩)に電話を
入れた。中止の決定が出るのは朝6時30分〜7時
だという。全く遅い時間と思いつつも、その旨投稿し
て昨夜は休んだ。

 今朝5時30分に起床したらどしゃ降り。天気予報
も午前中いっぱいは降るという。さすがにこの時間で
は悪いと思い、6時近くまで待って携帯に電話。

 私:『オマエどう考えても今日は中止だろ?』
後輩:『でもこれから出て行って話しますんで、
     7時頃にならないと・・・』
 私:『バカヤロー!!
     高校生部員は6時ちょっと過ぎには動き
     出しちゃうんだよ!何でそんなに決定の
     時間が遅いんだよ!!
     どうせオマエと課長の2人で決定するん
     だから、とっとと電話で決めろ!』


 その5分後には中止の連絡。すぐさま私は事務所
に行ってパソコンの電源を入れて、ボートの掲示板
に投稿する準備。その間2台の携帯電話(auとiモー
ド)の両方を駆使して、県内で来る予定だった人間
にメール。高校生の方はギリギリで間に合った。
 掲示板に投稿して、ひと通りのメール連絡が終わ
った。ちなみにこの間の連絡は一切電話連絡無し。
全て携帯のメールである。
 ナゼ携帯かというと、最近は携帯間のメールの
やりとりの方が多く、パソコンのアドレス帳に残っ
ていないからである。
 もうひとつはauの最新型メールは「To、Cc、Bcc」
と合計3人に同報送信出来るので、非常に便利なの
だ。

 そんなこんなでひととおりの連絡作業を終えたの
が午前7時ちょっと前頃だったか。「ヤレヤレ・・・」
と思ってたら、私の携帯(通話)が鳴った。

『あの〜、今日中止なんだって』

うちのT理事長であった。笑い話では無い。

2001年
(平成13年)
5月2日(水)
部屋の主



 私の部屋を訪れた人に必ず
『どこに寝てるんですか?』
と尋ねられる。ラックの横を指して、
『そこに布団敷いてるんですよ』
と説明してきたのだが、いよいよその私の寝るスペー
スが無くなってしまった。

 今まで写真右のKD-S10000がリファレンスの座
に君臨していたが、写真左の新作:スーパースワンK
を部屋に入れたら、マジで私の寝ていたスペースに
そのスーパースワンKが来てしまった。普通に考えれ
ばこんなでかいスピーカーが2セットも同居するなんて
考えられないことだが、自分で設計した作品だから仕
方が無い。今両方をA、B切り替えで聴けるようにして
ある。

 昨日KD-S10000のユニットをFE108ESUに
換えた。昨日はぱっとしなかったが、今日の午後
がんがん鳴らしていたら、やっと低音が出て来て音
の切れが良くなってきた。

 今は寝る時にヨッコラショイとスーパースワンKを
どかして布団を敷いている。