・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

2001年8月のページ

2001年
(平成13年)
8月20日(月)

プロジェクトX
リーダーたちの言葉



 実質今日から仕事が始まった方も多いのではないかと
思う。本当に休み開けでの仕事は、ムチャクチャだるい
ですナア・・・。
 昨日は日曜日で、さすがに体がガタガタだったので工場
には入らなかったが、結局事務所に入ってたまってしまっ
た書類とメールに目を通していた。

 プロジェクトXは良く見ているが、明日:21日(火)の放
映は夜8時からの特集で「リーダーたちの言葉」。これも
とっても楽しみなのだが、それが本になっていち早く書店
に並んでいた。これはチーフプロデューサーの今井彰さん
が書かれたもので、まだ全てを読んではいないのだが、
冒頭の

「はじめに 『リーダーたちの言葉』に込めた思い」

の中に「番組で貫き通してきたテーマ」として素晴らしい
言葉がある。


『思いは、かなう。

 努力している人間を、運命は裏切らない。

 必ず、道は開ける。』


 毎日もっと努力せねば、と大変に勇気付けられる言葉
である。あんまりいい言葉なので、パソコンで文章打って
プリント・アウトしてしまった。事務所の壁に貼ってある。



 もうひとつ、この本の中には出て来ないのだが、スバル
360の開発リーダーの百瀬晋六さんの言葉。

『30分で登ってみせる。』

これはスバル360が発売前の箱根峠を登るテストに臨む
時の言葉だが、当時の国産車(恐らくトヨタ・クラウンのこと)
でも難しいタイムだった。しかし実際は24分で登り切って
しまって、周囲を驚かせた。

 要するに目標設定の大切さなのだが、始めから諦めて
しまっては何も出来ない。またあんまりにも簡単な目標で
は、設定する意味が無い。
 私の体験で言うと、その人間の能力を100パーセントと
した時に、120パーセントくらいのところで目標設定して
おけばいいのではないかと思う。

 私も毎日その日の朝か、前日の夜かに、こなすべき仕事
を設定している。・・・ハッキリ言って現状、ナカナカ達成
出来ないでいるが。


2001年
(平成13年)
8月19日(日)

懺悔、ゲゲ・・・!


 今回出荷の下駄箱は在庫品なのだが、実にタイミング
が悪かった。通常はパーツを用意しておいて、在庫の数
が30台くらいになったら組み上げている。

 今月になって第1週だったか、在庫が70台くらいあっ
た。だから残りの100台を今月納入出来るかどうか、
って感じだった。そしたら7日頃になって

『お盆開けに50台が出荷するから、お盆開けすぐに
  納入出来る』

という連絡があって、そんじゃあお盆が開けたら組めば
間に合うナア、と思っていたら、10日(金)になって、

『在庫が7本になってしまった!
  遅くとも20日(月)には納入してくれ!』

と言う。これにはマイッタ。お盆休みどころでは無いの
は事実として、もうひとつ困ったのは通常オフクロが
やっている作業を自分でやらねばならなくなったことで
ある。お盆ではオフクロも家の中のことと来客の応対
で忙しい。

 とにかく在庫品を切らしてしまっては大変だ。

 11日(土)と12日(日)は共同通信社の予定が入っ
ていたので、これを優先せねばならない。かくして13
日(月)から奮闘してがんばって、ナントカ17日(金)
には完成させておいて18日(土)にはウォーターフェア
ーには行きたいと思ったが、全然無理で完成したのは
18日(土)の午後3時であった。ちなみに運送屋さん
は午後1時には来てしまっていた。

 こんな時が本当に製造業のツライところ。

 やっぱスピーカー制作の方が面白いナア・・・。


2001年
(平成13年)
8月15日(水)

懺悔


 チョイト下駄箱の製作が間に合わないので、工場に
こもります。
 こちらの日記、しばらくお休みです。
 
 世間はお盆か・・・。


2001年
(平成13年)
8月13日(月)

世界陸上閉幕


 男子4×100mリレーの決勝は実に残念だった。
しかしまあバトンのミスや他の選手との接触というの
はリレーではありがちなことなので、難しい気持ちで
はある。

 しかし真夜中(結局ゴールまで見てしまった)の
女子マラソンは実に素晴らしかった。土佐礼子選手
が粘りの2位、そして我が栃木県出身の渋井陽子
選手が4位入賞である。改めて日本女子マラソンの
レベルの高さを実証した。

