・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2001年7月のページ

2001年
(平成13年)
7月20日(金)
掲示板の活用

 ナンダカ今日は祭日なんだそうだ。『海の日』なんだ
そうだ。大企業は3連休らしいけど、学校は昨日が終
業式だったのだろうか?そうでなければ家族みんな
で海には行けないナア。今日は天気がいいから、どこ
の海水浴場もメチャ混みであろう。

 どーでもエエけど天邪鬼・カネゴンは、
『世間が休む時には働き、
 世間が働く時にはやっぱり働く』
というビンボー暇無し生活なので、今日も工場に入る。
・・・というか一昨日・昨日と丸2日間ボートの書類整理
(主に国体予選・関東ブロック大会のもの)で潰れてし
まったので(まあ年1回これだけはしゃあないんだけど)、
お銭をがんばって稼がなければならない。やっぱり私の
場合には、丸1日事務所に入っているのは体に良くない。



 さてさて、北の大地君のHPは栃木のボート関係者
始めかなり訪問者がいるようで、大したもんである。
個人HPであれだけのアクセスがいくのはなかなか難
しい。やはり彼の熱い人間性もあるだろうが、もうひと
つは彼の場合、知り合いの掲示板で告知したのが
非常に効いている。

 HPの宣伝には検索エンジンへの登録でも無く、
メールでも無く、とにかくまず始めは関係者や知り合
いのHPの掲示板への投稿での告知がイチバンである。

 大地君のHPの掲示板を見ると、投稿がたまって
しまって各々にレスがつけられない状況が良く分かる。
いわゆる『まとめレス』になってしまっているが、これは
仕方が無い。多分当人が反響の大きさにイチバンびっ
くりしているに違いない。
 
 私が最初に作ったHPは栃木県ボート協会HPである
が、今から2年前になる1999年の6月だったと思う。
ただこれはそんなに緊張感は無かった。まず見るのが
主に栃木県のボート関係者(顔が見える)であるし、
しかもYahooがすぐに登録してくれたし、ウチよりも先
に存在していた協会HPは静岡県だけだったと思う。
栃木県関係者に葉書で告知し、静岡県ボート協会HP
管理者の今仁さんにメールを出しただけだった。

 やはり未知への世界の挑戦はカネコ木工HP。私は
それまでスピーカーコンテストなるものも出たことは無
いし、もちろん広告も出したことは無かった。オーディオ
の世界の知人は皆無だった。それにインターネットの
世界でスピーカーを取り扱う、ということ自体が果たし
てどんな結果を生むか全くの未知数だった。具体的に
はオリジナルスピーカーKD−100とHPそのものへの
評価である。・・・ズタボロにけなされるか、高く評価
されるか、どちらか。

 カネコ木工HPは今から2年前の今ごろ(1999年の
7月末)頃に、今の形の原型なるものが完成していた
と思う。しかしYahooでも登録してくれない。後で分か
ったが、商売HPの登録は厳しいのであった。そして
全然アクセスカウンターの数が伸びない。458辺りで
ずっと止まっていたのである。

『どうすりゃいいんだ?』

とネット・ビジネス成功者の苦労物語を読み漁ってい
たら、

『1週間ぶっ通しで、徹夜で関係者のHPの掲示板で
  宣伝した』

とある。ナルホド、これがネットの世界での営業なん
だな、と思った。

『HP出来ました。見て下さい!』

と投稿しまくるのである。いよいよだな、と思った。
果たしてどんな評価を受けるだろうか?
 文面は共通していて

『はじめまして、栃木の金子と申します。
  今度HP作りました。主にバックロードホーン
  スピーカーをメインに制作しています。
    よろしかったらご覧下さい。』

てな感じだった。

 私の場合 『試聴屋』 の山崎さんが大変ご親切に
メールでご指導下さったのが大変助かった。
「自作派の方が集まるのは、このHPの掲示板ですよ」
と教えて下さったのだ。中でも最も効果的だったのは
AE86さんの掲示板であった。とにかくこの直後の私
のHPの掲示板への投稿はすごくて、確か1晩に9件
の投稿があったのだ。みなさんが大変高く評価して
くださった。そんでもってやっぱり『まとめレス』になっ
てしまった。けどスゴク嬉しかった。

 ついでの記録は、確か1晩に5件の投稿だったかな?
これは現在女子大生になっているO関が、女子高校時
代に投稿した時である。推薦入試が決まって暇だった
(ハズの)彼女がカネコ木工HPの掲示板に投稿したら、
『現役女子高生の登場だ!』
全国オーディオマニアの皆様が大騒ぎになった。何と
言ってもその文章の長さといったら、おじさま達が鼻の
下を長くしている様子が非常に良く分かった。この時の
某おじさまとO関のやりとりの一部。

某おじさま:『O関さん、
        カネゴンさんの正体ってどんなですか?』

    O関:『私にも素性は良くワカンナイのですが、
         いつも私をいじめる、イジメッ子です!』

某おじさま:『カネゴンさん、O関さんをいじめるのは
         止めましょう!』

コラー! O関〜〜!
 何も知らない全国のおじさまを味方につけるでない!
 
 ただまあ、基本的に佐女ボOG達の投稿は遠慮が
無いからとっても危険なのである。


2001年
(平成13年)
7月19日(木)
地震、カミナリ、火事、
 オヤジじゃなくてアイバ&Oh島!


 世の中怖いものはイッパイありますナ・・・。

 先日の7/17(火)の夕方には栃木県全域で大雨洪水
警報が発令された。私も午後7時10分ころには帰宅して
窓などをひととおり閉め、工場のブレーカーを切ったりして
いたが、7時30分ころからか予報通りに凄まじい雷と雨で、
我が家の自宅は3回も停電してしまった。ブレーカーが落
ちる度に上げたが、またすぐに落ちてしまった。とにかく
すごかった。ようやく収まったのは9時を過ぎていただろ
うか、事務所の方の電源のブレーカーも落ちてしまってい
たが、工場まで行くのが面倒だったので真っ暗な部屋の
中で仕方なく後輩に携帯からメールを打って遊んでいた。
今のコードレス電話は昔の黒電話と違って、電源が落ち
てしまうと使用出来ないが、やっぱり携帯電話は便利で
ある。今度はゲームアプリをもっとダウンロードしておこう
と思う。

 カミナリと言えば、やはり思い出すシーンがある。・・・と
いうよりも、私の今までの人生の中で最も恐ろしかった経験。
佐野高校1年の時の渡良瀬川でのボートの練習。何しろ
その時の佐野高校ボート部は3年生の先輩が2人しかお
らず、私達1年生が入部していきなり関東大会に出ると
いうトンデモナイ状況だった。

