・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

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2002年
(平成14年)
3月20日(水)

商品券


 先日佐野ケーブルTVの営業のKさんが、商品券を
持ってきて下さった。

「なんすか、それ?」

私は完全に忘れていたのだが、当方が加入する時が
キャンペーン期間で、誰か佐野ケーブルTVに加入して
いる紹介者がいる場合には双方に商品券が貰えるこ
とになっていたのだ。工事代金の引き落としが2月末
だったので、それを確認した上で3月になってからの
配布になったのであろう。

 やっと思い出してあぁ〜、そうだったですかぁ〜と貰
っておいたのだが、私はこういうものは自分では使用
しない。基本的には日頃世話になっている誰かにくれ
てしまう。それですぐに思い出したのは、紹介者として
記入させてもらった、ボート部後輩のO君。この日記に
はよく出て来るが、日頃私を良く助けてくれる、ネッツ
トヨタの優秀営業マンである。

「そうだ、Oのおかげでこれが貰えたのだから、
  後でOのところへ持って行こう!」

と決めた。

 そうしたらその翌日、また上記の佐野ケーブルTVの
Kさんがやって来た。手には商品券があるのだが、

「あの〜、昨日Oさんのところへこれを持って伺った
 のですが、Oさんが
『いつも金子さんにお世話になっているので、これは
  金子さんのところへ持って行って下さい。』
と仰るので、持って来ました。」

 ハァ??と思ったのは当然である。2人して同じこと
考えていたのだ。苦笑してとりあえず受け取っておい
たのだが、その2つの商品券は1日考えて思い浮かん
だ2人の人間に渡した。もちろん上記の事情を説明し
た上、O君の了解を得た上での事である。



 
2002年
(平成14年)
3月19日(火)

スポーツえらい人グランプリ


 この番組は年に1度か2度だか放映されるのだが、
様々な分野の意外な面を放映してくれる、とても貴重
な番組。スポーツ大好きカネゴンとしては、毎回必ず
見ている。

 え?!と驚くような有名人が登場するのも毎回の事
で、今回はマイケル・ジョーダンであった。しかし毎回
妙に感動してしまうのは、
『アンパンマン・ショー』
である。

 スポーツ各分野の有名人が、アンパンマンの着ぐる
みを身に着けてバイキンマンと対決する。意外なとこ
ろで子供達が喜んだり、あるいは逆だったりと、反応
が様々。しかし やはりスゴイと思うのは、頭だけで
10Kgはあるという着ぐるみをつけた状態で、一流の
技を披露する点だ。とてもじゃないが重くて動きづら
くて体のバランスが取れないハズだが、その中で体
の感覚で矯正して技をこなしてしまう。

 子供達を喜ばせるために、皆 真剣。しかし控え室
で子供達の表情を見る素顔は、とても優しい。

 バイキンマンに扮するのは、プロレスラーの泉田選
手。怖そうに見えるその素顔は、やはりとても優しい。
毎回のバイキンマン役で、最後はいつもアンパンマン
にやられてオシマイ、子供達の歓声を受けることも無
い汚れ役だが、彼は毎回きっちりとこなしている。動
きも慣れてきて関係者曰く

『あの動きはプロだ。』

実はイチバンの功労者は泉田選手かもしれない。


2002年
(平成14年)
3月18日(月)

F−1


 昨日のマレーシアGPは深夜の放送で、予想通りに
スタートは見たのだが いつの間にか寝ていた。今朝
新聞で結果を見たら R・シューマッハー(ウィリアムズ
BMW)が優勝、トヨタ2台が完走、佐藤琢磨選手も完
走という結果だった。高速サーキットでなおかつピット
インの度に順位が入れ替わるという、なかなか見てい
て面白いレースであったと思う。・・・その割には寝てし
まったが。

 ここ数年 F-1も見ていなかったので 細かい経緯
は良く分からないのだが、寂しいなあ、と思うのは
ロータスとティレルという名門2チームが撤退している
ことである。

