・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2001年8月のページ

2001年
(平成13年)
8月10日(金)

世界最小のハードラー


 トップページにも書いたが、世界陸上・男子400m
ハードルで為末大(ためすえ だい)選手が見事に
決勝進出を果たした。決勝は明日の11日(土)であ
るが、これはトンデモナクすごいことである。

 為末選手はシドニーオリンピックではレースで転倒
してしまって決勝へ進めなかった。そのリベンジを見
事に果たした訳だが、何しろ身長が168cmしか無い。
これは参加男子選手の中で最小なのだそうだ。多分
大方の女子選手よりも小さいと思う。どう考えても陸
上は体の大きい選手の方が有利だし、ましてやハー
ドル競技となればなおさらである。ハードルをまたぐ
ように越えていかねばならないから、体が大きく脚が
長い選手の方が断然有利である。

 もうひとつは距離的に400mと800mというのは
無酸素運動の限界で、陸上競技の中でも最もつらい
種目なのだ。短距離と長距離の間の、悪く言えば最も
中途半端な距離ということ。ゴール後の選手を見てれ
ば分かるが、皆ぶっ倒れているか動けなくなっている。
分類で行くと短距離に入ってくると思うが、これも筋肉
の質的に欧米選手に断然有利。

 そんなもう、日本人にとっては不利な状況ばかりの
種目で(しかも身長168cmで!!)、初の決勝進出。
しかも展開次第ではメダル獲得の可能性もあるのだ
そうだ。これはホントに楽しみだ。

 銀メダルを取った室伏選手もそうだが、こういう
不利な状況の中で戦っている選手を見ると、本当に
心から応援したくなる。

 仕事だって同じで、今の日本は不況で大変だが、
政府のこととか首相のこととかに対して文句と愚痴
ばかり言ってる間に、もっと
「自分に出来ること」
を考えていけば、何かしら活路は開けてくるのでは
無いかという気がしている。

 先日の世界水泳は日本人では女子の活躍ばかりが
目立ったが、今回の陸上は男子が大活躍。

 がんばれ、日本!


2001年
(平成13年)
8月9日(木)

100mの科学


 現在開かれている世界陸上男子100mで、モーリス・
グリーンが3連覇を果たした。決勝では左足を痛めて引き
づりながらのゴールで、それでいて優勝してタイムが9秒
8台だったのだから、もうバケモノとしていいようがない。
ゴールしてからの彼の姿はとても痛々しかった。

 モーリス・グリーンは身長が178cmしか無い。これは
アメリカ人陸上選手としてはとても小さいし、日本人並み
の体格でしか無い。カール・ルイス(確か身長190cm
以上)だと、見ただけで『素質が違うからしゃあない』と
諦めてしまうが、モーリス・グリーンの場合はとても参考に
なる。

 テレビを見て分かったが、モーリス・グリーンは現在の
陸上クラブに入って才能を開花させた。名前は忘れたが
そのクラブのコーチの存在だ。とても驚いたのだが、この
コーチの理論は100mをほぼ3区間に分けて、その区間
毎に走りを変えている事である。助走区間-加速区間-
最終区間、という感じだ。そしてその100mの間に全身
の筋力をくまなく使うように計算されている。これはそれ
までの常識を覆す革命的なものであったらしい。

 100mというと、とかく、ヨーイドン!で全力疾走、とい
うイメージがあったが、こう考えると長距離と変わらない。
そう言えば朝原選手は準決勝でスタートはヨカッタが、
後半息切れしてしまった。・・・まあこれは体調の悪さも
あったとは思うが。

 室伏選手が銀メダルを引っさげて昨日帰国、そのまま
テレビへの生出演となった。・・・忙しくてカワイソウだが。
ナンダカ貫禄というか、すごい存在感があった。

『ライバルと競り合いながら、しかし自分も彼に勝てる
  ように努力していく』

ぜひ、アテネオリンピックで金メダルをとって欲しい!。


2001年
(平成13年)
8月8日(水)
8月8日

 やはり今日はネッツトヨタのO君のことを書かねばなら
ないと思う。この話はもう時効だろうし、だいいち当時の
所長がいるところの彼の結婚式で明かしたエピソードだ
から、問題あるまい。