 当時はナックルフォアで、6月頭の関東大会(群馬県・
榛名湖)に出る練習を行っていたから5月の最後の週
だったか。3年生の先輩2人と私も含めた1年生3人の
ナックルフォア。確か関東大会の2日くらい前だったと
思う。夕方6時近かったと思うが、西からモノスゴイ黒
雲がまっすぐコチラに向かってくる。

『おい何だよアレ?
  やべえよ、早く帰ろうぜ。降られるゾ!』

ボート関係者の方ならご存知だろうが、ボートは帰ろうと
思ってすぐに帰れるものではない。漕いでいって、艇を
つけて、艇を返してしまって、オールをふいてしまって、
・・・と道具を使うスポーツだけにすごく面倒。しかも
栃木県の渡良瀬川(船津川)の場合は川から艇庫ま
で遠いのである。まあとにかくその黒雲の動くスピード
もすごく、見る見るコチラに近付いてくるのである。

『おいマジやべえよ、急ごうぜ!』

と艇を返して帰ろうとした瞬間、そこにやってきたのは
 Tしぇんしぇい。
その風貌から当時私達は 『ミスターX』 (漫画タイガ
ーマスクに出てくるキャラクター)と呼んでいたが、

『お〜〜い!
  もうひと往復 行って来いや〜〜〜!!』

ナニイ??おい何考えてんだあのオッサン、黒雲は
すぐそこまで来てるんだゾ!!とクルー内では発狂
していたが、顧問の先生の指示では仕方が無い。
また艇の向きを変えて、パドル(全力漕)を始めた。
・・・今だから言えるのだが、この時Tしぇんしぇいは
全く天候のことなんか頭の片隅にも無かったと思う。
自分がせっかく岸まで来たのに、目の前で帰ってい
くとはナニゴトだ?ちょいとパドルくらい見せろや!
てな具合だったろうと思う。

 栃木県関係者ならお分かりと思うが、この地点は
上流の鉄橋付近である。仕方なくまた上流に向かっ
て漕いでいった。いつもの西端に来た頃、悪夢は現
実となった。ヤバイと思いつつも艇の向きを返した
瞬間、私達はあっという間に黒雲に飲み込まれていた。
 そして雷よりも先に

『イテエッ!!』

ナント降ってきたのは雹(ひょう)である。もろに雹の
直撃を受けたのは初めてだった。しかも水上で艇の
上だから避難する場所も無い。痛いのは我慢して
漕ぎ続けるしかない。もう帰るのに必死だ。

 ところがところが今度は雷が頭上で鳴っているので
ある。本当に頭上の真上!こんなに恐ろしいことは
無い。ナゼなら川周辺には避雷針なるものなど存在
しない。しか〜も、ナックル艇には金属が使われてい
る。クラッチ(オールを受ける部分)は真鍮かと思ったが、
艇下には間違い無く傷防止の鉄板が艇の前後に走っ
ている。そういや当時のナックル艇のリガーも鉄製
だったハズ。

 ここに雷が落ちるかもしれない・・・
  そうしたら・・・

 クルー内の皆の頭の中は同じである。こんなところで
死にたかねえよ、ってのは共通の思いだ。もう本当に
無言で(言葉を出してる余裕など無い)、必死に漕いで
艇を返してシートを被せて、各々のオールを持って艇庫
まで一目散!幸い雷の直撃を受けることも無く生き延
びた。
 ヨカッタ、ヨカッタ・・・。


 ちょっと経ってから、艇庫にやって来たTしぇんしぇい。

『いや〜、俺も本当にダメかと思ったよ!!』

しぇんしぇい、何トボケタ事言ってるんすか!
アナタがもう1往復行けと言ったから、こんな恐ろしい目
に会ってしまったんでしょうが!
アナタは車の中でイチバン安全だったじゃないっすか! 
・・・と元気であれば叫んでいただろうが、もうみんな
放心状態。Tしぇんしぇいに冷たい視線を向けながら、
黙々と着替えていた。

 この時同乗していたM下先輩(佐野消防署)に
お会いするが、
『ホントにあの時は死んだかと思ったよなあ・・・』
と今では笑顔で話せるが・・・。

 ちなみにこの時の関東大会では、配艇練習でも
雹に降られた。もちろん初心者1年生が乗ったクルーは
1日目で試合は終わってしまったのだが、本当は負け
ても宿泊する予定だった。なので、その時学校でやって
いた模擬テスト(1日だけ)を受けなくて良いことになって
いたのだが、1日目試合が終わって宿舎に帰ったら、

『お〜い、今日帰るゾ』

と強制退去命令。翌日の日曜日に学校へ出て行って、
ボート部員だけで模擬テストをやらされた。

 最初の関東大会はヒドイ思い出ばかりだ。


2001年
(平成13年)
7月18日(水)
プロとしてのプレー

 イチロー選手と佐々木選手の活躍のおかげで、マリナーズの
試合をNHK(アナログ)ハイビジョンで放映するようになった。
これは大変に喜ばしい。というのもNHKハイビジョンは今まで
はロクな番組が無く、ゼンゼンと言ってもいいほど見なかったか
らだ。自然の風景とか歴史的建造物とかをハイビジョン・カメラ
で撮った映像は
『さすが、ハイビジョン!!』
と感激するものだが、そういう番組は夜の10時くらいとかに限
られており、大抵が地上波の放送の焼き直しであり、全く見る
気がしなかった。

 オールスターゲーム前にひと試合だけ見たが、特にファンで
も無いのにやっぱアメリカ大リーグの方が面白い。ナゼかな?
と思ったら、プレーがダイナミックで速いのだ。例えば内野ゴ
ロの連携プレーなんかも、地肩が強いから送球するモーション
も投げた球のスピードも速い。見ていて気持ちがイイ。ピッチャ
ーだって投げる間合いが短い。

 現在の日本のプロ野球は試合時間が長過ぎる。やはり映画
などでもそうだが、見ている人間の限界というのは2時間だろ
うと思う。この時間に試合を収めたのは(以前も書いたが)現在
解説者の江川卓氏の試合だったが、基本的にピッチャーの投
げる間合いが長過ぎると思う。もっとテンポ良く出来ないものか。

 あと日本のプロ野球はプレーがマジメ過ぎる。お客さんに
『魅せる』
ということを考えていない。これを説明するためにはやはりON。
説明の必要も無いだろうがN=長島、O=王、現在どちらも監督。

 長島選手はわざと大きなヘルメットを被った。打席で空振りし
た時に、くるっとヘルメットが回転するようにである。見ている方
はそれだけで豪快な空振りをしたように見える。またサードの
守備でもショートの球まで捕ってしまったというのは有名な話
だし、わざとオーバーアクションをつけていた。また内野ゲッツー
ゴロでも、2塁手がベースに入ろうがどうだろうがお構い無しに
捕ったらスグに送球していた。土井選手がナントカ捕ろうとがん
ばったおかげで内野ゲッツーが成立していたが、見ている方に
はものすごくプレイが速くてダイナミックで面白かった。全て見
ているお客さんを意識していたのである。

