・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2001年6月のページ

 
2001年
(平成13年)
6月30日(土)
トヨタの凄さ
B耐久性


 『トヨタ車は壊れない』
これはもはや定説になっている。『壊れない』と断定
してしまうと極端かもしれないが、とにかく故障が少
ない。私の父が乗っていたハイエースは10年間故
障無しだったし、私が乗っていたハリアーは、カーナ
ビの画面を交換したのと2000年問題で発生した時
計の表示機能を直してもらっただけだ。
 私の知り合いでトヨタに乗っている人から、製造段
階での原因と思われる深刻なトラブルの例を聞いた
ことが無い。

 自動車専門誌ではトヨタ車の評判は芳しくない。
やれ限界性能がどうだとかいった走りの面では、
確かにトヨタ車は分が悪いと思う。基本的に安定
志向にセッティングしているからだ。シャーシー性
能では日産の方が上だろうし、エンジン性能では
ホンダの方が上だろうと思う。走りを楽しむ、とい
った点ではトヨタ車は基本的に向いていないと思う。

 しかし遠乗りをした時に楽なのである。私は以前、
日産の初代プリメーラに乗っていたが、この車での
遠乗りは非常につらかった。まずノイズが大きくて
車内での会話に苦労したし、固いサスペンションと
遊びの少ないステアリングは疲労が早く訪れた。そ
の点、トヨタ車の柔らかめのサスペンションと遊びの
多めのステアリングは、疲労が少ない。この辺は好
みの問題とも絡んで来るが。
 オートマティック車で気楽に運転するには、トヨタ車
は楽である。

 そして購入の際に決定的になるのは、やはり上記
した『故障が少ない』という点になるのである。これは
ユーザーにとってモノスゴイ安心感につながる。そし
て下取りの際に値崩れしないということでも、期待が
持てるのだ。

 どうやら明日は天気は大丈夫そうだ。今朝は夜中
の大雨が結構スゴカッタらしく、サスガの吉水小学
校のグラウンドもぐしゃぐしゃだったが、今日いっぱ
いで雨が上がって明日は回復に向かうのだそうだ。
 とにかく消防の大会、やってくだせ〜!!
 よろしくおねげ〜しやす。

 
2001年
(平成13年)
6月29日(金)
トヨタの凄さ
A接客


 接客の基本は、お客の目線よりも自分の目線を
低くすることである。私がこのことに気付いたのは
都内某所である。ちょっとこの某所はここには記せ
ないのだが、私の素性を良く知る人ならば察しが
つくと思う。


 営業所に行って分かるトヨタと他ディーラーとの
決定的な差をひとつ挙げると、
『メカニック(整備士)がきちんとした接客が出来る』
という点にあると思う。とかくメカニックは 
『車が整備出来ればいい』
というレベルに留まりがちだが、トヨタは違う。

 この接客という点では、私の身近なところでは
トヨタ・ビスタ佐野店がトータルで最高である。こ
ちらにお世話になり出したのはクルーガーVの購
入がきっかけなのだが、こちらのメカニックさんは
上記の接客態度も出来ているのである。お客が
ソファーに座っていれば、床に膝をついて接する。
そうすることによってお客よりも目線を低くして接
している。

 そしてディーラーで用意している様々なサービス
に関して、マニュアルなどを頼りにすることなく、澱
みなく流暢にお客に説明する。これは大した物だ。
恐らく午後6時くらいまではピットでの作業がある
から、帰宅してからあるいは仕事が休みの日でも
使って徹底的に内容と価格を暗記しているのだと
思う。

 大体私はどこかのお店に行って、その接客態度
のどこかにムカツクことが多いが、今のところトヨタ・
ビスタ佐野店ではそうした嫌な思いをしたことが無
い。


2001年
(平成13年)
6月28日(木)
トヨタの凄さ
@営業力


 以前、トヨタ自動車と日産自動車のシェアが28%
と22%位で接近していた時代があり、この頃に
『販売のトヨタ、技術の日産』
と言われていた。
 私が小学校に通っていた頃の話である。

