・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2001年6月のページ

 
2001年
(平成13年)
6月10日(日)
携帯のメール

 私も携帯電話のメールを使用し始めて半年以上になるが、
ようやくまともに使えるようになってきた。とは言っても高校生
&大学生が使用しているような、機関銃を撃つような入力の
速さはとてもじゃないが無理だが、まあ実用に耐える速さに
はなってきたとは思う。。

 パソコン間のメールと携帯間のメールの両方を使用していて
分かるのは、両者の性格には明確な違いがあるということ。
パソコン間のメールは『手紙の延長』であり、携帯間のメール
は『会話の延長』である。成り立ちから見れば当然かもしれな
いが、パソコン間のメールがちょっとした外交辞令から始まっ
て用件が最後に来るものが多いのに対して、携帯間のメール
は「今日ヒマ?」とか本当に用件だけで、これはまさしく会話
の延長である。熟練者であってもあのキーを打つのは面倒だ
ろうから、必然的に文章も短く簡潔にならざるを得ない。

 私の場合はパソコンからのメールも携帯に転送されてくる。
以前は夜まとめてパソコンから返信を打っていたが、最近は
携帯から返信を打ってしまう。その際必ず文の最後には
『取り急ぎ携帯より』
の一文を入れるようにしている。そうすれば先方も
「ああ、とりあえずメールは見てくれてるんだな
  携帯からだから気の利いた文章は書けないな」
と納得してくれる・・・に違いないと思いこんでいるのだが。
 
 パソコンに来たメールは受信トレイに保存されてプリントア
ウト出来るが、携帯に直接来たメールはプリントアウト出来
ない。そんじゃどうするかというと、自分の携帯から自分の
パソコンに転送させてしまってパソコンからプリントアウトし
ている。ボートの用件は皆直接携帯間なので、T理事長に
用件を伝える場合はそうしてプリントアウトした書類に、私の
ひと言を添えてFAXしている。とってもメンドウなんだけど、
仕方が無い。

 携帯間のメールのやりとりではあまり意識しないが、パソ
コンから携帯にメールを送る際には注意が必要である。ま
ず根本的な設定として、必ずメールの形式は『テキスト形式』
にしておかねばならない。『HTML形式』で送ってしまうと
携帯で見る時にHTMLのタグがズラズラと文章の前後に並
んでしまって、ただでさえ少ない文字数を食ってしまうだけ
でなく、文章がどこにあるか分からなくなってしまう。
 あとやはり文字数制限。iモードでは250文字制限はやは
り基本。J-フォンでは170文字までがメール送受信が無料
らしいので、そこがひとつの目安になる。
 私の場合は相手が携帯で文章が長くなる場合には、用件
@、用件A、・・・てな感じで大体150文字くらいのところで
文章を切って、分割送信している。メールを転送する場合に
は、

『これから○○の用件のメールを転送するよん!
  よく見てチョンマゲ!』

とまず一件送信しておいてから、メールを転送している。

2001年
(平成13年)
6月9日(土)
英文メール

 5日(火)のところにちょっと書いたが、今回来た英文メール
で『英語ページが無いのが残念』くらいのところは分かったが、
やっぱり本文のきちんとした内容までは分からない。中学・
高校・大学と合計10年間も英語やってて今だに会話もまとも
に出来ないのは実に情けないが、しかし大学卒業してから10
年以上もブランクがあると英語忘れても当然。・・・と開き直った
ところで、やっぱりこんな時に頼りになるのは優秀な後輩。

 前回Stefan氏からの英文メールを解読してくれた後輩・Sは
就職活動奮闘中で忙しい身なので、既に内定出ていて余裕
しゃくしゃくのもう一方のSを頼りにすることにした。彼は当然
iモードを所有しているので、いきなり該当メールを転送しても
何がナンダカ分からないだけだし、iモードの250文字という文
字数制限もあるのでメールを3回に分けて送信した。ものの
数分で返信が来たのは大したもんだ。やはり脳みその出来が
私とは違う。