 王選手は性格もマジメでプレイも(ファーストということもあり)
地味だったが、やはり王選手の魅力はホームラン。これはやっ
ぱり華がある。王選手の打球は滞空時間が長く、高く大きな放
物線を描いた。それが実に優雅であり、なおかつ当時はドーム
なんて無かったから夜空に舞った打球は実に美しく見えた。

 お客さんにゼニを払ってもらえるから、プロなのである。だから
どんなにプレーが素晴らしくても、お客を呼べなければプロとし
ての価値は無いのである。果たして現在日本のプロ野球でお客
を呼べる選手がいるか?・・・私個人的には中村ノリ選手が見て
いて面白いとは思うが、第一 テレビ中継が無いし、来年はメジ
ャーに行くかもしれないとの話だ。

 これは監督の采配にしても言える。あまりに勝利に固執し過ぎ
ていると思う。イチバン疑問なのが送りバント。果たしてそれを見
てお客が喜ぶか?ナンデ清原選手がバントをする必要がある訳?
『1点を取りに行く野球』:後が無い高校野球なら分かるが、年間
130試合(現在は135試合?)もこなすプロ野球で果たして?

 日本のプロ野球の人気低下が懸念されているが、こんなところ
にも原因はあると思う。ただ単にイチロー選手や佐々木選手など
のスター選手が海外に流出しただけの理由では済まない筈だ。

 視聴率で夜のゴールデン・タイムの巨人戦が昼間の国会中継
に負けるなんて、前代未聞の珍事である。



2001年
(平成13年)
7月17日(火)
それぞれの塀

 映画 『ショーシャンクの空に』 をHP&掲示板で紹介したとこ
ろ、佐野高校ボート部OBの三柴からの投稿で

「中央大学の英語の講義の教科書で出て来た」

と知ってビックリした。

 またカネコ木工HP掲示板で横浜市在住のハンドルネーム:
「よっしーさん」 から大変興味深い投稿をいただいたのだが、
その前に映画の1シーンの会話を抜粋したいと思う。この映画
の中で最も重みのあるシーン。

 無期懲役の刑だったブルックスが仮釈放となり、ついに一般社
会(=シャバ)に出られることになった。一般人から見て普通に
考えれば喜ぶべきことだと考えてしまうが、しかし、ブルックスは
50年もの長期間刑務所暮らしであった。『シャバには出たくない』
と事件を起こしてしまう。

 ↓以下、その事件後の会話部分抜粋。ちなみにレッドを演ずる
のがモーガン・フリーマンである。



 服役囚A:『シャバを恐れる?』                
                                   
   レッド:『50年ものムショ暮らしだ。ここしか知らない。 
       ここでなら彼は有名人だが―  外では違う。 
       ただの老いた元服役囚だ。白い目で見られる。 
       分かるか?』                    
                                    
 服役囚B:『出任せは言うな!』

   レッド:『何とでも言え。だがあの塀を見ろよ。
        最初は憎み―  しだいに慣れ―   
        やがて頼るようになる。
        ”施設慣れ”さ。』

 服役囚C:『俺はそうはならねえ。』

 服役囚D:『そうか?
        50年もいればどうなるか・・・?』

   レッド:『そのとおり。
       終身刑は人を廃人にする刑罰だ。
       陰湿な方法で。』

  

 特にこの真ん中の(刑務所の塀に関して)

『最初は憎み― しだいに慣れ― やがて頼るようになる。』

このレッドの言葉が、ものすごく意味深いと思うのだ。
 そしてこの映画、特にこの部分に関して「よっしーさん」(横浜市
在住)からカネコ木工HP掲示板にいただいた投稿が以下の通り。

『・・・・前略・・・・・

いろいろな見方があるでしょうが、僕はここで描かれる刑務所を
=会社として見ています。
これは僕がサラリーマンだからでしょうね。
しかし、そのような観点から観ると、実にリアリティーがあるのです。
”あの塀を憎み、やがて頼るようになる。”
という台詞は意味深でした。
主人公が最後に試みる事は、脱サラみたいな気がします。

ちょっと風変わりな観方かもしれませんが、僕流の感想です。
誰もが何らかの塀の中にいる・・・。

・・・・・後略・・・・・』

 ナルホド、こんな観方もあるかと思って大変勉強になった。本当
に 「よっしーさん」 には感謝している。特にこれから一般社会へ
出て行く学生諸君には、勉強になるお言葉であろう。

 塀=会社組織と考えれば、やはり始めはその組織内部の様々
な「しがらみ」が煩わしい。・・・自由な時間を満喫してきた大学生
にとっては、特に。
 しかし時間が経つにつれ、その組織の雰囲気に慣れ そして
段々とその組織の中で立場が上昇し、始めは煩わしいと思った
「しがらみ」が当然のものとなる。
 やはり仕事が無ければ収入の道は無い=生活が出来ないか
ら、その会社を頼らねばならない。

 ・・・どの様に捉えて判断するかは、人それぞれであるが。

 私の場合、どちらかというと『塀=制限された枠』みたいな捉え
方をしている。

 かつて故・長岡鉄男先生がスピーカー工作特集の記事の中で、

『最近はユニット・メーカーが減って、工作も大変になってきた。
 来年は工作特集が組めるかどうか・・・。
 しかし、どんなものにも必ずある程度の枠というものは必要で
 ある。
 コストの枠、寸法の枠、・・・、いろんなものが絡み合って、
 四苦八苦する中から素晴らしいものが生まれてくる。
 自由度が高過ぎると、かえってろくなもんが生まれてこない。』

と書かれていてとても印象深かったのだが、この言葉が自然と
思い出されてきた。私も同感である。

 高過ぎる自由度は、何も生み出さない。
 
 私の場合の塀はハッキリ言って栃木県である。いつも電車で
遠出した際に、帰って来て浅草駅のホームに立った時

『あぁ〜、栃木に帰りたくね〜な〜。
 仕事が山ほどあるもんな〜〜
  このまま東京のどっかにトンヅラしちゃおうかな〜〜?』

と思いつつも、やっぱり電車に乗って栃木へ帰って来てしまう。
ナゼかな?と思っていて自分でもよくワカンナカッタのだが、
最近ようやくその理由が分かった。
 
 やっぱり佐野ラーメンが大好き!・・・ヤマトヤの池田さん、
いつもバカタレ連中がうるさくてスミマセン。

 皆さんにとっての塀は何ですか?