 今から7年くらい前になるか、私の後輩O君が営
業をしている当時のトヨタオート佐野店(現在ネッツ
トヨタ佐野店)に伺った時のこと。ちょうどその時は
後輩Oが店におらず、当時所長のTさん(現在は栄
転されて宇都宮)が応対してくださった。
 
 当時Tさんの息子さんが佐野高校に通っておられて
なおかつTさん自身も佐野高校のご出身だったので、
そっちの方面でも話が弾んだのだが、営業マンの休
暇のことになったか、私が、
『アレ?
 木曜日って営業さん休みの日じゃないですか?』
と話したら、

『営業マンが、休みを休みと思ってちゃダメだな』

とおっしゃった。
 これは実に重いひとことで、その後の私の生活
にも大きな影響を与えている。
 『営業マン』 を 『自営業』 と置き換えても同じ
ことだからである。

 事実、その後輩O君は休みの日でも半日は確実
に仕事をしている。書類の整理が残っていたりする
し、普段は顔を出せない取り引き先の自動車屋さ
んに顔を出したりしている。

 O君のことを書き出すとキリが無いのだが、例えば
彼の結婚式で披露されたエピソードでは、夜中12
時過ぎにお客さんから電話がかかってきて、田んぼ
の中に落ちてしまった自家用車を引っ張り出すのを
手伝いに行ったという。
 また私の家におふくろのヴィッツの件で来てくれた
時のこと、
『これから横浜まで行くんですよ』
と言うので、
『何でじゃ?』
と聞いたら、ナント佐野に住んでたお客さんが横浜
へ引っ越してしまったので、わざわざ横浜まで新車
を届けるのだという。

 彼はそうした直接にはお金にならないことを、平気
でやってのけるのである。無口で口下手な彼がトヨ
タの営業マンになると知って、彼を知る誰もが
『それは止めた方がいい』
とこぞって反対したものだが、実際の彼は最初の
年に新人賞を受賞し、現在でも好調な販売実績を
上げている。それは彼がそうした人の嫌がる、そし
て直接にはお金にならないことを進んでこなして
いるからである。お客はそういうところを見ている。
そして無口で余計なことを言わないから、お客は
安心して車以外のことでも彼に相談を持ち掛ける
のだ。そして彼は常にお客の立場になって物事を
考え、自分の実績にならないことでも、お客にとっ
てプラスになることであればどんどん実践している。
そしてそれが回りまわって、結果的には彼の利益
につながっているのだ。

 目先の自分の利益&実績しか見ていない人間
とは、全然レベルが違う。

 たまに彼は私の家に顔を出してくれる。
 以前には
『金子さん、この煎餅美味しいんですよ。』
とわざわざ煎餅を届けるためだけに来てくれたこ
ともあった。

 彼に会う度、
『どうじゃ、車は売れてるか?』 
と聞くのが私の常だが、
『ええ、まあ何とか売れてます』
と答えるのが彼の常である。ただまあ、彼の言う
ところのこの『何とか』というのが普通の営業マン
の倍くらいの数なのだが、最近の彼は
『ヴィッツ様様ですよ!』
と必ず付け加えるのを忘れない。

 彼は高校の頃から知っているが、社会人になっ
て最も成長した人間である。これはひとえにトヨタ
という企業のおかげである。特にトヨタの社員教育
は、お金を払っても受ける価値のあるものと思う。
それは相当に厳しいものと推測する。
 事実、私がトヨタの人に、
『トヨタの社員教育って、大変でしょ?』
と質問すると、誰も否定しないからである。
 皆必ず苦笑いを浮かべて
『ええ、まあ・・・』
とお茶を濁した返事だが、明らかにその表情は
肯定の様子である。

2001年
(平成13年)
6月27日(水)
Tシャツの季節

 いやもう本当に暑いの何のって、1日に何回T
シャツを換えているだろうか?真夏のからっとし
た暑さと違って、この時期のジトジトした暑さは
非常にイヤである。大量の汗が出る。

