・・・というよりカネゴンの独り言と愚痴のページ

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2002年
(平成14年)
3月31日(日)

腰痛対策


 2月後半に腰を痛めてから様子を見ながらの仕事で
あるが、一昨日またもかなり痛くなった。サイザーと
いう機械に丸1日向かっていたせいである。明らかに
機械の低さが原因だ。

 とは言っても機械を高くするのは不可能。振動だら
けになってしまって、製品はガタガタだ。また私の背
を低くするのは不可能。

 丸椅子に腰掛けてしまうと、今度は高さが低過ぎて
腕が痛くなる。そんでもっていろいろ考えて、丸椅子
の下に20cmの台を入れて座ってみると、ちょうどそ
の時の私の背の高さが160cm相当になることが分
かった。その状態で昨日は半日ふち貼り機で作業し
ていたが、腰の痛さがひどくなることはなかった。

 高い椅子に座るというのは、立っているのと座って
いるのと中間のような感じになるが、腰への負担は
少ないようだ。これでしばらく様子を見てみようと思う。


2002年
(平成14年)
3月30日(土)

ほんまもん最終回


 ナンダカ番組の後半からは余り見るのが楽しみでは
無かった。・・・だけど見てはいた。原因を探ってみると、
庵主さまと一路さんが出なくなってからだなあ、と思っ
た。ナントナク奥ゆかしさという感じが番組から無くなっ
ていたのだ。

 木葉が常に前進していく気持ちも分かるが、ちょっと
それが急過ぎて見ている方も疲れた。インターネット
での紹介によって、山の中のお店に急にお客が押し寄
せて来る、といった点は余りにも不自然だ。

 このシリーズ共通の『女性の自立』というテーマの
追求は、なかなか難しいと思う。

 やっぱり『ちゅらさん』は傑作だったナ。


2002年
(平成14年)
3月29日(金)

生活のリズム


 現在朝4時に起床している。ナンデこんなにもトンデ
モナク早い時間かというと、一応は来月から始まる消
防団の操法大会の練習に備えてである。練習は朝の
5時30分からなのだが、水出し操法のために水槽を
用意して水を貯めておかねばならない。そのためには
自宅を朝5時には出ねばならないので、朝4時起床な
のだ。

 ナンデ1時間早い時間なのかというと、これも消防団
10年目になる経験によるもので、起床してすぐに出て
行くと危険だからだ。まず頭と体が全然起きていない。
30分はボケーっとしているから、その状態で車を運転
すると非常に危険だ。そして内臓が働き出さないと、ト
イレを済ませることが出来ない。その時間に1時間は
必要なのである。トイレを済まさずに出て行ってしまうと、
グラウンドで練習開始頃に腹が痛くなって大変なのだ。

 木工所12年目の経験から行くと、肉体労働者は最
低6時間は睡眠時間をとらないと駄目である。これより
少なくなると、どうしても疲労が蓄積されてしまうようだ。
忙しい時の短期間(1週間〜2週間)ならば、ギリギリ
3時間睡眠でも乗り切れるが、本当にこれはツライ。工
場内での製造業なので、コンクリートの床の上に立ちっ
放し。これだけで足腰に負担が来るが、作業姿勢は常
に前かがみの状態。これで腰の疲労はかなりのものな
のだ。

 『朝4時起床、6時間睡眠』という条件から逆算してい
くと、必然的に夜は10時には就寝しなければならない。
よってまだ消防の練習が始まっていない現在の生活パ
ターンは以下のようなものだ。

午前4時    起床。直後30分間は寝ぼけているので、
          部屋で音楽を聴いている。

午前4時30分 着替え開始。布団片付け。

午前5時    事務所に入って書類整理&メールの返
          信作業。

午前6時30分 新聞を読む。

午前7時    工場に入る。

午後7時    工場作業終了。 

午後7時30分 夕食 

午後9時    入浴

午後10時   就寝

 
 もうひとつ、これはボートの経験にもよるものだが、
人間の頭と体がフル回転に入れるのは、起床してから
3時間後からではないかと思う。仕事をしていてもナン
トナクそんな感じがしている。だから書類の整理をして
しまってから工場に入るようにしている。もちろん見積
もりやメールの返信が多い時には、工場に入る時間は
遅くなる。