2001年
(平成13年)
7月16日(月)
栃木県ボート協会事務局変更

 蔵田君がアトランタオリンピックに出た年だから、今から5年前
になるのかな? 4月の末だったと思うが、Tしぇんしぇいから電
話がかかってきた。

『ナンダカ 
  山口さんが事務局変わってくれ、って言ってるんだけども、
   金子はやれね〜かな?』

ボート関係者の方ならお分かりと思うが、誰もが事務局はやりた
がらない。誰に聞いても

『事務局は大変ですよ』

と言う。労多くして何とやらである。当然私がすんなりと引き受け
るハズが無い。

『しぇんしぇい、勘弁して下さいよ〜』

と懇願しておいたが、とにかくコレコレの日に山口さんの会社に
集まるように、とのご指示であった。

 さてさてその日から私の頭の中はいかにして事務局を断るか
の口実&言い訳作りでいっぱいである。



・両親が危篤で・・・

・最近お腹の調子が悪くて・・・

・材料のラワン合板が値上がりしてまして・・・
 
・H口がいつも寝ているもんで・・・

・M柴に数学を教えてやらねばならないもんで・・・

・O関がラジオでブットビ発言してしまいまして・・・
  
・Tケイイチに地理を教えてやらねばならないもんで・・・

・Oh島が腹出して踊りたいと言ってるもんで・・・

・アイバがいじめるもんで・・・

・毎日山火事に出動しているもんで・・・

・ヤッパリ竹中さんの提唱する構造改革を達成するためには、
  本業に専念するのがイチバンかと・・・

・ドラえもんから就職の相談を受けておりまして・・・


いろいろ考えたがコレといった決定打が出ないまんま、その日
を迎えてしまった。山口さんがお仕事を終えるのを待って、いろ
いろ話を始めたが、Fしぇんしぇいが

『事務局変更の件ですが、
  後任は金子でいいと思うのですが・・・』

おお、来た来た、やっぱ仕事のせいにして断ろう!、と思った
その瞬間、まさに間髪入れずといった感じで山口さんが、

『ウン、そうだね。それがいい!
  そんじゃ来月1日付けで、日本ボート協会と各県ボート協会、
   栃木県体育協会と栃木県教育委員会に事務局変更の通
    知を出しておいて!』

『ハ?』

きっと誰か反対してくれるよな?
金子じゃアホだからダメだとか、
他県の理事長や会長とかと接するのに金子だと品位が悪過ぎて
ダメだとか、
ちょっと金子は風俗で遊び過ぎていて問題だ、とか・・・。

 しか〜し、誰も何も言わないのである。アララ?と思ってたら

『じゃ、そういうことで金子君頼んだよ!』

『ハァ???』

で終わり。ナンナンダ、この人達は?当事者に何も聞かないの?
コリャ強制労働ってヤツじゃん?ナンナノ? と思っている間に
話題は次へ移ってしまったのだ。 おいおいナンダよ〜?と思い
つつも マジ〜?と思いつつ、トイレでいっしょになったT本先生
(現在 佐野高校) に

『先生!ナンデ反対してくんないんすか!!
  ヒドイじゃないっすか!!!』

と文句ぶーたれたら、

『いや〜、
 だってどう考えたってそれがイチバンいいんだもん。
  誰も反対するワケ無いジャン!』

もしもこの時多数決とったとしても、参加5人中 賛成4人、
反対1人では、民主主義の論理で私は負けたのである。

 ナンナンダ〜、この協会は〜?と文句を言おうにも、状況的に
は私も何も言えない。事務局というのは短期間でコロコロ変わ
っていてはマズイのである。その都度変更通知を出していたの
では先方に相当迷惑をかけるし、お互いに大変だ。
 規模の大きい協会では専属の事務員さんを雇っているところ
もあるが、大抵が役所内部に事務局を置いている。絶対に住所
の変更が無いからである。学校の先生だと7年くらいで移動に
なってしまうからダメなのである。結果、栃木県の場合には自
営業の私のところにまわってくる。

 まあ前任者が山口さんでは何も文句が言えない。ただしかし
ツライのは、ボートシーズンの4月〜9月がボートの書類整理
で忙しく、10月〜3月の乾燥する時期が消防団の火災出動
で忙しくなるということである。要するに私の場合は1年を通じ
て気持ちが休まる時期が無いのである。

 マイッタな〜、思いつつも5年が経ってしまった。佐野女子
高校ボート部OG達に言わせると、

『金子さんが事務局やるのは当然のこと』

なのだそうである。他の状況は考えられないのだとか。ナンダカ
良くワカンネエな。

 どーでもエエけど、あんまり俺の仕事(じゃね〜や、ボラン
ティアだ)を増やすな!


2001年
(平成13年)
7月15日(日)
北の大地君、健在ナリ

 夜中に栃木県ボート協会HP掲示板に投稿があった。普段は
投稿が少ない(・・・というよりほとんど無い)のだが、投稿する
時にはタマゲタ投稿をする、北の大地君。何がタマゲタ投稿か
というとその文章量もしくは内容である。ちなみに北野大地、
では無い。大学へ行くので北海道へ住み出してから、ナントナ
ク私がこう名付けた。もちろん 『北の国から』 からの連想で
あるが、語感も良く、ナントナク北海道の広大な風景が浮かぶ
と思うのだが、いかがでっしょ?ちなみに大地というのは本名。
NHKの感動ドラマを連想するが、彼は佐野高校ボート部のO
Bで、第16期のキャプテンである。

 とにかく彼はとんでもないエネルギーを持った男で、特に目
標を定めた時の前進するエネルギーは凄まじいものがある。
時にそれは周囲に対しての配慮を欠くケースもあるが、それ
を補って余りあるパワーである。今時こんな男はいないと思う。

 彼の代のメンバーは本当に個性的で性格もバラバラ、

『よくもコイツらがクルーを組める・・・』

と感心させられたが、大地君を中心にして非常によくまとま
っていた。また彼らの佐野高校ボート部での2年生〜3年生
の時期というのは、私の家の工場火災の時期とちょうど重
なるために非常に思い出深いのだが、彼らのガンバリで非
常に私も勇気付けられた。彼らのフォアクルー(4人漕ぎ)は、
3年生4月のお花見レガッタ時は関東でビリに近かったと思
うが、6月の関東大会(千葉県・小見川)で決勝進出を果た
し(決勝レースは荒天で中止)、7月の国体予選関東ブロッ
ク大会(茨城県・潮来)では決勝2位になった。8月の全国
高校総体(鳥取県・米子)はラフ・コンディションに泣かされ
て(軽量クルーには不利)、1次予選通過に留まったが、9
月の福島国体ではもう1歩で準決勝というところまで行った。

 彼について書き出すとそれだけで1ヶ月続いてしまうので、現
況に絞って書くと、大変な苦学生である。現在は大学院生活で
研究とバイトで寝る暇も無いのではないかと思う。ハッキリ言っ
て理系の研究室で(それも院生で)研究をしながらバイトをする
というのは、無謀に近い。寝る時間が無くなる。・・・私も先輩を
見て分かっている。しかし彼はがんばっている。彼の大学院受
験の時は本当に大変だった。ちなみに彼の研究室のM教授は
私のお世話になったKUWA教授の教え子になるのだそうだ。
世間は狭いと思った。