 平成6年の工場火災から約2ヶ月後だったか、O君が
我が家にやって来た。

『金子さん、これお見舞いです』

 そこには多額のお金があった。聞くと彼はトヨタの営業
の合間に佐野高校ボート部OBの実家を回り、事情を話
してお見舞い金を集めてきてくれたというのだ。

『オマエ、ただでさえトヨタの営業で忙しいというのに、
  こんなことをして・・・』

と私はやはり彼の好意に涙で言葉が詰まってしまった。
その時彼は

『金子さんが今大変な状況におられるのは、私も痛い
  ほど良く分かります。

 だけども金子さん、ナントカ わたらせ会(佐野高校
  ボート部OB会)を今年も開いてください。

 僕達がどんなに努力しても、金子さんのやっている事
  をやるのは無理なのです。

 だからナントカお願いします。』

この言葉も私の胸にグサリと来た。わたらせ会は元々
私がメンバーを集めて開いたもので、年1回の総会は
開いていたが、この時ばかりはサスガに総会の開催
は勘弁してもらおうと思っていた。1回くらい中止にな
ってもいいじゃないか・・・、そんな甘えが私の気持ちの
中にあった。

 しかし彼の言葉に気持ちを入れ替えた。皆がそんな
にも楽しみしていてくれているとは、その時初めて気
付いた。そして例年通りに開催した。・・・今思えばこ
の時中止にしていたら、翌年からずっと開いていたか
は分からない。人間一度生ぬるい環境に身を置くと、
そこからなかなか元には戻らないからだ。

 彼のこの言葉が無ければ、私はボートから離れてい
たと思う。私が今着ているビジネス・スーツは、この時
持ってきてくれた見舞い金で購入したものだ。

 今日で工場火災から丸7周年。そしてカネコ木工HP
アップから丸2周年。本当に早いものだ。

 多くの方々の励ましでココまで来れたと思う。日本の
経済状況はますます悪くなっているが、私はこの栃木
の地でがんばって行き抜いていきたいと思う。

 毎日の生活が戦いだ。




 今回発表した『D−37Kバージョン』、ついに今日
長年の課題だった塗装仕上げをクリアーした。様々
な方法を試行錯誤してきたが、実用的に十分でなお
かつ価格的にも無理無く抑えられる方法に辿り着いた。
やっとオプション設定出来る。
 
 興味ある方はコチラのカネコ木工HPまで。


2001年
(平成13年)
8月7日(火)

足利銀行1101億円の赤字


 この見出しが8月3日(金)地元・栃木県の下野新聞の
第一面に踊った。まあこれは予想されたことで、別段驚
くことでも無い。不良債権処理を進めた結果とのことだが
先日の上野百貨店の倒産でさらに悪い状況になっている
ことは明らかだからだ。

 そして翌日だったか

『東京三菱銀行が足利銀行に1000億円緊急融資する
 用意は出来ている』

との記事も踊った。これもマア予想通りで、契約者が解
約に走るのを抑えようとしたのが目的だろう。その翌日
の新聞だったか、

『足利銀行の店舗に思ったほどの混乱は無く、
  店舗は通常通りに平静だった』

との情けない記事も載った。これも予想通りで、栃木県
民は足利銀行のこの手の記事に慣れっこになっている
から、今回の報道で別段驚くことも無いのである。ああ、
またか、って感じである。


 日産自動車があれだけの赤字になってしまったひとつ
の要因に、

『ウチには国が(具体的には当時の通産省が)バックに
  ついていて、いざとなると救ってくれる』

という甘えがある。実際ルノーとの提携が成功したのも
このおかげであるが、足利銀行も同じである。

『栃木県指定金融機関になっているウチが潰れれば、
  困るのは栃木県民。
 だからウチが潰れるハズが無い』

という甘えが根底にある。・・・実際にこの言葉を私は
耳にしているので。

 まあ書き出すとキリが無いのだが、基本的なところで
接客態度のヒドサが挙げられると思う。

『いらっしゃいませ』

『ありがとうございました』

この商売の基本言葉を、私の家の近くの吉水代理店
で聞いたことが無い。お客が窓口に行くまで無視して
いる。・・・当然この吉水代理店は閉鎖になって、今は
キャッシュコーナーだけ残っているが、これとて1台し
か設置されておらず、しかも夕方5時には閉まってし
まうので使い物にならない。当然土・日も開いていな
い。結局は田沼店に行ってしまった方が早い。