 そんでもってその英文メールの内容というのは、

『英語ページが無くて残念。
 英語でサポートしていないのか?
 なんとかならんのか?』

ということらしい。なんとかならんのか?と怒られてもなんとも
ならないし、日本国内だけでも相手しきれないのに外国まで
手は回らないのだ。
 そしてこのメール、どうもMSNか何かのサービスを経由して
来たらしく、送信者のアドレスが分からない。といっても英語
でメール打つ自信も無いで、また見るであろうからHPのトップ
ページで謝っておくことにした。・・・ナゼに謝らねばならないの
か非常に良くワカンナイのだが、

『Sorry,Japanese Only. Since 1999/8/8』

の文字をちょいと書体を変えてカネコ木工HPのURLの下に
加えた。多分これで海の向こうで

『なんだコイツ、英語ダメなのか?アホやなあ!』

と納得してくれているに違いない。例え納得してくれなくても

『まだ英語ページが出来んのかいな!!
 早くしなはれ!』
 
とかいうメールは来ないであろう。
 ちなみにこのJapanese Only は 『日本語だけ』 という
よりも 『日本人だけ』 という解釈を受ける可能性もあると
いうことだが、かえって後者の解釈の方がいい気もするので
問題無いだろう。

 しっかしまあ、田舎の木工所のHPでこんなメッセージが必
要になろうとは、インターネットとは不思議な世界である。多
分スーパースワンとかKD-S10000とかの奇妙キテレツな
形のスピーカーに興味を示したに違いない。

 正確に言うとカネコ木工HPの正式アップ日は1999年の
7月最後の週なのだが、メンドクサイので8月8日にしてしま
った。当方の工場火災の日(平成6年)なので、絶対に忘れ
ないからだ。

2001年
(平成13年)
6月8日(金)
たまには仕事をサボるのもいいもん
 ・・・かな?

 昨日のサッカー・コンフェデ杯は日本がオーストラリアに1−0
で勝利を収めて、見事に決勝進出を決定した。ともかくもスゴイ
ことだ。決勝の相手はあのフランスだが、果たしてどんな試合
になるだろうか?そして中田ヒデ選手が帰国してしまうらしいけ
ど、大丈夫だろうか?

 それにしても昨日は午後5時に試合が始まってしまったので、
私がテレビを見た時にはもう残り10分であった。今朝 日本テ
レビの朝のニュースを見ていたら、やはり社会人サポーターは
仕事をサボって(早退して?)会場へ応援にかけつけたのだっ
た。そのスーツ姿を見て思い出したボートのレースがある。

 今から15年も前になるか、ボートのソウル・オリンピックの
国内予選が埼玉県の戸田コースで行われていた。同期の蔵
田君が中央大学クルーで出ていたので、私も電車で見に行っ
たのだが、戸田公園駅で降りたら後方で

『戸田コースって、どうやって行けばいいんですか?』

と尋ねる声。見ると40歳〜50歳くらいのスーツ姿の男性が
いっしょうけんめい駅員さんに尋ねている。駅員さんもいっしょ
うけんめい説明しているのだが、私が戻って

『私が戸田コースに行きますから、いっしょに行きましょう』

と声をおかけした。
 その方は三好選手のおじさんという方であった。都内の有名
電気会社にお勤めで、その日は日曜日でありながらお仕事を
されていたということだが、三好選手のレースのことが気がかり
になってしまって仕事が手につかず、たまらず会社を飛び出して
来てしまったという。
 三好選手(などとお呼びするのも大変失礼で、私の大先輩に
なるのだが)は日本代表の実力を持ちながらも、その時の国内
選考合宿で代表から外され、マツダオート東京から同僚の小林
選手と舵手無しペアーという2人漕ぎの種目で、レースに出場
していた。
 マツダオート東京の艇庫(現在研修所)に行ったら、コーチ
(多分大林さん)とミーティング中。まあレース前のピリピリし
てる選手に声をかけるのは非常に気が引けるので、そのま
まコースへ行った。