 私がF-1に興味を持ったのは小学校の低学年の頃
であった。F−1を扱った漫画も放映されていたのだが、
何と言ってもこの時に革新的で凄かったのは、6輪車:
「ティレルP34」である。空気抵抗を減らすため、普通
前輪が2輪であるところを4輪使用したのだ。とっても
タマゲタ車だが、この小径前タイヤが特別開発になっ
てしまうため、タイヤメーカーで開発が後回しになって
しまったらしい。

 小学校高学年になると私もプラモデルを作る腕が
上達する。この頃に少ない小遣いをはたいてやっとこ
作ったのが「ロータス78」。そう、史上初の「ウィング
カー」である。サイドポンツーンをウィング形状にする
ことで、飛躍的なダウンフォースの向上を果たして、
コーナリングスピードが飛躍的に向上した。78では
まだサイド上面の形状がいびつだったが、この翌年
の「ロータス79」でサイド形状もキレイになり、グラン
プリを席巻して全てのチームがウィングカーとなって
しまった。この時代のロータスはそのウィングカーの
形状もさることながら、あの真っ黒のJPSカラーも格
好良かった。

 最近のマシンで印象深いのは「ティレル019」(0
18だったかな?)。そう、現在主流の「ハイノーズ」
を初めて採用した車だ。このマシンを見た時もビック
リした。確かこの時は非力なフォードV8エンジンだ
ったと思うのだが、このマシンを操った当時 若手の
J・アレジが、モナコGPでマクラーレン・ホンダのア
イルトンセナを追いかけたシーンは印象的だ。

 キャメルカラー(黄色)のロータスホンダは、大して
革新的なことはやっていなかったが、ホンダエンジ
ンのおかげでマアマア速かった(マクラーレンよりは
遅かった)。・・・アクティブ・サスペンションを使用し
ていたような気がするが、いつも故障していたような
気がする。サーキット名は忘れてしまったのだが、
マクラーレン・ホンダが1位と2位、ロータス・ホンダ
が3位(アイルトン・セナ)と4位(中島悟)という、
『ホンダエンジンが1位から4位まで独占!』という
とんでもないレースが1度あり、思い出深い。

 ロータスとティレルも名門チームであるが、常にス
ポンサー探しに苦労していた。またプロスト・チーム
も資金難で今年から参戦していないようである。現代
のF-1はまず大量の資金を用意していないと、戦うこ
とが出来ない。そのためにオーナーはチームの統括
よりも先にまずスポンサー探しをしなければならない。
役割を分担しておいた方が賢明なのかもしれない。

 F-1チームは『チーム名+エンジン会社名』で表記
される。だから
『マクラーレン・メルセデス』(長い!)
『ウィリアムズ・BMW』
『ジョーダン・ホンダ』
てな具合に。だから両方開発しているフェラーリは
『フェラーリ』
だけである。本来は最後まできっちりと呼ぶべきなの
だろうが、テレビ中継なんかでメンドクサイ時には
『マクラーレン』
『ウィリアムズ』
『ジョーダン』
とチーム名しか呼ばず、エンジン会社名まで呼ばない
時が多い。『トヨタ』がリスク覚悟でシャーシーとエンジ
ンの双方の開発までして参戦しているのは、そんな所
まで考えていたのかもしれない。1年間の準備期間と
豊富な資金があったとは言え、2戦連続の完走は大変
に立派だと思う。


2002年
(平成14年)
3月17日(日)

ネーミング その?