 そんな彼がホームページを制作した。

『ALIVE』

という名の個人ホームページである。一体どうやって時間を
確保してこのHPを作ったのかと首を捻るのだが、とにかくスゴ
イ男だ。彼のがんばる様子を端から見ていると、私ももっと
がんばらねば、という気にさせられてくる。私に勇気を与えて
くれる貴重な存在である。


 ちなみに彼の栃木での住まいが私の家と目と鼻の先であっ
たため、部活引退後の彼は毎日のように私の家の工場の事
務所に寄って大学受験の勉強をしていた。
 ある日自宅の私の部屋の裏部屋(元パソコン部屋)で勉強
した時があったのだが、私がスピーカーの設計をしていた。
・・・土曜日だったかな?段々と形がまとまるところだったので、
途中で止められなくなってしまった。夜中12時を過ぎようとし
ていたか、私が大地に

『オマエもうこんな時間だから、帰れ!
  オフクロさんも心配してるから・・・』

と帰宅を促したのだが、

『いやぁ、金子さんがまだがんばってるんじゃ、
  俺もまだガンバリます!』

という訳ワカンナイ理由で勉強を止めない。明け方4時頃だっ
たろうか、ようやくそのスピーカーの各部分とパーツの寸法を
出し終えて、サスガに徹夜はきついので少々寝ようと思った。

『オラ!
 大地、俺設計終わって寝るからオマエ帰れ!』

これでようやく彼は自転車で帰って行った。いつものように
木製ブレードを肩に担ぎ、佐野高校応援歌をデカイ声で歌い
ながら・・・(よくもまあ警察に補導されなかったと思う)。

 このスピーカーが工場火災の後に初めて設計・制作したバ
ックロードホーンスピーカー(奇跡的に焼け残ったフォステク
スの限定ユニット:FE108スーパー専用)。これが原型とな
って省スペース型に発展したのがKD−100であり、理想を
追求していったのがKD-S10000である。
 
 彼とのことも含めて、非常に思い出深い。

 大学院合格を果たした彼が、栃木へ帰ってきた。彼お気に入
りのミスターチルドレンの北海道ライブのCD-Rを携えて私の
家へやって来たのだが、当時当方HPで発表したばかりのKD
−100で再生したところ、

『うわぁ!スゲエ!なんだコリャ!
  鳥肌が立つ・・・』

と言って、彼は上着(トレーナー)を脱いでしまった。


 
2001年
(平成13年)
7月14日(土)
どうしたソニー?


 ある他メーカーのエンジニアが、こうぼやいていたという。

『中身が同じなら、SONYのブランド力で2割高くても売れる』

と。これはひとえに、ソニー製品への絶対的な信頼性を表現し
ていると言える。海外進出初期に故・盛田昭夫氏が断固として
他社OEMを拒否し守ってきた 『SONY』 の4文字には、あ
る意味日本人としての誇りもある。世界初のトランジスターラ
ジオTR-55の成功で、『SONY』 は世界的ブランドになった。

 これは 『HONDA』 も同様で、マン島でのオートバイレース
の優勝が世界進出のきっかけとなった。故・本多宗一郎氏は

『レースをやるために、自動車を売る』

という、エンツオ・フェラーリのような情熱のある方だった。今の
他の自動車メーカーは逆で、

『自動車を売るために(知名度を上げるために)、レースをやる』

という方が多いが。
 今のホンダはよくワカラナイけど。

 
 しかし、である。今回ソニー製NTTドコモ製品の携帯電話の
不良が発覚して製品回収という騒ぎになった。ちなみにナシ
ョナル=パナソニック製品も不具合が出たという。ナントモ日
本を代表する電化製品の2大企業であるソニーとナショナル
で相次いで不良が出てしまったという、非常に驚くべき事態と
なった。

 ソニーに関してはメーカー側の発表では開発の人員不足を
理由に挙げていた。現在の携帯電話は通常機能の他にイン
ターネット機能も盛り込むため、以前の開発体制では間に合
わないのだとか。まあ言い訳はどーでもエエので、再発防止
に努めてもらいたい。・・・などと 『ドコモは対岸の火事』 と
ばかりにエラそうなこと言ってたら、auのC406Sは電池パ
ック不良で交換になるのだとか。このことを後輩から聞いて

『ナニ〜??』

と呆れ果ててしまった。要するに昨年の12月後半から生産
したソニーの携帯電話がダメなのではないのか?電池パック
不良で製品交換してくれればいいのだが、その電池パック
そのものだけなのだという。

 実は私のC406Sは液晶の画面にヒビが入ってしまい、そ
こから徐々にホコリが入ってしまって段々と画面が見づらくな
ってきていたのだ。修理に出すと8000円以上はかかるとい
う。そんでもって昨日の午前11時頃に仕事がひと息ついたの
で、銀行に行ったついでに電気屋さんに回って携帯電話を見
ていた。

 もちろんauに絞ってだが、C406Sの次にくるソニーの新
製品を見てガッカリ。ブルートゥース搭載のストレートタイプだ
が、何てったってフロントジョグダイヤルの位置が奥まってい
るために、私のデカイ手では操作が出来ないのである。ジョ
グダイヤルも回せないし、左右キーなんか押し込めない。C
406Sでもやりづらいのだが、位置が奥まってしまったことで
悲惨な操作性となってしまった。女性の細い指ならば操作が
出来るんであろうが、

『ソニーは何を考えてるんだ?』

というのが率直な感想である。やはりジョグダイヤルはボディ
サイドである。これが実に操作しやすかったし、メニューも分か
りやすかった。・・・完全に過去形の表現となってしまうのが悲
しい。

 私のソニー製品のイメージはその信頼性もさることながら、
ボディ・デザインも非常に洗練されていてなおかつ操作性が
非常に高いということだった。auの携帯電話ではCdma-One
第1号機のC305Sまではバツグンだった。高品質なボディ
の質感、サイドジョグダイヤルのバツグンの操作性、奇をてら
ったところは無いけれども非常に使いやすいボタン配置。

 それが崩れたのはC406Sである。これがソニー?と疑うほ
どの質感に欠けたプラスティック・ボディ、着せ替えパネルは
割ってしまった。そしてイチバンがっかりしたのは折り畳み機
構の貧弱さ。支持が中央支持のためにグラグラしていて、開
く度にディスプレイ部がブルブル揺れるのである。これは他
メーカーと比較しても最悪の質感である。ちなみにこの点、
やはりベストセラーになっているドコモのNシリーズ(NEC製)
は良く出来ていて、全くグラグラしない。さすが折り畳みスタ
イルの老舗だ。