 そしてその2−:舵手無しペアーの国内選考決勝レースは
壮絶なものとなった。普通こういうレースは形式的なものが
多く、日本代表クルーが大抵2位以下に10秒前後の大差を
つけて圧勝するものなのだが、この時だけは違った。日本代
表クルー(十河選手&岩畔選手)とマツダオート東京クルー
(三好選手&小林選手)の完璧なマッチレース。これぞまさ
しく
『水が空かない』
展開で、というよりも半艇身以上の差がつかないモノスゴイ
展開。こういうレースは見ている方には面白いが、漕いでい
る方にはたまらなくツライものである。

 やがて中央大学艇庫前にさしかかると、これはもう中大部
員がマツダオート東京クルーの応援で大合唱。お2人ともに
中大ボート部のOBだから。完全に並んでいて、どちらがリー
ドしているか分からない。私の横にいた三好選手のオジさん
は、たまらず駆け出してしまった。

 そしてまさしくゴール前のラストスパートの掛け合いの、
(選手にとっては心臓がつぶれそうになるくらいのつらい状
態!)最後の競り合いになった時に、そのおじさんのひとき
わ甲高くて大きな声が響いた。

『サトル〜!!、がんばれ〜!!!』

多分この声は選手に届いたと思う。それくらいに大きな声で
あった。
 そしてゴール。中大艇庫近辺にいた私にはどちらが先に
ゴールしたか分からなかった。それくらいに微妙な差であっ
た。ただ何となくマツダオート東京のお2人がガッツポーズ
をしているようにも見えたが、目の悪い私には良く見えない。
そうしたらおじさんが駆けて戻ってきた。

『勝ちました〜!!』

「おぉ〜!そうですか〜!ヤッタヤッタ〜!」と大騒ぎしなが
ら握手したのだが、すぐさまそのオジさんは
『じゃあ、私仕事があるんですぐに戻ります。』
とまたしても駆けていってしまった。別れ際に名刺をいただ
いたのだが、うちの火事で焼けてしまったのでお名前が分
からない。
 このレースの模様は、その日の夕方のスポーツニュース
でも放映された。

 このレースは日本代表クルーが国内選考で負けてしまった
という多分唯一のものになるであろうが、その後の代表選手
の選考のありかたに一石を投じたに違いない。私の思い出
深いボートレースの中のひとつである。

 ボートのレース中にいただく声援というのは、実に選手を
勇気付けるものである。特にコックスの乗らない小艇だと、
実に選手の耳によく届く。
 人生でも節目節目で、後で思い返すと
『あのひと言が・・・』
ということが多い。決してそういう言葉は説教調ではなくて、
その人のポツリと漏らしたような、そんな短い言葉が多いも
のである。しかしそれが実に重みのある深いものなのだ。


2001年
(平成13年)
6月7日(木)
シングル・スカラー その2


 先日書いた武田選手も長谷選手も普段はシングルスカルを
1人で漕いで練習していて、世界選手権などへの派遣合宿の
時に初めてダブルスカル(2人漕ぎ)やクォドルプル(4人漕ぎ)
などを漕いでいる。
 
 今年の日本選手権のダブルスカルで突如出場して、圧倒的
な強さで優勝した長命路クルーも、普段は別々に1人で練習
している。なんだか2人でいっしょに練習したのは全日本選手
権の2日前だったとか。ちょと見た感じではまだ漕ぎに荒さを
感じるが、それにしても昨年優勝のNTT東日本東京クルーを
10秒も引き離して優勝してしまうなんてスゴイもんだ。また
有力な日本代表候補が出現した。

 高校生も完全にスカル(2本オール)化したが、今後はます
ます
『とにかく優秀なシングル・スカラーを育てて』
その後にその漕手をシングルか、ダブルか、クォドルプルか、
と種目に振り分けていくような方向になると思う。スィープ(
1本オール)の実力低下が懸念されるが、どちらかというと日
本が世界と勝負するためには、やはりスカル種目の方が向
いていると思う。技術的な面で、差を詰め易いと思うからだ。