 商品に名前をつけるのは当然のことだが、それだけ
でなくコンセプトそのものや、技術そのものにも名前を
つけた方が分かりやすく売り安い場合がある。

 この点やはり『販売のトヨタ』は強い。ざっと列挙する
と、

『LASRE(レーザー)=新時代エンジン技術』
『TEMS(テムス)=電子制御サスペンション』
『GOA(ゴア)=衝突安全ボディ』

といったところ。そんでもってトヨタの真似をするのが大
好きな日産は、

『PRASMA(プラズマ)=新時代エンジン技術』
『ZONE BODY CONCEPT
 (ゾーンボディコンセプト)=衝突安全ボディ』

というネーミングを、トヨタが発表した直後に発表した。
ただハッキリ言って2番煎じはインパクトが弱い。

 余談ではあるが最近流行の衝突安全ボディだが、そ
の実力を評価するのに『AAA』だの『AA』だのと表示し
ている。何だかムーディーズの企業格付けランキング
のようだが、これの評価を高くするのにはシートベルト
プリテンショナーを強くするといいらしい。またエアバッ
グの膨らむ速さを速くするだけでいいらしい。人形の
損傷の具合で評価するからだ。しかし上記のようなこ
とをやると、実際に乗車している人間には危険である。
人体そのものに大きなダメージを受ける可能性がある。
だから専門家筋は、余りこの安全評価だけを過信しな
いように警告しているのだ。

 数値評価のためだけに意味の無い対策をする。何だ
か日本の大学受験対策勉強と同じだ。

 ただスバルの水平対向エンジン搭載車は、衝突時に
水平対向エンジンが下方へ滑り込むように落ちるらし
く、構造そのもので衝突安全性が高いらしい。またドイ
ツ車はペダルが人体に影響を与えないように設計され
ているものもあるらしい。


 話は戻ってネーミング。やっぱりここ最近のカネゴン
的ネーミング大賞は何と言っても

『ムネオハウス』

 これは実に分かり易くてインパクトがあり、ムネオ氏
を離党に追い込むきっかけとなった。議員辞職にまで
なるかはワカランのだが、当然のことながら何も商品
はありまへん。


2002年
(平成14年)
3月16日(土)

後輩の成長 その2


 先日 佐野高校ボート部後輩のK君に、我が家にち
ょっと寄ってもらった。渡すものがあったためで私が持
っていこうと思っていたのだが、携帯電話に連絡を入
れたらちょうど佐野の実家で夕飯をとっていたから、
帰りがけに寄ってもらった。

 彼は群馬県O田市のパレット会社勤務。地域柄 富
士重工(スバル)の仕事も多いが、他の会社に納める
仕事もやる。始めは工場内での製造だったのだが、営
業になって丸2年になるのかな?顔見た瞬間に私が
発した言葉は、

『アレ?オマエ痩せたな〜。』

聞くと7Kg体重が減ったらしいが顔色はイイ。それに
しても随分と高級そうなビジネス・スーツを着ているが、
聞くとこれも10万円近いそう。ネクタイも高そうだ。・・
・俺にひとつくれ、と言いかけて止めた。

 彼の会社は典型的な日本企業である。だから彼にと
ってはあまり居心地のいいところでは無い。彼が営業
になってからしばらくは、随分と顔色が悪かった。ま
あ 営業という職業柄、当然ではあったろう。元々が
彼は口数が多いほうでは無い。どちらかというと近寄
り難い雰囲気を発していたが、よくしゃべるようにな
った。

 「典型的な日本企業」 故、営業でナンボ実績を上げ
てもそれが給料やボーナスに反映されない。だからや
る気が起こらない。・・・それは事実として、彼の表情は
生き生きとしている。上記の不満はあるけれども、最近
営業の面白さが分かって来たという。素晴らしいことだ。
仕事のやり方も非常に工夫している。ウチに来る営業
に教えてやりたい。やはり、営業という仕事は人を育
てることは事実だ。

 まったく最近の学生はやっぱりマナーがなってねぇ
よ〜、と私がボヤいていたら彼は、

「だけど金子さん、
 『相手や周囲に迷惑をかけない』
 という基本がしっかり出来ていれば、そんなヘマなこ
 とは やらないハズですよ。
 そういうことは家庭で教えるべきなんですよ。
 学校じゃ教える訳無いんだから!」