 またどうも書類の整理は朝やってしまった方が効率的
な気がしている。以前は夜やっていたのだが、工場作
業で体が疲労している状態では、どうしても集中力が落
ちる。朝の方がミスが少ないようだ。ただそれも起床後
1時間で書類の整理を始めると、これもまたヤバイ。完
全にまだ頭も起きていないので、つまらんミスが出る。
一昨日も書類の混同が起きてしまった。よってこの日記
を書くのを朝イチの作業にするようになった。いろいろ考
えながらタイピングで指を動かしていると、だんだん頭が
起きて来る。明白に分かるのは文を打っているうちに、
ミスタイプがだんだんと少なくなって来ることだ。ミスタイ
プがほぼ無くなった時点で、作業に入れる時間と判断し
ている。

 この日記を書く(入力する?)時間も、以前は朝だった
り昼だったり深夜だったりとバラバラだったが、朝書くよ
うになったのは腰痛で思うように動けなくなった時か?

 朝7時〜夜7時の工場作業は随分長いように感じる
かもしれないが、途中もちろん食事と昼寝の時間もあ
るし、必要な場合には銀行や郵便局に出掛ける時間も
あるから、ロスだらけだ。また営業が来たり電話がか
かって来たりすると仕事の手を止めねばならない。よ
って正味は大した作業はこなしていないのである。

 ただナントナクこの時間がいいのではないかと思うの
は、機械が回ると非常にヤカマシイからである。近所迷
惑であることは間違い無い。『仕事だから仕方無い。』
と許容されるのがこの朝食時間から夕食時間にかけて
の時間では無いだろうか?という気がしている。

 私は肉体労働者なので、昼間に工場に入れる時間を
最大限にとれるように重視している。やっぱり朝型の生
活リズムの方が効率的なようである。


2002年
(平成14年)
3月28日(木)

ツジモト先生もさようなら・・・。


 ツジモト先生は野党の先頭に立って自民党の疑惑を
追求して来ただけに、実に目立った。まだ若い女性議
員ということもあるし、
「ソーリ、ソーリ、ソーリー!!」
の連呼でも有名になったが、その追及ぶりはテレビを
代表とするメディア受けした。社民党の中でも期待の星
であったに違い無い。

 しかし週刊誌に疑惑が報じられた後の対応は、お粗
末極まりなかった。読売新聞の記事に代表されるよう
に(恐らく各紙共通だろうが)、
「記者会見できちんと語らず、自分の味方がいそうな
 テレビ番組に出演して国民を味方につけようとした。」
その姿勢が、党内部からも反発を食ってしまった。土井
たか子党首を始めとする党内部からの支持が無くなっ
た時点で、辞職せねばならない事態になった事は明白
であろう。

 詳細な事情は良く知らないが、あの辞職の記者会見
はヒドイもんだ。個人的にはムネオさんよりもヒドかった
ような気がする。週刊誌によるとムネオさんの涙は得意
技だったらしいが、ツジモトさんは終始ニコニコしていて、
反省の色もかけらも感じられなかった。
「自分は悪くないのに、党の事情で辞めさせられる。
 何でワタシが辞職せねばならんの?」
といった感がありありだった。

 格好だけでもいいからカメラに向かって
「アイム・ソーリー!!」
と深々と頭を下げて、国民に対して謝罪して欲しかった
ものである。

 「I'm 総理.」 は限られた人しか言えない。しかし
 「I'm sorry.」 は誰でも言える。

 これが言えないとは、悲しいもんだ。


2002年
(平成14年)
3月27日(水)

電話のマナーその?


 基本的に私は電話をかけるのも受けるのもキライな
のだが、当方のボート協会のTしぇんしぇいはメール
もやらないしFAXも学校なので、電話をかけねばな
らない。学校への電話だと授業中だったり生徒指導だ
ったりと不安定なので、やはりご自宅への電話。それ
もお休みになるのが非常に早いので、かける時間は
大体 夜の7時頃。

 ところで大事な用件や目上の方に連絡する時には、
固定電話からかけるべきだと思う。以前も書いたよう
な気がするが、携帯からかけて電波の状態が不安定
でブチっと切れたりしてしまっては失礼極まりない。

 私もなるべく大事な用件は事務所の電話からかける
ようにしているが、急ぎの用件を伝えるためには外出
先から、どうしても携帯からかけねばならない時は多
々ある。そんな時はまずアンテナが3本立っているか
どうか確認して、電波が安定な状態かどうかを確認。
そしてつながってから最初に、