 元々実力の無い人間が群れても何も生み出さない、という
か日本企業では得意の
『足の引っ張り合い』
をやるから、何のための組織か訳分からなくなる。元々実力
のある人間が2人、4人と集まればそれが相乗効果で実力
以上の力を発揮することは容易に想像出来る。

2001年
(平成13年)
6月6日(水)
TE27さん、流離いの旅人さん
ご訪問


 6月2日(土)にTE27さんが山梨県から、流離いの旅人
さんが小山市から、ご訪問された。お2人ともに長岡鉄男
先生のところで知り合い、以後メールを通じて交流が続い
ていたが、この度ようやくご訪問となった次第。本当にお2
人には様々な情報を提供していただいてお世話になりっ
放しである。またお2人ともにオーディオ自作マニアである
が、そのこだわりもすごくていろいろ作る。TE27さんのス
ピーカーは私のHPにも写真がアップしてあるが、あの仕
上げといい、プロ顔負けの作品。というか私は仕上げは
専門外だけど・・・。

 流離いの旅人さんは同じ栃木県なので当方宅がすぐに
分かるかな?とは思っていたが、TE27さんは遠方なので
東北道・佐野インターまで迎えに出ようと思っていた。そう
したらカーナビと私のHPにアップしてある地図で、ナント
当方宅まで直行で着いてしまった。これにはタマゲタ!車
の運転がキライな私には到底無理なことである。私はカー
ナビがついてても、いつも道を間違えている。ヒドイもんだ。
 基本的に方向音痴なので、見知らぬ土地だと来た方向
と帰る方向が分からなくなってしまう。良く間違うのが池袋
駅近辺。もちろん電車で行くのだが、東急ハンズに行って
帰る時にいつもぐるぐる回ってしまう。
 ただまあ、人間誰しも得手・不得手があるのだから、これ
は仕方が無い。全てがカンペキな人間などいない。肝心な
のは自分の苦手・欠点をよく認識しておくことである。

 お2人ほぼ同時に予定時間に当方宅へ到着したが(これ
にもタマゲタが)、もっとタマゲタのは私の部屋に入ってか
らず〜っと私のスピーカーを前から後ろからじっくり見てて、
ぜんぜん席につこうとしないのだ。この辺はお客さんによ
って反応が全然違うのだが、こんなにもじっくり見てる人も
初めてだった。まあご自分で制作されるのだから、当たり
前かもしれないが、とにかく促して座っていただいてご持参
のCDを聴いていただいたが、各々のスピーカーの印象は
私のものと一致していた。

 流離いの旅人さんは、
『う〜ん、おかしいおかしい、何か秘密の対策がしてあるに
 違い無い』
と本当に念入りにスピーカーや装置の周辺を見て回ってお
られたのだが、私のシステムは本当にこれといった対策は
何もしていない。
 壁のベニヤが少し厚いのと入り口に防音ドアーをつけた
くらいで、基本的にはオーディオには全く向かない部屋であ
る。何しろ壁と床が弱い日本家屋構造だし、しかも2階だか
ら床の弱さはなおさらで、更に加えてジュータンの敷き詰め。
本当にオーディオ的には悪いことばかり。
 基本的にいい加減な性格なので、細かいアクセサリーを
使用してどうこう、といったことも全くやっていない。まあや
ったのはアンプとCDプレイヤーの電源ケーブルを自作の
ものに変えた程度。これは長岡先生の方舟で効果を実感
していたからだ。全体に音量が若干上がったような感じに
なり、低域の力強さが増す。スピーカーケーブルはホーム
センターで売ってるビニール・キャブタイヤ構造のもの。確
かメーター辺り数100円。これもやっぱり太い方が低域の
力強さが増す。というかアンプがMOSなので、元々高域が
ものすごくキレイだが低域が弱い方向にあるので、低域を
強くする方向で対策を施してきた。・・・ただケーブルを交換
しただけだけど。
 ピンケーブルはオーディオテクニカ製で、1.5mで5,000
円前後のもの。ナゼこれになるかというと、近くのハードオ
フで売っているからだ。いくつも買ってきて比較して 『コレ
だ!』 と選択したものではない。
 以前長岡先生のところで1.5mで約15万円!というケー
ブルで試聴させていただいたが、私にはその差が分からな
かった。ケーブルに金かけるのなら違うことに投資したほう
がいいと思う。・・・とは言っても趣味の世界だから、個人の
自由だけど。
 