本当にその通りなんだよ、だけどそれが出来てないん
だよ〜と私はまたボヤいていたのであった。それにして
も、彼は素晴らしく成長したものである。


 先日書いた『学生のマナー』では、画面の向こうで
私の怒りをかなり感じた方もおられたと思う。実は佐
女ボOG2人にたて続けにやられたので、結構私もプ
ッツンと切れかかっていたのである。

 先日他の佐野高校ボート部の後輩から話を聞いてい
たのだが、

『ああいう連絡の際のマナーなんて誰も教えてくれない。
  金子さんに教えてもらって本当に嬉しい。』

と言っていた。私からすれば、ナンダそりゃ?の気分な
のだが、考えて見たら社会に出るまで学生のうちは
誰もこういうマナーを教えてくれないのだと気付いた。
会社に入ってから ひととおりのことは学ぶだろうが、
連絡や訪問の際の細かいマナーなど、誰も教えてくれ
ないだろう。・・・家庭で教えていないとなると、自然と
そういうことになる。


 私を怒らせた上記2名も、客観的に見て同期の中で
はかなりしっかりしていると思われる人間だ。というこ
とは、他の連中はもっとヒドイのではないか?その2人
だって悪気があってした訳では無く、ただ単に気付か
なかっただけだと思う。・・・まあ彼女達の高校時代か
ら私が接しているので、私に対して友達感覚なところ
があるのは事実である。だが私にはヒマな時間など無
い。

 去年の6月頃にこの日記に書いたメールや電話のマ
ナー集はかなりの反響があり、とある社会人の方からは
『これは新人教育のバイブルになる。』
とまで言われた。あんなこと当然だろうと思っていたのだ
が、社会人でも意識が徹底されていないことは、ウチに
来る営業を見ていれば非常に良く分かる。

 マナーを知らずに社会に出てからヘマをしてしまい、
それが取り返しのつかないことになってからでは遅い。
日本の学生全員に徹底するのは無理だが、栃木でボ
ートをやった人間だけは、そんなつまらんミスをしてほ
しくない。上記K君も語っていたが 「取り返しのつか
ないミス」 とは、人間的な信用を完全に失ってしまう
ことだ。これはどうやっても修復不可能だ。

 今いろいろと対策は考慮中。・・・しっかし冷静に考え
て、ナンデ私がこんなことまでやらねばならんのかが、
非常に良くワカラナイ。

 立場上、後輩から就職の相談を受けることも多い。
そんな場合、大体が私のボート関係の先輩や後輩、あ
るいは地域の知り合いの方の中で、相談をお願いする
ことが出来る方がいる。そういった時、本人に対して

『先方に対して失礼の無いように』

と徹底するのはモチロンであるが、私からも相談をお
願いする方に直接連絡しておき、最後に必ずこう添え
ておく。

『何分にも世間の厳しさと礼儀というものを知らぬ
 学生ですので、何か失礼がありましても 何卒
 お許し下さい。』



2002年
(平成14年)
3月15日(金)

後輩の成長


 私はこの歳(確か34歳・・・だったハズ)で今だに
独身のため、
『子供の成長を見守る』
ということが出来ないのだが、ボートに関わっていて
嬉しく思うのは後輩の成長を感じた時である。

 高校の現役時代では体力が向上する、技術が向上
する、チームワークが向上する、よって艇が速く進むよ
うになる、というボートの直接的な競技の結果が向上
することは非常に嬉しい。

 だがもっと嬉しいのは、高校を卒業してから大学4年
の間、または社会人になってからの経験を通して、人
間的に大きな成長を遂げた奴を見た時である。マトモ
に話も出来なかったヤツが、ちゃんと挨拶が出来るよ
うになる、ちゃんと電話をかけてくることが出来るよう
になる、幼稚園生のような文章しか書けなかったヤツ
が、マトモに見れる文章のEメールを送って来ることが
出来るようになる、等など いろいろある。