 ところで夏はTシャツ、冬はトレーナーというの
が私の服装。Tシャツに関しては、

 『金子さんはいつも
  穴の開いたTシャツを着ている!』

と佐野女子高校ボート部のOG達は言うのだが、
実のところこれはかなりの確率で本当である。

 『金子さんは
  いつもTシャツを裏返しに着ている!』

とも言うのだが、実のところこれもかなりの確率で
本当である。ただ『いつも』ではなくてたまたまだ
とは思うのだが・・・。

 要するに着られりゃいいので、穴が開いていよう
が裏返しだろうがどうでもいいのだが、実はこの
『着られりゃいい』
というのがイチバンの問題で、着られるTシャツが
無いのだ。以前書いたかもしれないが、国産Tシ
ャツではサイズが小さくてダメ。身近なところで言
うとユニクロ製XLサイズのTシャツも、約2回の洗
濯で着られなくなる。少し小さくなってしまうとピチ
ピチになってしまって、胸回りはキツキツだしお腹
も背中も出てしまう状態。・・・安室ナミエや藤原
ノリカならセクシーで皆が喜ぶだろうが、私がこん
な状態だと社会の迷惑になるだけだ。

 ただ今年快調なのは、本場アメリカ・XXLサイズ
のTシャツが大量にあること。これは私が国体の
監督で行けなかった昨年9月の消防団のグアム
旅行の際、後輩に

『とにかくイチバンでかいTシャツを
  買ってきてチョンマゲ!』

と200ドルを渡して、Tシャツ10枚を買ってきて
もらったからだ。ちなみにTシャツ1枚・15ドルだ
ったので、お釣りが来てしまった。
 とにかくデカイ。新品状態では袖が肘まで来て
しまうが、数回の洗濯でちょうど良くなる。

 聞く所によると、ユニクロで
『洗濯しても縮まない』
というTシャツが出ているそうなので、今度買って
きてみようと思う。とは言っても、絶対に日曜日と
か平日の夕方なんかには行かない。あの駐車場
の大渋滞で苦労するだけだ。
 自営業の強みを活かして、平日の昼間にゆっく
りと行く。とは言っても消防の大会が終わるまで
は無理だろうが。・・・頼むから、7月1日(日)に
大会をやってほしい。
 予報ではカンペキに雨なのだが、多少の雨では
大会をやってしまうそうだ。

2001年
(平成13年)
6月26日(火)
梅雨はイヤ!

 梅雨で困るのはまず第一に仕事がはかどらな
いこと。普段は朝のうちに材料や製品を外に出
してしまって、工場の中のスペースを確保して
作業を進めるのだが、それが出来ない。それよ
りももっと困るのが塗装が出来ないこと。公団型
の下駄箱の内装にはラッカーシンナーを溶剤に
した塗料を用いるのだが、これが湿度が高いと
かぶれて白くなってしまう。雨が降ってて外の作
業がダメだから、それでは中で、と作業すると見
事に失敗するのだ。仕方無いので違う作業を行
うしかない。

 もうひとつ困るのは古傷が痛み出すことである。
さすがに中学2年生の時にやった盲腸手術の傷
跡は痛まないが、右脚後ろのおしりとの付け根
部分、中学の時にハードルの練習をやっていて
『ピクン!』 と突然鋭い痛みが走り、診てもらっ
たら 『肉離れの1歩手前』 という状態になった
箇所である。確か中学2年だったか、大会の直
前にやってしまったのだ。

 その後それほどは痛みが来ず、高校でボートを
やっている時も大丈夫だったのだが、大学で空手
の合宿の時に行った無理なストレッチのせいで再
発してしまった。その後ちょくちょく痛む。
 