 お2人ともにスーパースワンKの方はおおよその予想は
ついていたと思うが、KD-S10000の方は特に低域の
力強さに驚かれていたようである。
 ただ私としてはKD-S10000+FE108ESUの音には
かなり不満である。スーパースワンKの時にはその音に私
自身もかなりビックリしたが、KD-S10000のユニットを
交換した時には 『アレ?』 と思った。どうにもボーカルの
声が伸びていないし、低域もそれほど力強くなったとは思
わなかった。ユニットの実力を引き出していない。やはり
全てが小さいのだ。

 現在頭の中で設計進行中のメインスピーカーだが、あの
ティアドロップスタイルの積層ヘッドは2度と作りたくない
ので、ヘッドの構造はスーパースワンKと同じような構造。
強度的には十分なはず。何しろトゥイーターが載せられる
というメリットがある。FE108ESUに合わせて、空気室
内容積とスロート断面積は大型化。炭山さんがオーディオ
アクセサリー誌に発表されたBHの、空気室内容積:3リッ
トル、スロート断面積:50cm2というのが多分ベストな線
だと思う。昨日エクセルで計算してみたら、やはりその数
値が出て来た。
 KD-S10000の時には当初は3×6板(915mm×
1830mm)からの板取りを想定していたので、300mm
という数字(短辺方向からだと3枚とれる)にこだわったが、
フィンランドバーチ合板は4×8板(1220mm×2440m
m)なので、300mmにこだわる必要は無い。400mm、
600mm、800mmといった数字が板取りしやすい寸法だ。

 ホーン全長は3.4m、これはいい線だと思う。問題はホー
ンの広がり係数とホーン開口面積だが、KD-S10000の
ホーン開口面積は600cm2あって、これは30cmウーフ
ァーの振動板面積:約540cm2よりも大きいのだ。今計算
してみて分かった。ボディの幅が大きく出来れば、それより
も大きく出来るのは明白。ちなみに38cmウーファーの振動
板面積は約900cm2。ここまで迫れるかな?
 とにかく分かっていることは、聴感的にも特性的にもホーン
開口面積は十分に広げてやったほうがいいということ。ただ
これはキャビが大型化するのだが、目的に応じてということ
である。例えばスペースファクター優先のKD−100では、
あれでギリギリの寸法である。

 普通のスピーカーユニットに対してこんな数値を与えたら、
絶対に過負荷でだらしない音になってしまうが、超・強力な
FE108ESUだったら十分にホーンをドライブ出来ると思う。
目標は低域を30Hzまで完全にフラットに再生すること。KD
-S10000+FE108ESUの特性からして、十分可能なハ
ズだ。低域全体が3dBくらいアップすればいいのだから。
 
 人生と同じでそうそう目標通りに事が運んだら苦労しない
が、KD-S10000とスーパースワンKバージョンがベース
の設計だから、まず間違い無いと思う。仮に失敗したところ
で他人の命を奪う訳ではないのだから、気楽なもんだ。

 TE27さんの日記ページはこちら。
 6/2と6/3のページです。

 流離いの旅人さんの本日の一家言はこちら。 
 6/2のページです。

2001年
(平成13年)
6月5日(火)
頭がパズル

 オーディオ評論家の故・長岡鉄男先生は電車の中でスピ
ーカーの設計をしていたというが、多分本当だろうと思う。
またお父様のお通夜の席でも裏で原稿を書いていたいうが、
これも本当の話だと思う。

 私もスピーカーの設計はほぼ頭の中で行っている。大体
スピーカーユニットの口径によって使う数値が決まっている
から、おおざっぱなアウトラインは頭の中で出来るのだ。特
にバックロードホーンではその数値を元にしてパズルのよう
に直方体に組み立てていくのだが、
『これでまとまる!』
という音道構造が出来た時にざっとノートに書き出してみて、
それから方眼紙で細かい数値を決めていく。
 現在はラックも含めて5機種くらいが頭の中でグルグル回
っている。