 先日インドから無事帰国した(ホリグチが階段から
落ちないでヨカッタ!)慶野が、私のところへ来てく
れた。彼も私のこの日記を毎日読んでいてくれている
らしく、私が久々に佐野高校ボート部の練習に顔を出
したことは、非常に興味深いことだったようだ。俺が
顔出したんだから、オマエも練習に顔出せや、みんな
喜ぶゾ!と私が言ったら、

『僕に何が出来るんでしょうか?』

と言う。

『バカタレ、何を言うとるんじゃ!
 オマエは佐野高校を卒業してから中央大学ボート部
 の4年間で学んだことが 山ほどあるだろうが?。
 ボートの直接的なことでもいいし、人間的なことでも
 いい。良かったこと、悪かったこと、いろいろあるだろ
 うが?。
 ヒッチハイクで学んだこと、インドで学んだこと、
 たくさんあるだろうが?
 今のオマエに伝えられることを、伝えればいいんだよ。
 今のオマエに出来ることを、すればいいんだよ。』

と私は言った。彼はナルホド!と言っていたのだが、
その通りに佐野高校へ顔を出してくれ、今日の練習に
同期の大朏と共に顔を出してくれるらしい。ちなみに
慶野と大朏は高校の時のダブルスカル(2人漕ぎ)の
コンビである。その2人が高校を卒業してから4年後
に、共に佐野高校の練習に顔を出してくれるとは、
トテツモナク嬉しいことだ。

 人間的に未熟極まりない私がエラソーなこと言える
ものでもないのだが、そんな私が周囲の人間を見てい
ても、自分のことしか考えていない人間が多いことに
気付く。恐らくその確率は90パーセント以上ではない
かと思う。学生であろうと、社会人であろうと、である。

『相手に迷惑をかけない。』
『相手の立場になって考える。』
『相手に思いやりを持つ。』

という基本が出来ていない。だから相手や周囲に迷惑
をかけていて平気なのだ。社会人であれば、露骨に自
分の利益しか考えていない。


 栃木でボートをやった人間に対しては、社会に出た
時に、社会に貢献するということはすぐには不可能だか
ら、まずは社会に迷惑をかけない人間であってほしい。
その最初の段階として、後輩部員達を思いやることは
『相手を思いやる』
ということの第1歩につながるハズだ。


2002年
(平成14年)
3月14日(木)

宅配便業界

 
 職業柄宅配便は良く利用するが、最近までクロネコ
ヤマトが集荷に来てくれることを知らなかった。そんで
先日集荷依頼に来ていただいたら、その後 見積もり
書を持ってきて、法人の契約をしてくれという。

『なるべく小荷物はウチへお願いします。』

 値段を見ると他社よりも安いし、何しろクロネコヤマト
は到着時間の指定が厳密に出来るのでありがたい。
また集荷の段階で値段がきっちり出るのも非常に有り
難い。やはり宅配業界では先を行っている。

 私の消防団の後輩が夜 ある宅配便会社にアルバイ
トに行っているのだが、結構ヒマなのだという。昨年より
も取り扱い量が減っているのだと言った。

 いつも公団の下駄箱の納入を依頼している運送屋さ
んは、引越しの仕事もしているのだが、今年は昨年よ
りもかなりヒマだという。

 やはりモノも人も動いていないのか・・・?