 その田沼店で上記の言葉が聞けるようになったのは
ここ1年くらいか。NTTドコモのようにお客に整理券を
渡すようになったのはいいかもしれないが、基本的な
ところでキャッシュの機械の処理速度が異様に遅い。
せっかちな私はイライラし通しだ。これがやっぱり都銀
になると、キャッシュの機械も高速だ。

 ただやっぱり全然ダメだなあと思うのは、外出帰り
の行員とか仕事が終わって帰る行員とかが駐車場
でお客に会っても、何も言わずに無視していることで
ある。根本的に

『お客あっての商売』

という基本が全く出来ていないのである。


 これがトヨタだったらどうか。例を挙げれば私がクル
ーガーVを購入したトヨタ・ビスタ佐野店では、駐車場
だろうがショウルームだろうが、とにかくちょととでも
お客を見かければ(それが自分の顧客で無くても)、

『いらっしゃいませ、ようこそお越し下さいました!』

と必ず声をかけてくる。そしてお客が帰る際には必ず
ドアーのところまで付き添い、お客が出て行くまで見
送り頭を下げている。ここまでされればお客も気分が
良くなり、『また来ようか?』という気になってくる。

 ちなみに今日の新聞によると足利銀行はアメリカの
どこかの格付けランキングで 『D/E』 から 『E』 
に下げられてしまったのだそうだ。本当に大丈夫かな
あ・・・?ハッキリ言ってこれって今後復活の可能性
が無いのだそうだが。

 ナンダカ 『プロジェクトA』 (どこかの映画だな)な
るポスターをこしらえて、店舗に掲示してある。ナンデ
も全国の地銀の先頭に立って不良債権処理に当たる
のだとか。・・・ただまあそんなことは当たり前のことな
のであって、そんなポスターを作る銭があったら、他の
事に使った方がエエと思うのが栃木県民である。

 私個人的には、トヨタに金払って講師に来てもらって
接客の基本を教えてもらった方がエエと思う。

 

2001年
(平成13年)
8月6日(月)

室伏広治選手、銀メダル獲得!!


 世界陸上がカナダで始まり、眠い日々が続いている。
中学時代に陸上競技をやっていた私としては、どうして
も見てしまう。

 私の専門競技は砲丸投げであった。始めは長距離、
次に高跳びをやったが、やっぱり投てきがイチバン向
いていた。部活の終わりは午後6時頃で、塾へ行くと
帰りは夜10時頃だったが、帰宅してからも自分の家
の庭で毎日砲丸を投げていた。中学生の使用した砲丸
は4Kgだが、これは父親に買ってもらった。納得行く
まで投げていたので、夜12時過ぎまで投げていたこ
ともしばしばだった。家の鍵を閉められそうになって、
よくオフクロに呼びに来られた。

 我が家の庭は石ころだらけだったので、当然使用し
ていた砲丸も傷だらけ。砲丸を首に押し付けて投げる
ので、当然首もスリ傷だらけだった。

 自分としては精一杯やったつもりだったが、努力空
しく目標の県大会出場は達成されずに終わった。私の
ベスト記録は13m25cmだったが、14m50cm投げ
るヤツがひとりいて、13m80cm投げるヤツがもうひと
りいたので、試合でも勝てなかった。県大会へは2人し
か行けなかった。努力だけではどうしようも出来ないこ
とを、中学の時に陸上競技から学んだ。


 陸上競技は長距離は世界で対等に(特にマラソン)
勝負しているが、短距離&パワー系はボートと同じく
世界では勝負出来ないと言われていた。何しろ元々
の筋肉の質が違う。また体も小さい。不利な条件ば
かりである。