 ところで今日また外人からメールが来てしまった。多分
カネコ木工HPを見てだと思うが、要するに
『英語ページが無いのが残念』
という内容だった。もちろん英語。外国からのメールは先日
のステファン氏,、そして韓国オーディオ企業に次いで3通
目だが、とてもじゃないが英語版HPまでは手が回らないん
だよナア・・・。


2001年
(平成13年)
6月4日(月)
シングル・スカラー その1

 今日はやけに暑いと思ったら、ナント34℃近くまで気温
が上昇していたそうだ。コリャア、真夏だ。

 昨日はお昼ちょうどに佐野を出て、午後1時に戸田に着
いて、午後4時に戸田を出て午後5時に佐野に着いた。
要するに午後、ボートの全日本選手権を見に戸田コースへ
行ってしまった。
 中央大学4×クルーが敗者復活戦で負けてしまったので
『クルーの写真を撮る』
という目的は無くなってしまったのだが、やっぱりエイトの
決勝が見たくなった。とってもレベルが高くて見応えのある
ものだった。今年若手中心に初めてエイトを組んできた明治
生命クルーも大したもんだが、それを抑えたNTT東日本東
京クルーもやはり大したもんで、東京大学以来の4連覇達
成!来年の対決がさらに楽しみで、高いレベルで競り合って
行ければ日本のボートのレベル向上にもつながる。

 ところで帰宅してからタイマー録画しておいたビデオを見た
が、今年の放映はとても興味深いものだった。昨年シドニー
オリンピックで初の決勝進出を果たした武田選手と長谷選手
がインタビューを受けていたからだ。

 ボートというとエイトを思い浮かべて
『究極の団体競技』
と言われるが、シングルスカル(1人漕ぎ)で言えば
『究極の個人競技』
である。何しろ全てを1人でこなさなければならない。誰も
頼れない。艇の準備から移動から調整から、練習計画の
作成・実行・・・、とにかく全て1人でこなすのだ。相当に
神経がタフでないとやっていけないのである。私は無条件
にシングルスカルの漕手:シングルスカラーを尊敬する。

 シドニーオリンピックで決勝進出を決めた準決勝のレース
は、ラスト200mを過ぎたところでギリシャを逆転して3位に
なったという感動的なものだったが、インタビューの中で武田
選手は、

『いやぁ、ギリシャクルーのオールがばたついてるのが音
 で分かったから、そんなに焦んなかったですよ』

とさらりと語っていた。
 その前のザグレブの世界選手権でも、男子軽量級4×
(4人漕ぎスカル)で日本は優勝したのだが、この時もラスト
でイタリアを抜いたのだった。やはりこの時も

『イタリアのオールがばたついているのが分かった』
(月刊ローイング・三本選手の後日談)

という。これはとてつもなくスゴイことである。相手を冷静に
見なければならないコックス(舵取り)ならともかく、漕手が
しかもラストスパートの競り合いをかけている段階で、先行
しているクルーの状態が分かるというのは、ものすごく鋭敏
な神経と感覚を持っていると言わざるを得ない。やはり一流
選手にならないと分からないものだろう。ラストスパートの状
態なんてのは心拍数は限界に達しているから、普通ならば
漕いでいるだけであっぷあっぷである。

 昨日のシングルスカルは武田選手の圧勝で初の5連覇
達成。ちなみに2位はやはり長谷選手。武田選手の年齢
はまだ27歳。スカル漕手のピークは32歳〜34歳辺りで
はないかと思われるから、まだまだ連覇は続くであろう。
あと5年続けば10連覇(!)か。
 まあそれも楽しみなんだが、武田選手を脅かすような若
手が出て来て高いレベルで競り合うことが出来れば、更に
面白いことになる。
 