2002年
(平成14年)
3月13日(水)

ボートの後輩

 
 来月からの消防団の操法大会の練習に備えて、朝4
時に起きている。夜明け前の起床はトッテモ気持ちが
イイ。・・・のだがどうにも毎朝思い出してしまうのは、
バカタレOh島(佐野女子高校ボート部OG)が昨年の
投稿の際につけた『生活が老人化している消防団員』
というネーミングである。本当にコンチクショウメ!と思
う奴だが、性格と口が元々毒々しい上に国語力がある
ので手に負えない。投稿する度に私の悪口を書いてい
くという、とてつもなくヒデェ奴である。最近 投稿が無
いので 「ダイエットと教習所で忙しいのだな?」 と安
心していたのだが、昨夜 突如として投稿があった。
私が「バカタレ」と付けるところからも、最も危険な人物
と判断していただいて間違い無い。・・・最近ようやく自
分でも「バカタレ」であることが分かったらしいから、人
間として半歩前進か?この、ネット界の流儀もマナー
もへったくれも無い奴が、来月からプロバイダ関連の
会社で働くのだから、本当に訳ワカラン。企業の新人
教育の方は相当に大変だと思う。

 佐野高校ボート部員やOBは皆 私に似て真面目な
ので私の言う事を良く聞く。あと私のこのHPを毎日見
ているらしく、私に連絡して来る時も たどたどしいな
がらも非常に注意して努力しているのが分かる。エライ
奴らだ。

 対して佐野女子高校ボート部員やOGは皆 基本的
にムチャクチャであり(以前にも書いた)、私の言うこと
も全然聞かない。ヒデェ奴らだ。顧問の先生は大変に
真面目な方なので、誰に似たのかが全然ワカラナイ。
ただ ひとつ 言えるのはそのムチャクチャさは初代か
らの伝統である。「???」 と思うことばかりだ。基本
的に私のことを友達以下の存在としか思っておらず、
HPの掲示板にも平気で私の悪口を投稿していく。そ
れでいて自分の頼みごとの時だけ平気に頼んでくる。
とっても調子のいい奴らだ。

 ただまあ 仕事をしながら高校生や大学生と接する
ことが出来るのは、ボートをやっているおかげであるの
は事実である。仕事だけだったら、私の人生は工場と
事務所の中で終わってしまうから。

 彼ら&彼女らが、様々なことを掲示板に投稿して来
る。それを読んでいるだけで、私にとって勉強になっ
ているのは事実である。恐らく多くの方々のお役に立
てているのではないかと推測する。これはインターネ
ットの最大のメリットだ。

 ちなみにボート協会HPで付けているティーカップ社
の掲示板の利用料金は、月200円という安さである
(無料の物もある)。最近auの携帯にも対応してくれ
た。


2002年
(平成14年)
3月12日(火)

渡良瀬川


 ちなみに『わたらせがわ』と読む。携帯電話で漢字変
換しても出て来ない。森高千里の『渡良瀬橋』という歌
は、この名前を地図で発見して作られたそうだ。ちなみ
に『渡良瀬橋』という橋は実在せず、森高千里も実際
に渡良瀬川へ来た訳では無くて、イメージで作られた
歌だそうだ。それにしても 『わたらせ』 というのは何
とも奥ゆかしい響きだと思うのは、私だけだろうか?

 ここの所、毎日のように佐野の船津川艇庫へ行って
いる。腰の状態が万全では無いので、夕方5時頃に
は工場での作業を切り上げているのだが、それから
道具を車に積んで船津川艇庫へ行って、ナックル艇
という練習用の艇を直している。自分の腰も治らない
うちに艇を直さねばならないというのは、栃木県貧乏
ボート協会の事務局をしている貧乏暇無しカネゴンな
らではの業だ。ちょっとした修理のために製造会社の
人間を呼んでいては出張料金だけでも大変なので、
自分で修理出来るものは直さねばならない。会長は
住宅会社の社長さんで、他は皆 学校の先生。当然 
艇修理は木工屋である私の仕事になる。来月後半に
は使用を始めるので、それまでには直しておかねば
ならない。もちろん、ボランティアである。移動の際に
手をかける棒が外れてしまっているので、2液性のエ
ポキシを塗ってから、ドリルで穴を開けてボルトで固
定している。

 冷静に考えると どうも私は損な役回りになってい
るような気がしてならないのだが、誰かがそういう役
を引き受けねば世の中は回らないので、まあ仕方無
いのであろう。ボート部の後輩達が稼ぎ出したら、きっ
と毎日交代で私にご飯を奢ってくれるハズだから、そ
の時を待つことにしよう。・・・永久に来ないかな?