 昨日も何気に歩いていたら突然痛み出し、
『おお、やべえ、やべえ!』
と思ってゆっくりと歩いた。この急に突然来るとこ
ろが怖いのである。

 心の古傷ってのは時間の経過と共に癒されて
いくものが多いような気がするが、関節の古傷っ
てのはどうも一生付き合っていかねばならない
ようである。

2001年
(平成13年)
6月25日(月)
車両火災

 今日は目が覚めたら5時15分になっていた。
『ヤバイ!遅刻する!』
と急いで駆けつけてギリギリ消防の練習に間
に合った。とは言っても私より先にいたのは同
級生のひとりだけだったが・・・。

 朝 目覚めが悪いと1日が実に調子悪くて
ケダルイ(天気のせいもあるが)が、1本の電
話で目が覚めた。火災連絡である。午前10
時を過ぎていたか、地元・新吉水(新田)で車
両火災だという。場所的にイチバン交通量の
多い交差点のところなので、

『こりゃ絶対、車両事故で2台〜3台から火が
 出てる。
 午前中は帰って来れないかもしれない・・・』

と直感、工場の機械を止めて電源を切って消
防車の後ろに乗って現場に駆けつけた。

 ・・・のだが、その肝心の交差点で事故は無く
『アレレ?』 と思ったら、私の父の友人宅のU
タマゴ屋さんの庭で1台の車が炎上しているの
であった。ほとんど鎮火していたので、私達は
何もしなかったのだが、ナント卵を買いに来て
いて帰ろうと動き出そうとしたところで火が出た
のだと言う。

 エンジンの下辺りから『ボン!』といきなり火が
ついたということだから、原因はオイル漏れか何
かか。とは言ってもこの車、修理に出して帰って
きたばかりだというし、オーバーヒートの可能性?
といっても乗り出してきて10分くらいだという。
素人目にはさっぱり原因が分からない。

 不幸中の幸いと言っては何だが、まだこの車が
停車中であったことと、Uさん宅に全く火が移らず
水もかからなかったことがせめてもの救いである。
またUさん宅の下がコンクリートだったので、これ
も幸いした。

 消火栓からすぐにホース延長出来て消化作業
出来たことが、延焼を防げた最大の要因であろう。
エンジンルームだけで済んだから良かったが、
あれが室内からガソリンタンクに回ってしまったら、
Uさん宅に延焼していたに違いない。悪い方向に
想像しただけで恐ろしくなるが。

 出てしまった火の延焼を最小に防ぐためには、
近隣住民の助け合いしかない。どんなにがんば
ったところで、消防車が現場に到着するまでに
は5分〜10分はかかる。

 その時間の初期消化作業がものすごく大事
なのだ。


2001年
(平成13年)
6月24日(日)
草むしり

 今日は朝6時から地元神社の草むしりであった。
日曜日と言えども午前中眠り続ける、などという
贅沢なことが出来ないのが、ビンボー・ヒマ無し
カネゴンのとってもつらいところだ。ちなみに来週
の日曜日が消防団の安佐操法大会、再来週は
やはり消防の夏季点検とまたまたつぶれ続ける。

 私個人的には、最近はお金よりも時間の方が
贅沢に思える。・・・まあ、お金が無いので毎日
必死こいて働いている訳だが、今 改革の争点
になっている 『ナントカ公団』 の人達の給料
は、母体がどんなに赤字でも平均して800万円
の年収があるのだとか。どう考えてもこれは国民
の税金のムダ使いである。

 ところで我が家の草むしりは普段は父や母が
やってくれているので、今日 私自身が草むしり
をやったのは本当に久々である。今朝行った神
社も普段除草剤がまかれているので、それほど
の草は無くて15分くらいで終わってしまったの
だが、今日感じたのは 『土に触れる』 という
ことは、スゴク大切なのではないかということ。
 以前 来た私の父の知り合いの人が、自分で
畑仕事を始めてからスゴク体調が良くなったの
だそうだ。その人いわく