 最後に、アテネ・オリンピックへ向けた武田選手のひと言。

『今度はメダル取れな、しゃあないでしょ!』

 
2001年
(平成13年)
6月3日(日)
DVDソフト その2
ハムナプトラ


 このDVDは冒険物&特撮物であるが、とっても面白い。
ナゼこれを購入したかというと、秋葉原の石丸電気6Fの
ソフト館でデカデカと広告されていたからだ。この時は予算
オーバーで購入出来なかったが、後日宇都宮のバージン
レコードで購入したのだと思う。
 
 とにかくラストまで一気に見てしまう展開は見事だし、
ストーリーもそれほど複雑でないので余り余計な神経を
使わない。特撮シーンも面白いが、何よりもイチバンあり
がたいのが大迫力のサラウンドシーンだ。イムホッテプが
砂嵐で飛行機を飲み込むシーンがあるが、これの迫力が
スゴイ。サラウンドスピーカーの能力を試せる。時間の限
られたお客さんにちょっと見せる時は、ここを使用する。
 
 なお『ハムナプトラ2』の上映が始まっている。これは
特撮効果も含めてさらに面白くなっているという。もちろん
DVDソフト化されるのを楽しみに待っている。

2001年
(平成13年)
6月2日(土)
栃木県ボート協会事務局

 昨日数多い電話の中の1本が、栃木県体育協会からのもの
であった。基本的にここんちからの電話は、うちの本業の電話
と同じでクレーム電話である。ハッキリ言ってその割合は限り
無く100%に近い。

 携帯電話の送信者表示でこの名前を見ると、
『やべえ・・・』
と思ってまず電話に向かってお辞儀をしている。そして実に低
姿勢で電話に出る。そしてあちらの用件は案の上、

『イツイツにお送りしたコレコレの書類が、締め切り期日を過ぎ
 ておりますが、こちらに到着しておりません!』

で、こちらの返答も毎回のごとく

『ハ!書類はうちのT理事長に送ってあります。
 至急T理事長に確認しますので・・・』

 なぁ〜んでボランティアのために頭を下げなきゃならんのか
実に良くワカンナイのだが、ともかく相手に迷惑をかけている
ことには違い無いので、これも毎度の如く速攻でT理事長宛
てにFAXを書くのだ。T理事長は学校のしぇんしぇいなので、
電話しても授業中だと本人につながらないし、ましてや携帯
電話も持ってないからFAXを書くしかない。まあT理事長の
学校は事務員さんがマメなので、結構早くFAX文書を本人の
ところに届けてくれるのがせめてもの救いだが、午前中に出し
たFAXに

『当方携帯電話に至急連絡ください』

と書いておいて、連絡が来たのは午後6時30分過ぎである。
やはり住んでいる世界が違う。
 
 それにしても参ったのは体協名簿に載せる名簿の確認で、
うちの協会は副会長が変わっているのだが、コレなんと勤務
先住所と電話番号まで記載しなければならない。〒番号も
あるのでかなり面倒なのだ。名簿は1年間使用するので、
間違っていると大変。だから何回か確認せねばならない。
実に面倒。
 
 全員がEメールアドレスを所有していれば、こんな面倒な
名簿いらないんだけどナア・・・。


2001年
(平成13年)
6月1日(金)
DVDソフト その1
ライフ・イズ・ビューティフル


 今日は実に電話が多かった。10本以上はあったろうか?
特にお昼には12時から1時のあいだに4本もかかってきた。
全く、昼寝もしてられない。
 

 ところで、パイオニアのDVDビデオプレイヤーを購入してから
1年ちょっとになるだろうか。まともに(最初から最後まで一気に
)見たソフトは『がんばっていきまっしょい!』くらいなもので、
ろくに見た経験が無い。ソフトは買ってきても自分では見ずに、
私の部屋へ遊びに来た人間が見ている。私は裏の工場で仕
事やっている。これがいつものパターン。

 まあじっとしているのがキライな自分の性格もあるが、ひとつ
気が付いた。スピーカーだ。というのは先日アップしたDVD用
のサラウンドスピーカーをセットしたら、これが実に好調で気分
がいい。そしたら次々にDVDを見たくなった。本当に私は単純
である。