「スミマセン 出先からのため携帯からかけているの
 ですが、明瞭に聞こえるでしょうか?」

と確認を入れるようにしている。もちろん用件を簡潔
に伝えるのは言うまでも無い。


2002年
(平成14年)
3月26日(火)

恩師


 先日地元の下野新聞の教員異動の欄をふと見ていた
ら・・・。

「アレ?
 Mしぇんしぇい〜!!」

 そう、佐野高校の3年生の時に担任だったM先生が、
今度の4月から某高校の校長になったのだ。それにし
ても懐かしい。

 ナゼ私がわざわざここにM先生のことを書くかという
と、日立へ勤めてから先生になったという、極めて特異
な経歴をお持ちの先生だからだ。それ故に考え方とか
が他の先生よりは一般社会人に近く、それが高校時代
の私にはとても新鮮であった。

 特に思い出深いのは大学の合格発表の時。私が合格
したのは第一志望の学科では無く、浪人してもう一度受
験をやり直すつもりでいた。佐野高校へ行った時、担任
のM先生は今まさに帰宅しようと、自動車のドアノブに
手をかけていたところだったのである。報告に行った私
達を見て職員室へ戻って来て下さった。

「金子よ、合格したんだから行った方が得だぞ。
 来年の合格の保証は無いぞ。」

 この日の夜のうちに、私はこの合格した学科に進学す
ることに決めた。

 この年は共通一次・5教科7科目で最も国立が入り安
かったのだが、この翌年から科目が減って2校受験可能
とかなって訳ワカンナクなった。

 結果的にこのG大学へ進学したことによって実家へ戻
って来ることになり(仕事は苦労の連続であるが)、それ
以上に栃木のボートと縁がずっと続き、現在 事務局と
なった。

 この時に予備校または他の大学を選択していたら、現
在 自分はここにいないことは事実である。恐らく実家に
戻って来ることは無かったハズだ。

 M先生の赴任高校はすぐ近くなのだが、とりあえずは
お手紙を出しておこうと思う。間違い無く私の人生の恩師
である。



2002年
(平成14年)
3月25日(月)

ノーサイド


 ユーミンのバラード・ベストである
「yuming sweet, bitter sweet」
という2枚組CDをレンタルして来たが、なかなかイイ。
新譜アルバムを2泊3日レンタルで返却するのは忙し
いので、1週間レンタルになるまで待つのがカネゴン
流である。

 私は特にユーミン・ファンという訳では無いのだが、
このアルバムを聞く限りバラードに関してはとても
好きな曲ばかりだということが分かる。

 ラグビーの試合終了のことを「ノーサイド」と呼ぶ。
それまで敵・味方に分かれて(サイドに分かれて)試
合していたのが、試合終了と共に敵・味方が無くなり
ますよ、という意味だ。だから「ノーサイド」。ラグビー
というのは正に格闘技であり、試合途中には乱闘シ
ーンもある。しかし試合終了と共に両者が握手を交わ
して競技場を去るシーンは、毎回見ても実に美しい。

 「ノーサイド」の精神は素晴らしい。

 ちなみにボートではスタート・レーンにつけた時に、
両隣のクルーに
『お願いします!』
と頭を下げ、レース終了したらお互いに
『ありがとうございました!』
と声をかけるのが暗黙のルールになっている。特に
これは競漕規定に載っていることでは無い。しかし
実力差がどんなに存在しても、お互いに対して礼儀を
尽くし、お互いの健闘を称え合う。これが「オアズマン・
シップ」 だ。

 やはりイギリスのスポーツは好きだ。

 このアルバムに入っているユーミンの「ノーサイド」
という曲は名曲である。ラグビーの試合終了の瞬間の
様々な情景と思いを、ひとつの曲に収めた。これほど
ジンと来る歌詞も少ないのだが、中でもサビの部分の

『何をゴールに決めて、何を犠牲にしたの?』

の歌詞は秀逸だ。全てのスポーツ選手に対するメッセ
ージであろう。

 私は高校3年の時の最後の試合であるボートの国体
予選関東ブロック大会の決勝で敗れた。レース終了後
にいつの間にかボロボロと涙がこぼれた。

 その後 秋のラグビーの県大会決勝で、目の前で佐
野高校が作新学院に敗れ、花園大会への連続出場が
断たれた。目の前のグラウンドで、ラグビー部員がボロ
ボロと涙をこぼしていた。

 「ノーサイド」を聞く度、この2つの思い出が浮かんで
来る。


2002年
(平成14年)
3月24日(日)