 渋井選手は初マラソン世界最高記録がやたらと
目立ってしまったが、私個人的には今回の世界陸
上ではそれほど活躍出来ないのでは、と思ってい
た。何しろマラソンのキャリアが少な過ぎる。何が
起こるかワカラナイのがマラソンである。完走するの
だって大変だ。

 レース後半でトップ争いから脱落した時、そのまま
ズルズルと下がって行ってしまうかと思われたが、
ナント食い下がって4位でゴールした。これは凄い
ことだ。気力を落とさずに、常に前を追ったのだ。

 土佐選手と渋井選手はとても仲がいいのだそうだ。
Number 527号 にも2人揃って出ている。


2001年
(平成13年)
8月12日(日)

為末選手、銅メダル獲得!!


 昨日はオーディオ・ベーシック誌のスピーカー工作の
ために共同通信社へ行った。朝6時に工作道具を車
に積んで出て行った。行きはヨカッタが帰りが心配だっ
たのは東北道・下りの混み具合だったのだが、予想に
反して首都高速が大渋滞していた。でもまあ東北道
は流れが良くて、夕食を済ませて夜9時には家に着け
た。おかげで夜10時から世界陸上のダイジェストを見
れた。


 それにしても、である。為末選手の銅メダル獲得で
ある。もちろんずっと気になっていて、昼間のテレビを
リアルタイムで見たかったのだが、当たり前だがちょう
ど共同通信社にいる時間だから見れない。

『場所が場所だから、編集部に行けば速報がすぐに
  入るだろうナア・・・』

なんて思惑は実に甘く、道具を降ろして板を並べて
写真撮って、工作始めて・・・なんてやってたらすっかり
時間は過ぎていた。


 しかし、しかしである、くどいようだが、銅メダル獲得
もさることながら、あの決勝の大舞台での日本新記録。
夢の47秒台。あのラストの粘りは、『執念』 以外の
何物でもない。インコースの選手に抜かれるかと思っ
たが、粘り切ってしまった。

 私も中学の陸上部の練習でハードルはやったが、
大変にムズカシイ。なるべくハードルぎりぎりにまたぐ
ように越えていかねばならない。そしてハードル間の
歩数も問題なのだ。
 理想は3歩なのだろうが、中学生で始める場合は
まず全てのハードルを3歩で行くのは無理で、普通に
やると5歩になってしまう。右ききの場合は右脚が先
に行ってまたぐ形になるのだが、3歩で無理で5歩で
は全然ダメだとすると4歩にするしかない。要するに
逆脚(左足が前)でのハードリングを練習しなければ
ならないのだ。
 
 為末選手のハードリングの技術はスバラシイ。決勝
に出た他の選手と比べても、よく分かるのだが、前足
が出てハードリングする時にスピードが落ちないので
ある。本当に走っているそのままのスピードで行って
しまう。これは天下一品の技術だ。他の選手は一瞬
ハードルの前で止まるような感じになり、一瞬スピード
が減速しているように見える。
 このハードリングの技術のおかげで、基本的に劣っ
ていると思われる走力を補ったのだと思う。

 ハードリングは難しいし、距離的に400mは無酸素
運動の限界距離。為末選手も8台目ハードル以降の
ラストのレースの記憶が無いのだという。要するに
脳みその中も酸欠状態なのだ。陸上競技の中でも
最高にツライ競技ではないかと思う。

 為末選手はまだまだ大学生だという。当然次にア
テネオリンピックでの活躍も期待され、今後は周囲
からの重圧の中での活動となるだろうが、なんとなく
彼の場合は大丈夫ではないかという気がしている。
あの決勝レースの前の様子なんか実にリラックスして
のびのびした様子だったからだ。

『不思議にリラックスしてて、あの大舞台を楽しむ
  気になっていました。』

新聞に出ていた本人のコメントだ。報道陣への受け
答えも実にしっかりと落ち着いている、スバラシイ
好青年である。・・・これは室伏選手も同様だ。


 ガンバレ、日本!!