 とはいってもじっとして2時間も3時間も見ているのは苦痛以
外の何物でもないので、毎度のごとく20分〜30分くらいの
コマ切れ鑑賞である。以前はチャプターと時間を覚えておくか
書いておくかでいちいちセットしていたが、パイオニアのDVD
プレイヤー(他メーカーにもあるのだろうか?)にはレジューム
機能というのがあるのを発見。これポーズかストップでそのま
まにしておくと、見たところまでで節電機能になって待っていて
くれるのだ。

 最近見た中ではブックオフで中古ソフト購入してきた、トム・
ハンクス主演の『グリーン・マイル』が良かった。これは2枚組
だが、新品だと5000円以上するようである。中古なので38
00円くらいだったかな、とにかくタイミングが良かった。死刑囚
の刑務所でトム・ハンクスが看守役。さまざまなドラマがあって
考えさせられる。
 
 あとはやっぱり『ライフ・イズ・ビューティフル』。このDVDソ
フトにはいろいろいきさつがあって、購入したのは昨年の夏で
ある。8月末のウォーターフェアー(確か雷雨が来てお昼で中
止になった日)の後、手伝いに来てくれた佐野女子高校ボー
ト部のOGを乗せて帰る途中、帰りにO嬢が

『やること無いナア・・・。暇だあ・・・。
 そうだ!金子さん家でDVD見る!』

と勝手に決めている。私は何も言ってないのにそういうことに
なっているので、仕方無いのでその時部屋にあるDVDソフト
の名を挙げたら、

『見たいのが無〜い!』

と騒ぐ。「ナンナンダ、オマエらは・・・?」と思いつつも、仕方
ないので帰りにショップで

『好きなのを選びなはれ!』

 というので選ばせたのだ。ちなみにウォーターフェアーは2日
あるので2本購入した。要するに2日間連続で見て行った。もう
完全に私の部屋を自分の部屋だと勘違いしている。・・・だった
ら部屋の掃除をしてくれると助かるのだが、毎回

『部屋が汚〜い!』

と騒ぐだけで、いつもゴミ(お菓子やジュース)をたっぷり残して
いく。これがいつものパターン。
 
 購入したソフトは1本が『イングリッシュ・ペイシェント』、そし
てもう1本が『ライフ・イズ・ビューティフル』。前者は私も見た
ような記憶があるが、何だかストーリーの展開が難しくてアホ
な私の脳みそでは良く分からなかった。

 彼女らが『ライフ・イズ・ビューティフル』を見ていた時は、
私は工場でKD-S10000を制作していた。9月に富山国体
へ監督で行くことが決まっていたので、その前に制作を終わ
そうと思っていたからだ。
 
 そんなこんなで半年以上も眠っていた映画ソフトだが、これ
は実に感動した。常に明るくユーモアに振舞う主人公が、家
族でナチス収容所に放りこまれる。そこに待っているのは
過酷な肉体労働と死という極限状態だ。かつての映画がこの
部分を(当然だが)暗く残酷に描いていたのに対し(特にシン
ドラーのリスト!)、この映画では主人公が子供(男の子だが
本当にかわいい!)に対して

『これはゲームなんだよ!
 1000点もらえたら戦車がもらえるんだ!』

と嘘をつきながらも懸命に励まし続けて希望を持たせる。そし
て最後には・・・。
 本当に感動の映画である。

 『どんなに絶望的な状況でも、夢と希望とユーモアを捨て
  ちゃいけないよ!』

と教えてもらっているような気がする。

 たまにはアイツラ(佐野女子高校ボート部OG)に、少しは
感謝するか。いい映画をセレクトしてもらったからなあ・・・。
なんて書くと、これを見ているHが調子に乗るので適当に
しておこう。H、くしゃみしてるでない。

 ボートの全日本選手権、佐野高校ボート部OB3人が乗る
中央大学クルーは残念ながら敗者復活戦で敗れてしまった。
実に残念だが、これから大学選手権へ向けて気持ちを入れ
替えてがんばってほしい。