ラーメン考

 
 昨日の続きのラーメン話。佐野ラーメンを食して育
った私が、他の地でラーメンを食して思い出に残った
ものは少ない。ハッキリ言って現在行列で有名なTさ
んの味が当然と思っている。だから他のお店に行くと
ガッカリすることの方が多い。しかしアレ?と思ったの
は、先日書いた特集番組で『次郎』(二郎だったかな
?)というお店だ。

 私が高校生の時の入試休み(部活も出来ない)の時
に、大学見物に東京都内をグルグル回っていたのだが、
KO大学のそばのラーメン屋さんに寄った。後で知っ
たのだがそのお店が『次郎』さんであった。現在都内に
いくつかお店があると思う。

 学生の話によると「癖になるラーメン」として有名だ
ったのだが、何気に頼んで出て来たラーメンには本当
にタマゲタ! 麺が全く見えない程に高々と、炒めた
モヤシと野菜が盛られ、さらにその上にチャーシュー
が乗っている。中央にはニンニクとショウガとおぼし
きトッピング。味は濃い目でスープはとんこつと醤油
の中間といった感じだが、不思議とクドサは感じなか
った。価格は飛び抜けて高いわけでも無く、これは確
かに学生の食を満たす「癖になるラーメン」だと思った。

 佐野ラーメンの正反対のラーメンとして、非常に思
い出深いラーメンである。時間があればまた行ってみ
たいのだが、なかなか東京へも出掛けることが出来な
い。


2002年
(平成14年)
3月23日(土)

取材考


 一昨日テレビでラーメン特集をやっていた。毎度の
如くテレビ東京・・・ではなくて、今回は初めての特
集と思われる日本テレビである。それにしても夜7時
から11時までの放映とは大変な長さで、それも『全
国ベスト99店』という仰々しい企画であった。

 しかしそのベスト店の選出は実に疑問。個人の嗜好
の問題が大きい『味』に順位をつけるということ自体が
そもそも私はキライなのだが、

『関東近辺で葉書きを配り、インターネットでも投票を
  受け付けた。』

結果の集計表での順位付けとなれば、東京の店が圧
倒的に多くなるに決まっている。・・・案の上見ていて
その通りになっていて白けてきたが、それだったら

『東京都内の店ベスト??』

にした方が良かったハズだ。全国のお店の方々に失礼
である。それに加えて芸能人が群れをなして直接店を
訪れる企画なんてのもヒドイ。アポ有りか無しかワカラン
が、ただでさえ混み合う店内に、直接食する芸能人の
他にディレクターやらアナウンサーやらカメラマンやらが
ドサドサと入り込んでいけば、邪魔でしようがない。一
般のお客様に迷惑極まり無い。番組最後のベスト1の
新宿のお店もアポ無しでの訪問だったようだが、ご主
人はしばらくきょとんとしていた。ホントに心の底から嬉
しかっただろうか?

 以前書いたかもしれないが、現在は行列で有名な佐
野市内のTさんというお店が週刊ポストの取材を受けた
時に、ご主人も奥さんも全く喋らないので私が取材を受
けてしまった。この時合計3人で取材に来ていたのだが、
極めて邪魔であった。

 どうにもマナー知らずのメディアの横暴さを感じるので
ある。新聞社やラジオ局は事前の段取りとかはしっかり
しているのだが、どうにもテレビ局はひどいと思う。これ
は栃木県ボート協会事務局という立場で、メディアとの
対応をしていて実感していることである。去年の今頃に
書いたかもしれないが、某(とは言っても日本唯一であ
るが)国民放送テレビ局の谷中での取材に付き合わさ
れたが、事前に何の打ち合わせも無く待たされ続けた挙
句、わずか30分の収録のために丸1日近く潰された。

『一般人は取材に協力して当たり前』

という感覚を持っているようである。


2002年
(平成14年)
3月22日(金)

カトー氏の教訓


 結局カトー氏も離党となり、議員辞職にまでなるか
どうかはワカランのだが、それにしてもこんな議員個
人のゴタゴタで国会が空回りしているのは情けない限
りである。審議すべきことは山ほどあるハズであるが。

 カトー氏に関しては、例の秘書について
『早くあの秘書をクビにした方がイイ。』
とコワモテ・ノナカ氏からも常に忠告を受けていたら
しい。ナガタ・チョーでは相当に悪い噂が広まってい
たようだ。しかしそんな忠告を実行することなく、結局
はカトー氏自身に責任問題が及んでしまった。マア
当然のことであろうと思う。