 しかしついに、新たな歴史が作られた。室伏広治
選手が、男子ハンマー投げで銀メダル獲得である。
これはもう快挙以外の何物でもない。今期の世界
ベスト記録を引っさげての、今大会の出場であった
が、それにしても信じられないというのが実感である。
それほどに世界との壁が厚い競技だったからだ。

 室伏選手は、やはりかつてハンマー投げだった父
親のコーチの元、上記の日本人選手の欠点を克服
することに努力した。
『体が小さくて体重が軽い』
というハンマー投げの選手にとっては致命的な欠点
をカバーするための、『4回転高速ターン』。そして
最大限に遠心力をつけるための『傾いた回転軸』。
父・重信氏が『世界最高』と評した素晴らしい技術
である。

 投てき競技というのはモノスゴク難しい。全身の
力をフルに使って、最後は指先を通じて絞り出す。
そこに僅かでもズレが生じると、ファウルになった
りトンデモナイ記録になったりする。また試合では
相手選手の記録を見ながらの勝負になるので、
精神もタフでないと力を発揮出来ない。

 地味だったこの投てきという競技が、これだけ注
目されたという事実も大変に嬉しいことだ。

 とにかくメダル獲得の快挙。やはり次に狙うのは
『金』 しかないでしょう。ぜひアテネ・オリンピック
で取って欲しい。もう、あとほんの僅かである。・・・
まあそのほんの僅かを伸ばすのが大変なのだが、
絶対にやってくれると思う。何しろまだ26歳である。
ガンバレ、室伏選手!!

 ホントに最近は暗いニュースばかりだったから、
嬉しくて仕方が無い。


2001年
(平成13年)
8月5日(日)

カワチ薬品


 最近ココ栃木県では数少ない躍進企業である。名前に
『薬品』とついてはいるが、ほとんどスーパーである。もち
ろん薬品も置いてはある。

 お店のコンセプトは明確で店舗と駐車場を広くとり、車で
買いにくるお客に絞っている。そして理由は明確、『安い』
のである。私はいつも伊藤園のウーロン茶を買ってきてい
て、2リットル・6本入りでひと箱・980円(税別)であった。
そしたら今日行ったらその伊藤園製品は無くて、代わりに
ポッカ社の製品があった。ナントそれは698円!であった。
同じく2リットル・6本入り。利益があるの?

 例えばカップラーメンも安い。他店比較で20円〜50円は
安いのでは無いか?品物が同じなら、価格の安さは消費
者に対して明確なアピールポイントとなる。

 レジの女性店員さんの声も大きく、店内に活気がある。
ただ私が気付いている佐野店の欠点がひとつ。駐車場か
ら道路への出入りがしづらいのだ。特に出る時であるが、
ナゼだかゲートのところで高くなっているので、車で出る
時に非常に出づらい。ややアクセルを多目に踏まねばなら
ず、なおかつ やや前に出ないと右からの交通が見えない。
・・・クルーガーVに乗っている私がこう感じているのだから、
一般の女性ドライバーはもっと嫌に感じているに違いない。


2001年
(平成13年)
8月4日(土)
恨めしの花火大会

 今日は花火大会なんだそうだ。確か足利と藤岡の花火
大会が両方いっしょのハズだ。そういや今日は8月最初
の土曜日であった。例年ならば高校総体(インターハイ)
が既に始まっているのだが、今年は少し開始が遅い。

 今日が花火大会であることに気付いたのは、午後3時
過ぎである。ボートの記録整理に手伝いに来てくれた後
輩のH口から聞いて初めて知った。どうもここ数年こんな
調子なのだが、思えばこうなったのはボートの事務局に
なってからである。国体関東ブロック大会が7月末に行
われるので、その記録整理に追われているのである。

 結局昨日と今日の丸2日近く潰して、記録の整理が
終わった。後輩に入力ミスのチェックをしてもらって、
栃木県ボート協会HPにアップし終わったのが午後4時
頃だったか。ヤレヤレ・・・と思ってやっと落ち着いて工場
に入った。