『土を通じて体の中の微電流が
  アースされて逃げていく』

との理由なのだそうで、この理由は私には良く
ワカンナイのだが、とにかくナンダカいいみたい
だ。何となくやっていて気持ちが落ち着くので
ある。人間は死ぬと土に帰る訳だが、そんな理
由もあるのだろうか。そういえば子供のころにや
っていた土遊び・砂遊びは楽しかった。

 朝の仕事の前に30分くらい草むしりをやる、
というのは1日のリズムの点でもいいかもしれ
ない。出荷が忙しい時に私も起きてすぐに工
場に入って作業したことがあるが、どうもこれ
は危険なようだ。刃物を扱うのでその意味でも
危険なのだが、どんなに注意していてもつまら
ないミスを犯すことが多い。やはり朝起きてから
1時間くらいは、体も頭も寝ぼけているのである。
 仕事の前にそうじとかの単純作業をやるという
のは、体と頭を起こすまでのウォーミングアップ
としてもいいかもしれないと思うのだ。

 消防団の安佐大会は7/1(日)予定。頼むか
らこの日雨が降らずに大会が行われて欲しいと
思う。晴れなくていい、くもり空でいいから、大会
が行われてくれればいいのだ。
 

2001年
(平成13年)
6月23日(土)
日産
新型スカイライン


 恐らく誰もが
『え? これがスカイライン?』
と思ったに違い無い。何せ今までのスカイライン
の伝統が何も無い。直列6気筒エンジン、ロング
ノーズ・スタイル、丸型テールランプ、サーフィン
ライン・・・。まさかモーターショーのXVLが『スカ
イライン』 の名をまとって出てくるとは思ってい
なかった。

 FMパッケージ:全長の短いV6エンジンをフロ
ントミッドシップにレイアウトして、理想的な重量
配分を実現。シャーシーから一新されて、新時
代のスポーツセダンを目指したと。そのテイスト
がスカイラインであって、上記の形骸的なものは
過去のものだと。Cd値=0.27もスンバラシイ
(トヨタ・セルシオの0.25には敵わないが)し、
ゼロリフトも実現。トータルでスバラシイ運動性能
を実現したらしい。・・・らしいというのは雑誌記事
しか読んでないから。

 それは非常に良く分かるのだが、そのスタイル
に『?』。どうにもあのフロントマスクからの造型
は他社(トヨタ&ベンツ)のスポーツカーをイメー
ジしてしまう。ランプ配光の点から縦2列のヘッ
ドランプ配置になったというが、どうにも厚ぼった
い。スポーツ・セダンならば横2列にすべきでは
なかったか。
 そして全体のデザインに統一性が感じられない
のだ。各部がバラバラにデザインとスタイルを主
張しているように感じられる。特に真横からのア
ングルでそれが顕著に感じられるが、明確なサ
イドラインを1本入れるべきだったと思う。特にス
カイラインの伝統か、サイド・モールがドアのとこ
ろで切れているので、前ドア−開口部前端から
ホイールまでが妙に長く間延びして見える。フロ
ントミッドシップでここが長くなっているのだから、
やはりこの部分にもサイド・モールを伸ばしておく
べきだったと思う。

 そしてフロントバンパーに埋めこんだ、後から
とってつけたようなサイドウィンカーの位置も不
自然。もう少しヘッドランプのカバーを下に拡大
して、ヘッドランプ部に埋め込んでしまった方が
遥かに自然だったと思う。

 ただまあ21世紀に向けて、シャーシーが一新
されたことは高く評価出来ると思う。でもやっぱり
個人的には、完全な新車種とした方が良かった
ように思う。

 とは言っても、日産で最も重みのある 『スカイ
ライン』 の名を廃止にする訳にも行くまい。
『これが新しいスカイラインです』
と、過去のスカイライン・ユーザーのところにも営
業に行ける。既存客がいるのといないのとでは、
大きな違いだ。完全な新車種では、どこに営業
に行けばいいのかが分からない。設計段階で
想定していたお客さんの購買層と、実際のお客
さんの購買層が大きくずれてしまうのは良くある
話だ。