 それでも半年使用してきたが、フロントジョグダイヤルには
最後まで馴染めなかった。メール作成の文字入力の際に、
希望の漢字確定しようと思って押しこもうとするとグルっと回
ってしまって、他の漢字で確定してしまうことが非常に多かっ
た。メニュー画面とアドレス帳はヨカッタのだが・・・。

 結局ついにソニー製携帯電話に別れを告げる時がやって来た。
今回購入は日立のストレートタイプである。型番忘れたが、最新
型で、ドコモで言うところのiアプリに相当するゲームが出来る
ヤツ。パケ代が恐ろしいのでゲームはやらないだろうけど、イチ
バンの魅力は漢字変換に 『ATOKポケット』 を採用している
点である。メール作成が少しは楽になるかな、という期待の下に
買い換えた。

 買い替え時期を見たら、ちょうど半年であった。今 毎度の如く
取り扱い説明書と首っぴきである。

2001年
(平成13年)
7月13日(金)
ずっと見習い

 昨日もちょっと書いたが当・栃木県ボート協会会長の山口さんは
トンデモナクお忙しい方である。住宅会社の社長さんであり、4つ
か5つくらいの関連会社の役員をしている。そして栃木県住宅組合
の多分今は理事長をされていると思う。そしてうちのボート協会の
会長。

 朝は7時には会社に着いて仕事を始めている。多分始業は8時
だろうから、その1時間前には会社に着いていることになる。車の
中には長靴が入っていて、仕事の現場を回っている。大体午後5
時頃には会社に戻ってきて、役員の方々とミーティング。大体5時
30分頃には終業になって社員の方は皆帰途に着く。・・・がそれ
から山口さんは背広に着替えて6時前には出かける。いろんな会
合がびっし詰まっているからだ。恐らく毎日であろう。下手すると
1日に2件は掛け持ちする場合があるハズだ。・・・実際ボートの
集まりの時も途中退席される場合が多々ある。週末は出張が多
いようであるが、出張の無い時は日曜日でもやはり会社に出向い
て書類の処理をしている。私のところには、よく日曜日の午後に
FAXが入ってくる。

 栃木県ボート協会の事務局は山口さんから私が引き継いだのだ
が、私が普段文句ぶーたれてても山口さんのことを思い出すと何
も言えなくなってしまう。私よりもトテツモナクお忙しい方が、しか
もFAXやE-メールの無い時代に事務処理をされていたのである。
事務局変更の経緯書き出すと長くなるので、また後日にしたいと
思う。

 山口さんの会社では奥様が主に事務処理をされている。ナンダ
カ自治体に提出する書類も最近は特定形式のパソコン・ファイル
なので、もちろん事務所にはパソコンが入っているのだが、これも
奥様の担当でたまにSOSの電話がかかってくる。

『金子君、
 ここんとこがワカンナイのだけど来ていただけるかしら?』

こういう時は絶対に電話では対応が無理なので、行ってしまった
方が速い。一度はフロッピーのメディアが違っていたというだけの
単純なミスもあったのだが、これは例外でメンドクサイことの方が
多い。イチバン面倒だったのは国に提出するファイルを国から与
えられた(もちろん無料ではなくて結構高額)ソフトの指示通りに
操作していたら、途中で止まってしまう。何度やっても同じ。私も
さすがにウ〜ム・・・と唸りつつもようやく分かった。途中のページ
にあるPDFファイルがやたらと容量がでか過ぎて、そこでパソコン
の処理が止まってしまったのだ。仕方なくそのファイルだけを別に
プリントアウトすることで解決したのだが。

 依頼があった場合は大体夕方5時頃には伺うようにしている。
行くと山口さんは会社の方と事務所でミーティングをしているので、
もちろん私は声はおかけしない。仕事の邪魔をするだけだからだ。
奥様から状況を伺って、パソコンに向かって作業を始める。すると
私を発見した山口さんは、ちょっと席を立って私のところに来て

『金子君ご苦労さんネエ。
 いつも悪いネエ、わざわざ来てもらちゃってネエ。』

 いえいえそんなお気になさらず、速くミーティングの方へお戻り
ください、とお答えするのが私の常である。

 そして午後6時ころに、着替えてお出かけになる際にも

『金子君、悪いネエ。
 私ヤボ用がたてこんじゃってて、出かけるんでね・・・。』

と声をかけてくださるが、 いえいえそんなお気になさらず、会合に
遅れないように速くお出かけください、とお答えするのが私の常で
ある。基本的に私が会社にお邪魔していても、会話はこの2回だけ。
余計な世間話をグダグダとしている暇は無い。必要な用件があれば
私からFAXを流しておくと、その件に関してそのFAX用紙にコメント
を入れて返信してくださる。実に無駄が無い。

 基本的に私と山口さんとの連絡のやり取りはFAXである。

『E-メールは本当にいいとは思ってるんだけどネ・・・』

とご本人は仰るが、時間的に操作の習得が難しいだろう。それに
山口さんの流暢な万年筆の筆跡はスバラシイ。多分私のパソコン
のキー入力よりも速いと思う。そして私宛てにFAXで返信してくだ
さる時にも必ず

『いつも協会のためにご苦労様です』

との一文が文章の冒頭に入っている。何もしていなくても、この言
葉だけでうれしくなってしまう。やはり人の上に立つ方は、気配り
が違う。


 しかし山口さんは大変厳しいお方だ。曲がったことが大キライで、
怒りをあらわにする。もちろん仕事にも厳しい。私が社会人になる
前に非常にいい経験をさせていただいたのは、ボートを通じて山
口さんと接することが出来たからである。面と向かってコレコレこう
なんだ、と教えていただいた記憶は無いのだが、その行動を後ろ
から見ているだけで、そして考え方を伺っているだけで大変勉強
になった。・・・現在でも勉強になっているが。

 『見習い』という言葉があって、ナンダカ一人前になる前の仕事の
修行期間だけに限定されるような雰囲気があるが、私は人生ずっと
見習いであるべきだと思っている。いいことは吸収し、悪いことは
反面教師にすればいいのである。


 そんな山口さんに、一度だけ厳しく怒られたことがあった。私が
大学4年の時だったと思う。協会内の事務処理をひとつ言いつけ
られて、多分 名簿作成だったような記憶があるのだが、日曜日
に指示された。学生のんびり気分の私はその作成をすぐに行わ
なかった。すると2日後の火曜日に電話がかかってきて