 渡良瀬川は現在は水門を上げてしまっているので
水量は微々たるものだが、農繁期になると水門が閉
まって水が貯まりボートが漕げるようになる。高校の
ボート部の練習で初めて渡良瀬川へ行った時、先輩
から

『台風の時にはこの土手ギリギリまで
 水が来るんだゾ!』

と教えていただいた時にはビックリした。ちなみに台
風が来た時には皆で集まって土手際に置いてある
ナックル艇を移動するのが常なのだが、最も水量が
上がって危険だったのは土手の高さの上限から1m
という時だった。私が高校2年の時だったと思う。
この時はマジでびびった。やはり自然の力は脅威だ。

 先日のNHKのテレビを見てから、立松和平著の
『毒』(東京書籍)を読んでいる。寝際にチョビチョビと
読み進めているのだが、現在 ちょうど川俣事件のと
ころだ。

 艇修理の合間に、気分転換に艇庫を出て渡良瀬川
の土手を歩く。以前は水面を見ながら後輩の佐野高
校クルーが漕いでいる姿を思い出したりしていたが、
足尾銅山鉱毒事件のことを知ってからは、

『ここで渡良瀬川が氾濫して、この地域一帯が鉱毒
  を浴びてしまった・・・』

と思うようになった。この地を田中正造が歩いたの
かとイメージしたりもする。田中正造の墓が渡良瀬
川のすぐそばのお寺にあることも、最近初めて知っ
た。


2002年
(平成14年)
3月11日(月)

大と小


 小学校の時の担任の先生は毎日の様にいろんな諺や
格言を教えてくださった。その中で最も印象に残っている
ものは、

『大きくても牛尾になるなかれ、
  小さくても鶏頭になれ。』

である。

 現在私は1人で仕事をしているし、所属している栃木県
ボート協会も地元消防団も、組織としては非常に小さい。
故に皆で知恵を出し合って資金不足に対処している。ま
た小さい組織故、事が起こった時の対処は速い・・・と思
う。自分ではよくワカランのだが、周囲からは評価いただ
いているから。


 バブル華やかなりし頃、大量生産・大量消費の時代に
は、大きいことが良いとされていた。「儲かる時代」は、
その大きさのメリットを活かして利益も大きかった。しか
し大きい故に機敏な対処が出来なかった。現在 大企
業でさえもバタバタと倒産しているが、倒産してから分
かるのがその巨額な負債金額だ。ウン千億というレベ
ルでトテツモナイ。

 組織がデカイと利益もデカイが負債もデカイ。大きい組
織で利益が出るのがいちばんイイ訳だが、それには強
力なリーダーシップを持った、才能ある社長が必要だと
思う。トヨタの奥田会長然り、ソニーの出井会長然り。

 ダイエーが現在のような巨額負債を抱えてしまったの
は、『売り上げ優先主義』『土地本位制』の2つが大きな
要因だと思う。土地をベースにした借り入れでどんどん
と店舗拡大さえしていけば、売り上げだけは増える。
極端な話、赤字の金額で販売していても数さえ稼げれば
売り上げ金額だけは増えるのである。

 しかしダイエーがまずかったと思うのは、店舗拡大を
優先する余りに赤字店舗の閉鎖もしなかったことと(現
在やっている)、しっかりとした本業での純利益の確保
の前に、グループ企業の拡大に走ったことだと思う。

 電気量販業界では、ヤマダ電機がコジマ電気を抜いて
売り上げ高日本一を達成したらしい。そして赤字店舗は
閉鎖していると聞いている。近くのラーメン屋さんの娘
さんがヤマダ電機の店員さんなので、話が聞ける。端か
ら見た限りのやり方は、ヤマダ電機の方が健全に思える
が、内情は知らない。