 だから商売はムズカシイ。全て想定通りに行け
ば、今の日本こんなに赤字企業(国も赤字か)は
増えない。

2001年
(平成13年)
6月22日(金)
道路工事

 以前に拡幅なった我が家の前(南側)の道路
だが、ようやく全面舗装工事が始まった。現在
アスファルトの下になる土砂をならしているとこ
ろだが、見ているとなかなか面白い。
 
 基本的に私は他分野の仕事を見るのが好き
である。ナルホド!と参考と勉強になることが
多いからだ。まあ、概して見られている方には
邪魔になるから、そんなにじっと見ていること
はしないが、今回は我が家の真ん前の道路だ
から、家の中にいても工事の様子が目に飛び
込んでくる。

 ダンプが土砂を降ろす際にも、横で笛を吹き
ながら見ている人がいて、その人の指示で3
回くらいに分けて前進しながら降ろしている。
1箇所にドサっと降ろしてしまうのでは無いの
だ。アレってダンプの運転手さんもなかなか
難しいと思う。そしてダンプは3台くらいが一
列になって待っていて、守衛の指示で1台づ
つ入っていく。我が家の周辺は田舎だから
そんなに苦にならないだろうが、交通量の多
いところでは大変だと思う。

 なお今月いっぱいはこの道路工事が続く。
朝8時〜夕方5時の時間は当方宅へは入れ
ないので、この時間に用事のある方は裏
(北側)の中田建築さんより入ってきていた
だきたい。車は私のクルーガーVが田んぼ
に面した道路に停まっているので、その前
にでも停めていただきたい。

2001年
(平成13年)
6月21日(木)
Zero Fighter

 いよいよ話題の映画 『パール・ハーバー』
が日本で上映になるらしい。太平洋戦争の
真珠湾攻撃を題材にして、そこに恋愛物語
を絡ませているらしいが、どうにもタイミング
が悪い。田中外相の問題発言の後だけに、
ジャパン・バッシングが加速しそうでならな
い。

 それはさておき、朝の日本テレビで大相撲
元関脇の故・蔵間関が、アメリカで保管され
ていた零戦を修理・復元して、終戦記念日に
日本上陸させようという壮大な計画を持って
いたことを知った。そしてその零戦が映画の
中で実際に飛んだのだ!故・蔵間関の願い
は叶えられたのである。放送には奥様が出
演されていた。

 零戦は 『0式・・・・』 という開発型式をそ
のまんま名前にしてしまったらしい。設計は
三菱だか中島飛行機だかどちらだか良くワ
カラナイが、とにかく第2次世界大戦におけ
る日本を代表する戦闘機であることに違いは
無い。
 真珠湾攻撃の奇襲の成功もあったが、アメ
リカ相手に戦争初期において日本が優位に
立てたのは、この零戦のおかげもかなりある
と思う。何しろ空中戦で真後ろにつかれても、
簡単に宙返りしてしまって相手の後ろについ
てしまう。これは
『空中分解するギリギリのレベル』
まで極限の軽量化がなされていたからに他
ならない。機体のフレームは穴だらけ。だか
ら燃費も良くて持久戦にも強かったのだ。
 この零戦も改良型が3機種くらい出たらし
いが、初期型がエンジンの排気を集合配管
にして
『ポワーン』
という綺麗な音を出していたのに対して、後
期型は独立配管にしたせいで
『バリバリ』
というヤカマシイ音になっていたらしい。

 アメリカ領土に不時着した零戦が分解され、
徹底的に研究されてしまい、やがて戦局は
一変した。空中戦で勝てなくなった。そして
プロペラ4発のB29は、零戦のはるか上空を
飛行した。
 プロペラ4発のB29を迎撃するために、
プロペラ6発の
『富嶽(ふがく)』
の1号機が完成した時、その工場が空襲を
受けてしまった。

やがて終戦を迎えた。

 『パール・ハーバー』は平和ボケしている
日本人に対していい教科書になるかもしれ
ない。DVDが出たら買おうかな?