『金子君、あの件どうなった?』

と聞かれたので、

『いえ・・・、それはその・・・、まだやってません・・・』

と口ごもりながらお答えしたら、

『金子君、そんなことじゃダメだ!
 仕事はすぐやらなきゃダメだ!
 指示されたら、すぐにやんなきゃ、ダメなんだよ!!』
 
と非常に厳しく怒られた。私は目が覚めて

『ハ・ハ・ハ・ハイ、スミマセン!
  すぐにやります・・・』

とお答えして、その日の研究の合間に速攻で作成して郵送でお
送りした。
 今から思えば、山口さんは私の能力を試していたと思う。チト
仕事はやれそうだけど、まだ学生気分でノンビリしているかな、
と。ちょいと簡単な仕事やらせてみて、その対応を見てみるか、
と。・・・私が今同じことをしているので。

 上の立場の方から叱られた時に

@すぐに謝って行動に移すか
A言い訳を並べて行動を放棄するか

のどちらの行動をとるかで、その人間の能力が分かる。まあ、
余りに理不尽な話を除いての話だが。

 その後社会人になってからだが、

『金子君、今度 佐野で集まれるといいネエ!』

と山口さんが仰るので、これはオレに宴会をセッティングしろと
いう事だな・・・と直感で分かった。佐野高校の校長と部の先生、
藤岡高校の校長と部の先生、佐野女子高校の校長と部の先生、
の皆様にお集まりいただいて、

『ボート部をよろしくお願いします』

という趣旨の集まりを佐野で開いた。

 その後ボート協会の新年会(年1回・宇都宮)はナントナク現
在理事長のTしぇんしぇいが開いて下さっているが、その他の
集まりはナントナク全て私の幹事で開いている。

 事務局就任すぐで開いたのがボート協会の20周年パーティ
ー(栃木市にて)。これは準備期間も長くてゆっくりやれたが、
その翌日のアジア予選で高校同期の蔵田君がアトランタ・オリ
ンピック代表に決定し、わずか1週間の準備期間でオリンピック
壮行会を佐野で開かねばならなくなった。これもやたらと長くな
るので後日にするが、私の今までの人生の中で最も忙しく、
なおかつ大変な神経を使ったイベントであったことには違い無
い。・・・いい経験にはなったが、本音を言えばあんな大変な
イベントは今後やりたくない。

 やっぱり木工屋は箱を作っているのがイチバンである。


2001年
(平成13年)
7月12日(木)
アポの取り方&手紙の重要性

 これってビジネスマンの永遠のテーマ(大げさ?)かも
しれない。アポとはアポイントメントの略だが(アホでは
ない)、何ちゅう意味なんだろ?『きっかけ』 みたいなも
んかな。・・・と思って調べてみたら、『appointment』は
 『(会合の)約束』 なんだと。どっちかというと日本で
は個人間の約束の意味合いの方が強いから、チトばかし
ニュアンスが違うかな?まあほとんど日本語化してるから、
細かいことはどーでもよろしい。

 要するにそれまで全く面識の無かった
『Aさんに会いたい』
という場合に、じゃあどんな手段を講じるかとなる。無理
しても他人に会いたいというのは、まあ仕事の営業がま
ず第一に来ることが多いだろうし、後は頼み事とかそん
なもんであろう。普通であれば他人から物事を頼まれる
ような人はその面での有力者&実力者であるから、
忙しいに決まっている。
 
 イチバン楽なのは共通の知人(ここではBさんとするか)
がいる場合である。こちらからはBさんに

『ぜひAさんにお会いしたいから、連絡とってくださいナ!』

と頼む。頼まれたBさんも、しゃあないな〜、とか思いなが
らAさんに

『かくかくしかじか、こういう人間がいるので、
    ナントカ会う時間をとってくださいナ!』

と頼む。頼まれたAさんも

『Bさんの頼みじゃ、しゃあないな〜』

ということになって、時間を割く。まあ、2人がしゃあないな〜
と思うことで1軒落着チャンチャンチャン! これがイチバン
楽なパターンであろう。・・・その後の展開は知らないけども。


 それでは上記のBさんのような存在の人がおらず、全くの
つてが無い場合にどうするか?簡単に諦めるしか無いのか。
先方の連絡先は何かの形で入手できる。じゃあどうするか。
 イチバン多いのは直接電話して
『会って下さい。』
と頼むパターンであろう。しかしこれは逆効果になると思う。
電話は相手の時間をとってしまう。印象を悪くしてしまうだろ
うと思う。

 E-メールやFAXもあるが、やはり本当の気持ちが伝わる
とは思えない。・・・と私は判断している。最近は郵便のDM
よりもE-メールやFAXを利用したものが多くなっているが、
私自身全く目を通さないからだ。

 イチバンいいと思うのは、手紙を書くことではないだろうか。

 現代ではどんどんとE-メールとか携帯電話とか、情報伝
達が手軽で簡単な方向にばかり進んでいっているので、
手紙というのは少なくなっている。まあ郵便を使う場合という
のは、現代では伝票の送付とかカタログの送付とかそんな
感情の無いものばかりである。

 そんな現代だからこそ、手書きでいっしょうけんめい書いた
手紙は貴重なものになる。ご自分の状況をご覧いただきたい。
最近で手書きの手紙を受け取ったことがあるだろうか?

 とにかく先方に
『お?』
と思われることは確かである。そして手書きの文字というのは
その人の性格を表現するし、例え下手でもいいからいっしょう
けんめい丁寧に書けば、その感情というのは先方に伝わるは
ずである。普通の人間であれば読まずに捨てる、ということは
出来ないハズである。
 そしてやはり手紙の書き方をきっちり勉強して、ちゃんとした
形式の手紙を書ければ、
『この時代に大したもんじゃ・・・』
と印象に残ることは事実である。
 
 手紙をもらったAさんが気持ちを砕いてくれて、

『君の用件は分かった。
 君の誠意も良く分かった。
  いついつ、これこれの時間だったら大丈夫だから時間を
  とろう。
  話を聞こうじゃないか。』

と連絡をくれたらしめたものだが、もしも無かったら、その場
合はこちらから電話して、

『あの手紙は読んでいただけたでしょうか?』

と確認した方がよい。それでもダメなら、また後日別の手段
を講じるしかない。

 ちなみに↓『ショーシャンクの空に』で主人公は手紙を書き
続けた。

 先日書いたネッツトヨタのO君からはトヨタの葉書が来るが、
必ず宛名は彼の手書きであり、裏に一筆

『お車の調子はいかがですか?』

とか入っている。これだけで印象は随分と違う。この葉書が
ゴミ箱へ直行することは無い。

『あぁ、Oのヤツ、夜なべでこの葉書を書いたんだな・・・』

と私はいつも推測している。
 これがもしも宛名がDMタックシールで裏に直筆が無けれ
ば、まずこの葉書はゴミ箱へ直行するであろう。





 私も大学時代までは、マトモな手紙なんて書いたことが
無かった。

 しかし私が大学3年の時に、佐野高校ボート部の練習の
様子を見に毎週顔を出していたら、栃木県ボート協会(当
時は漕艇協会)・会長(当時は理事長)の山口さんから、

『後輩達のためにありがとう』

という趣旨の直筆のお手紙をいただいた。本当に『書き
慣れている』という感じの流暢な手紙であった。便箋で
3枚はあったろうか。それまでは余り山口さんにもお会い
したことは無かったのだが、結構1人で大変な思いをし
ていただけに感激して力がみなぎってきた。