2001年
(平成13年)
8月3日(金)

国体予選・関東ブロック大会


 基本的に栃木県のボート競技は選手不足に悩んで
いるのが実情である。

 昨年の山梨県・河口湖での国体予選・関東ブロック
大会の時に、関東ブロック長の石山さん(茨城県ボート
協会)から

『国体の本大会への出場枠というのは、各ブロック大
 会への参加クルー数で決まるんですよ。
 だからとにかく関東ブロック大会へ参加して欲しいん
  です。
 特に成年女子の4×+(舵手付きクオドルプル:漕手
  は両手に1本づつのオールを持ち、なおかつ舵取り
  のCOXが乗るスカル種目)が心配なんですよ。』

とのお話を伺っていた。

 栃木県の場合は、高校生は佐野女子高校ボート部
が がんばっていて、昨年もOGクルーが関東ブロック
大会へ参加してくれたのだが、今年は種目が変更に
なった事もあって非常に参加が難しかった。昨年のメ
ンバーでは絶対無理。皆スカル種目が未経験だから
だ。ただ幸いなことにスカルを漕いでいた漕手が大学
へ現役合格し、ナントか試合には参加出来ることにな
った。

 そうしたら今度はコックス(舵取り)が試合本番に日
程の都合がつかないらしい。・・・マズイことにちょうど
試合時期が大学の前期試験と重なるのである。この時
はさすがにダメかと思ったが、顧問の先生の助言でナ
ントカ出場する方向で検討。たまたま教育実習に来て
いた上の代のOG(元・漕手)が乗ってくれることにな
った。

 スカル未経験の2人は高校生といっしょに練習した
りでまあナントカ漕げるようにはなったものの、実のと
ころは
『果たしてスタートしてゴール出来るか?』
と心配でならなかった。ちゃんと完漕しなければ、失格
になってしまって出場したことにはならないからだ。し
かも全員がちゃんと揃ったのは試合本番なのである。
前日の配艇練習でもひとり足らず、高校生を入れて
漕いだのである。



 試合当日は他の種目の選手もいるし、関東ブロック
の会議も出なければならなくてこのクルーにかかりっ
きりになる訳には行かなかったが、ちゃんと予選レー
スも敗者復活レースも無事にスタートしてゴールした。
協会サイドの人間としてはこれで満足していたのだが、
試合後の掲示板への投稿で、あのレースの中でのド
ラマとそれぞれの選手の思いを知ることが出来た。


 『ボートをやって良かった』

 私がイチバン嬉しい言葉である。事務局として普段
書類と格闘している私としては、このひと言で苦労が
吹っ飛ぶ。・・・のだが昨日はこの国体関ブロの試合
結果一覧が来てしまった。他の書類も含めると一気に
5通も来た。O関ではないけど
『うが〜っ!!』
の気分で、しかもこの試合結果が種目別になっていな
いのである。マイッタナ、こりゃ・・・と思ってげっそりし
ながら事務所のソファーから気晴らしに携帯からメール
入れてたら、この試合に出たOGが近くで買い物をして
いた。頼み込んで寄ってもらって、とりあえず結果だけ
種目別に分けてもらった。その時間ちょいと工場に入
れたので、精神的にスゴク助かった。


2001年
(平成13年)
8月2日(木)

プロジェクトX
〜伏見工業高校ラグビー部〜



 私が佐野高校に入学した当時、佐野高校のラグビー
部と陸上部は全国大会出場の常連校だった。

 陸上部は全国総体(インターハイ)に20人以上も送り
込んでいた。私が3年生の時には4×100mリレーと
4×400mリレーの両方で決勝で4位になった。また
陸上競技マガジンで佐野高校の校章入りのユニフォー
ムが紹介された時には大変誇らしかった。

 佐野高校ラグビー部出身者は私の上の代だと、
『ジャパンのフルバック』
として期待された津布久さん(早稲田大学へ進学)が
おられた。確かキャップ1か2で故障により現役を引退
したのだと思った。
 そして私が佐野高校にいた当時は石井さん(早稲田
大学-現在・栃木県教員)がセンター&フルバックで活
躍されていた。やはりジャパンのキャップを取得。
 私のひとつ下に藤掛君(早稲田大学-ワールド)がい
て、知ってる人は知ってると思うが早稲田大学が全国
優勝した時のセンター、そして社会人になってからジャ
パンのキャップを取得。