 どうも端から見ていて、カトー氏は優柔不断で判断
が遅い気がする。マイナスとしかならない存在の人間
を、切ることが出来なかった。

 人に優しくするのは大切なことなのであるが、上に
立つ立場の人間は時には厳しく人を切ることも必要だ
と思う。例えばソニーの現・会長の出井氏は、社長就
任早々に関連のアメリカ映画関係の会社のトップの首
をすぐに入れ替えて話題となった。

 もうひとつ これはナントナクであるが、
『同じミスを3回するヤツはダメ。』
という感覚を私は持っている。仕事でもプライベート
でも同様なのだが、1回目のミスは何も知らなかった
のだから仕方無い。とりあえずそのミスの原因を指摘
してやる。2回目に同じミスをしたら、あの時ちゃんと
言っただろう?とボヤきつつも、多目に見る。しかし
3回目に同じことをしたら、これはもう学習能力も自分
を直そうとする努力もしていないと判断し、仕事であ
れば配置転換するなり、辞めてもらうなりした方が良
い。


 また人間の能力を大まかに分けた場合

@人に言われなくても実行する。
 (状況判断が出来る)

A人に言われたことだけは実行する。
 (教科書的なことは出来る)

B人に言われたことも実行出来ない。
 (同じミスを繰り返す)

という3ランクに分けている。仕事でもプライベート
でもボランティアでも、相手が上記のどれに位置す
るかによって依頼する内容を変える。

@には重要な仕事を任せることが出来る。

Aにはメンドクサイのだが詳細な指示を与える。

Bには当たり前だが何も頼まない。


2002年
(平成14年)
3月21日(木)

D-58ES スペシャルバージョン




 昨日はトッテモ忙しかった。今度 音元出版から出る
長岡先生の記念本に広告を出すことに決めていたのだ
が、一昨日 担当者様から
『原稿まだですかいな?』
とのメールいただき、アラもうそんな日か?と思ってタ
マゲタ。そういや20日頃の締切りだった気がする。
下駄箱のパーツのカットとスピーカーの写真撮影と広
告原稿作成、そしてHPのページ作りでヘトヘト。

 ・・・そしたら今日の真夜中3時に火災出動である。
地元の吉水交番付近で倉庫が全焼。恐らく放火であ
ろう。明け方5時に帰宅して、今そのまんまパソコンに
向かっている。

 さて今回の『D-58ES スペシャルバージョン』は、
設計は長岡先生のオリジナルのまんまである。では
ナゼに『スペシャル』かというと、この21mm厚フィン
ランドバーチ合板が当方工場のプレスによる『特製』
だからである。商社が21mmの扱いを止めてしまっ
たのだ。この連絡を受けたのが昨年の10月頃で、そ
の時には非常に頭を抱えた。

 聞くと24mm厚はあるという。しかし厚みが増えた
分 設計をやり直さねばならないのだが、D-37Kと
違ってD-58ESがあれ以上大きくなってはマズイ。
特に奥行きが増えてしまってはマズイし、重さも70
Kgになってしまうハズ。といって厚みを減らすという
方法は全く考えなかった。D-37Kと同じ18mm厚
では、お客様が納得するハズが無い。

 結局『無いものは自分で作るしかない』という毎度
の判断で、ウチの工場でプレス圧着して作ることにし
た。故に『特製』フィンランドバーチ合板である。材料
単価も上がるし、プレスの手間もかなりのもんである
が、結果的にはオリジナルのままの設計・制作を実
現することになった。正確に言うと板の厚みは21.5
mmくらいある。

 毎度の如く写真撮影は大変であった。外で撮ったり
工場の中で撮ったりと、合計で100枚は撮っただろ
うか?今回採用した写真は工場の南側シャッターの
前で、窓からの自然光を入れてライトを照射して明る
さを調整したものである。ピーカン天気の外で撮った
写真は真っ白になってしまってフィンランドバーチの木
目の美しさが出ず、それ以上に開口部に影が出てし
まってボツであった。

 もうひとつの苦労はトップページのレイアウト。D-
37Kよりも横幅があり、文字関係を全て調整する
羽目になった。私の場合A4縦方向でプリントアウト
した時に、横幅がハミ出さないようにレイアウトして
いるためである。

 このスピーカーの詳細はコチラ