 サスガだな〜、やっぱ人の上に立つ方だな〜、と感激
ウルウルしていたのだが、ひとつ現実に気が付いた。
当たり前のことであるが、返事を書かねばならない。

『あら〜』

と思った。私はそれまでマトモな手紙など1通も書いた
ことが無い。さてどうすべ、誰かに頼んじゃおうか、どう
すっかな〜と思っていろいろ考えたが、やっぱり本を購
入して手紙の書き方を勉強するしかないと決断。火事で
焼けてしまったが、その時購入した本は

『若い男性の手紙の書き方』

なる本だったと思う。・・・一応、当時は若かった。

 とにかく首っぴきで読んで、手紙の基本的な形式と
季語などを学んでヘタクソな字だがナントカがんばって
書いて返事をお出しした。実際、本を購入してから封書
を投函するまで丸まる2日を要してしまった。実に非効
率的だが、まあ最初なんてのはそんなもんである。
 あの手紙が失礼なものにはならなかったか、今だに
気がかりではいるが、後日 山口さんには怒られなか
ったので大丈夫だったであろう。・・・後で書こうと思うが、
山口さんは厳しいお方だ。

 栃木県ボート協会の事務局になってからは手紙を書く
のは日常茶飯事になっている。もちろん協会名&会長名
でお出しするので、いい加減なものは書けないが、かと
いって余り形式にこだわり過ぎて、なおかつ難しい語句
を使い過ぎて分かりづらいものになってもいけないと思っ
ている。
 まあざっと列挙すると

『○○○関係者各位

 拝啓

 △△△の侯、日々ご健勝のことと存じ上げます。
 さて、・・・・・・・の件につきまして、・・・・・・・・・・・・・
・との通り、ご連絡申し上げます。
 ご不明の点につきましては、下記までお問い合わせ
ください。
 今後も栃木県のボート競技の活動にご理解・ご協力
の程、よろしくお願い申し上げます。
                           敬具

平成□年□□月□□□日

         栃木県ボート協会事務局 金子隆之』

最近はこんなパターンに落ち着いている。
 念のために書いておくと、時候の挨拶も先方の安否を
気遣う言葉も、もっと気を遣って書けばキリが無い。しかし
協会関係の連絡は用件の方が大事なので、なるべく早く
用件に入るようにこの部分は簡潔にしている。この形式が
全てではないことをご了解いただきたい。もちろん手書き
ではなくて、パソコンで作っている。

 もひとつついでに書いておくと、

『拝啓−敬具』

の頭語・結語コンビよりも

『謹啓-謹白』

の頭語・結語コンビの方がより丁寧である。だがしかし
メンドクサイので、最も一般的な『拝啓-敬具』のコンビで
通してしまっている。



 ちょっといいことをひとつ。

 携帯電話は常に持ち歩くが、メモ帳なんかはまず持ち
歩かない。だけど結構出先でちょっとメモを取りたい場合
が出てくる。さてどうするか?

 私の場合、今までだとコンビニにいちばん安いメモ帳を
買いに行っていたのだが、最近いいことに気付いた。携帯
電話から自分のパソコンのアドレスにEメールで用件を送
るのだ。そうすれば携帯電話の方には送信メールBOXに
用件が残っているから出先でも確認出来るし、自宅に戻
ればパソコンの受信ボックスに残っているから、プリント
アウトして確認することも出来る。

 これってスゴク便利。ぜひお試しあれ。



2001年
(平成13年)
7月11日(水)
DVD映画ソフト
『ショーシャンクの空に』


 最近映画ってのは脚本が大事なのではないかと思っている。
理系人間の私が見ていて、
『ああ、この先はこうなる』
と読めてしまって、その通りになってしまうと誠につまらない。
やはり先が読めない展開が、とってもスリリングで面白い。

 今回ご紹介する映画 『ショーシャンクの空に』 はひと月
かふた月前に購入していたのだが、面倒なので見ていなか
った。購入したきっかけもただナントナクである。パッケージ
も開けずにあった。

 それがナンデ見たかというと、8日(日)にやってきた後輩
が『金子さん、コレいいですよ!』と言ってDVDプレイヤーで
かけてくれたからだ。ちなみにその後輩は東京のレンタル・
ビデオ屋でバイトしてた関係で、いろんな映画を見まくって
いる。この映画も過去3回くらいビデオで見たらしい。

 先日も書いたがこの日は午前中いっぱい消防団の行事。
ということは午後は大体5時頃までは寝ぼけている。・・・
お昼が美味しいもんネエ。後輩が来たのが午後4時近か
ったか、始めは寝ぼけ眼でボケーっと見てたのだが、段々
と目が覚めてきて、後半は食い入るように見てしまった。

 結論からいくと、最高に素晴らしい映画である。先日ご
紹介した『ライフ・イズ・ビューティフル』と比較すると、
どちらも 『生きる希望』 という点では一致していると思う。
違う点は
『ライフ・イズ・ビューティフル』 が 『家族愛』 であるのに
対して、
『ショーシャンクの空に』 はズバリ 『男の友情』 である。
実にカッコいい!というか最高にカッコいい!。カッコ良過ぎ
ですよ、モーガン・フリーマン!!

 実に高いレベルの話だが、どっちを選ぶかというと私は
『ショーシャンクの空に』 を選ぶかもしれない。逆に女性
は 『ライフ・イズ・ビューティフル』 を選ぶであろう。

 舞台は刑務所。コレッて『グリーン・マイル』と同じ・・・
と思ったら、

監督・脚本:フランク・ダラボン
    原作:スティーブン・キング
    音楽:トーマス・ニューマン

とそっくりメンバーが同じなのだ。道理で同じような雰囲
気で全体が流れていくハズだ。制作は『グリーンマイル』
の方が新しくて、これもまたいい映画なのだけれども、コ
レってチョイと超能力使っちゃうんでネ・・・。

 詳しく書くとキリが無いので適当にするが、とにかく訴え
てるテーマが深い。陪審員制度の問題点(冤罪発生の問
題)、服役者の社会復帰の難しさ・・・等など。
 一点たりとも見逃せないストーリー、特に後半の大どん
でん返しの展開、予想出来ない結末・・・。とにかくスンパ
ラシイ!そしてやっぱり最後にまたひと言、

カッコ良過ぎですよ、モーガン・フリーマン!!



 今日はセブン・イレブンの日だから(自分で勝手に決め
た)、これからお店に行って来よう。
 ・・・つ〜か何気に気晴らしに毎日行ってるけど。