 私が2年生の時までラグビー部は花園大会への連続
出場を果たしていた。私の記憶では、私が2年の時が
最も強かったと思う。この時佐野高校は第一試合で、
何とキャプテンの時田さん(現在・佐野高校教員)が
選手宣誓を行ったのだ。実にカッコヨカッタ。時田さん
(漢字これでいいのかな?)もカッコ良かったが、やはり
校章入りの佐野高校のユニフォームが実に誇らしかっ
た。
 この時第一試合は日立一高に50−6くらいのスコア
で大勝したのだが、第二試合は優勝候補に挙げられて
いた奈良の天理高校。この時佐野高校ラグビー部には
高校ジャパンの東西代表になった先輩が確か2人はい
たが、相手は高校ジャパン代表が片手の人数はいる強
豪である。
 大苦戦が予想されたが、終了間際まで12−0と大善
戦!普通ならば
『シード相手に良くヤッタ!』
とそれで納得してしまうだろうが、ナント終了間際に1ト
ライ・1ゴールを返して(当時はトライ:4点、ゴール2点)
12−6で試合を終えたのである。このトライもスパっと
バックスでキレイにとったというものでは無く、本当に
相手ゴールライン間際のもみ合いの中から、相手のフォ
ワード密集を乗り越えるようにしてとったものである。ま
さしく『旭城魂』を肌で感じた。
 もちろんビデオは無いが、このシーンは私の記憶の中
で鮮明である。

 佐野高校ラグビー部の花園連続出場が途絶えたのは
私が3年生の時。3年生だけ応援が認められていて、
その時は足利の競技場で県大会決勝が行われたのだ
が、見ている目の前での敗北は実に悲しかった。その
時自分たちの国体関東ブロック大会・決勝での敗北が
オーバーラップして来た。

 中学時代に砲丸投げをやっていた私が陸上部に入ら
なかったのは、とある先輩がいたため。ラグビー部に入
らなかったのはケガをした先輩を目にして怖くなったた
めである。・・・実際、体育のラグビーの授業でケガをし
た。だけどラグビーは面白かった。



 前置きが実に長くなってしまったが、ラグビーはボート
と同じくイギリスのスポーツという点で共通点がある。
その共通点とは、選手の自主性と状況判断で試合を
進めていくということである。これが監督主導で試合を
進めていくアメリカン・スポーツと違う。私の場合、
『夏はボート、冬はラグビー』
と決めている。どうもアメリカン・スポーツは派手過ぎて
私の趣味に合わない。イングランド・スポーツは地味で
イイ。

 伏見工業高校ラグビー部は現在は全国大会の常連
高校として名を知られている。しかし以前は京都イチ
バンに荒れた暴力学校だったのだ。・・・その荒れ方は
尋常では無い。
 顧問の山口先生が赴任されてからのこの実際の物
語りは、映画の基になった。『スクールウォーズ』か
ナンカだったかな?私もこの話は断片的には知ってい
たが、今回プロジェクトXで見て本当に感動してボロボ
ロ涙がこぼれてきてしまった。

 元・日本代表のキャップを持つ山口先生が赴任して
も、かえって生徒は反発するだけ。ラグビー部とは名
ばかりで、練習も練習試合もろくにやらない。そんな
部員たちがやる気になったきっかけは、前年に全国
大会で準優勝した花園高校との試合で、112−0と
いう記録的な大敗をしたことである。

 ツッパリの生徒というのはエネルギーのはけ口が
無いのである。だから他人や教師に当たり散らして、
それでも不満がたまっている。しかし負けることに対
しては、非常に悔しいという気持ちを持っている。そ
の悔しさのエネルギーも尋常では無いのだ。彼らが
その気持ちをラグビーに向けた時、

『来年は花園高校に勝ちたい。
  だから山口先生についていこう!』

と気持ちを入れ替えて、猛練習に打ちこんだのだ。

 そして本当に翌年、ウソみたいな話だが本当に僅か
1年後に、その花園高校に決勝で勝ってしまい、京都
府代表になってしまったのだ。・・・フィクションのドラマ
だってこんな脚本は書けないだろう。

『試合の勝ち負けよりも、点数よりも
  チームのためにがんばる子供たちの姿に感動した』

という山口先生の言葉に大変感動したし、そして卒業
後に立派な社会人として活躍している当時の部員の
現在にはもっと感動した。

 京都イチのツッパリだった山本清悟さんがラグビー
部に入部して、高校時代に日本代表になった。そして
日本体育大学卒業後に、体育教師になった。
 番組最後のこのラスト・シーンで、涙がボロボロこぼ
れてしまった。


 ようやく涙が収まってきてビデオの電源を切った時、
栃木県ボート協会HP掲示板に先日の国体関東ブロ
ック大会のレースに関してO関から投稿があった。

 収まって来た涙がまたこぼれてきてしまった。本当に
しょうのないヤツラだ。


2001年
(平成13年)
8月1日(水)

アドレス・エラー


 6月に広島県のTさんという方からメールをいただいた。
スピーカーの問い合わせだったが、いつものように返信を
するとエラーになって帰ってきてしまう。何度やっても同じ。
日を変えてやっても同じ。これはどう考えてもプロバイダの
サーバー・エラーでは無くてアドレス・エラーであることは
明白。文面もまだかなり不慣れな感じもしたし、さて本人
に連絡しよう、と思ったがそのメールには電話番号もFAX
番号も記載されていないのである。連絡の取り様が無い。
ホトホト困って仕方無くカネコ木工HPのトップページにメッ
セージを載せておいたのだが、1ヶ月後にまた同じ内容の
メールが来てしまった。要するに当方のHPもご覧になられ
ていないのである。

 いよいよ困ってさ〜て、どうすっかなあ、と考えていたが、
昼間工場に入ってしまう私はなかなか落ち着いてパソコン
に向かうことが最近少ないのだが、ボートの書類整理で事
務所にこもった日にボケ〜っと考えた。実は私自身もパソ
コンのハードディスクがクラッシュした後にOEを再設定した
時に返信アドレスの設定を1文字間違えており、しばらく
返信の際にエラーになっていたのだ。これはプロバイダか
らのメールで指摘されて分かった。

 とりあえずこの方のプロバイダを探すっかなあ、という気
になった。ナンダカ少年探偵団のような気分だが、メール
アドレスの@以降の部分を見れば、先方の所属が分かる
のでこの方は○○○.ne.jp、多分プロバイダのアドレスだ。
そこでまず○○○でヤフーで検索をかけてみると、やっぱ
り広島県内のプロバイダであることは分かったのだが、
何しろ300件以上出て来てしまって目的のものを特定す
るのは至難の業。
 
 そこで今度はエキスパート検索で絞り込んでみたら、
やっと出て来た。ズバリの広島県内のプロバイダだ。
○○○の名前がぴったり入っている。恐らく間違いは
ネエだろ〜とは思いつつも、間違っていたら大変失礼
なので、

『Tさんという方が御社のお客様かと思われます。
  かくかくしかじか、この通りにメールいただいてますが
  返信しようとするとエラーになってしまいます。
  この方のアドレスは××××です。
  御社のサーバーが恒常的にエラーを起こしているとは
   思えませんので、Tさんのアドレスにエラーが無いか
   どうかご確認お願い致します。』

てな内容だった。
 1時間後にはレスが来て、やはりTさんはそのプロバイ
ダのお客様であった。後日ご本人に連絡を取って下さっ
たそうである。ヨカッタ、ヨカッタ。

 今回のケースは初めてで、なおかつ非常に困ったパタ
ーンだったがやっぱりメールアドレスを取得したら、自分
から自分にメールを出してみて、またそれに返信を出して
みてエラーが無いか確認をすべきである。
 
 エラーを知らずに相手にメールを出してしまうと大変失礼。