ハンドルネーム: カネゴン 
居住地: 栃木県安蘇郡田沼町
身長: 178cm
体重: 86kg 
生年月日: 昭和42年11月
血液型: A型
性格: せっかち
仕事: カネコ木工 (都営住宅用下駄箱製作)
ボランティア: 栃木県ボート協会事務局、田沼町消防団第2分団団員
趣味: スポーツ観戦、音楽鑑賞
好きな食べ物:

カレーライス、ラーメン、たこ焼き、お好み焼き、焼きそば 
(佐野ラーメンは美味しい!)
嫌いな食べ物: かぼちゃ 
好きな言葉: 敬天愛人 (西郷隆盛の言葉)
好きな場所: 京都 
嫌いな人: 自分勝手な人
尊敬する企業: トヨタ自動車株式会社
困っている事:
身に付けるものがなかなか近くのお店に無いこと




月日 年齢 個人歴 スポーツ歴 オーディオ歴
2000年
(平成12年)
10月 32歳 オリジナルバックロー
ドホーンSP
KD−S10000
完成。

発売予価は2本で48
万円というトンデモス
ピーカー。多分売れな
いと思うけど・・・。
KD−100と違って、
やりたいことをやってい
たらこうなってしまった。
2000年
(平成12年)
10月 32歳 カネコ木工のホーム
ページ
 念願の検索
エンジン:Yahoo!
登録達成

HPアップ以来1年と2
ヶ月に渡って申請を続
けてきただけに、感謝・
感激・雨アラレ!
内容的には大幅な刷新
は無かったのだけど、
やっぱり独自ドメイン
取得のおかげだろうか?

2000年
(平成12年)
 9月 32歳 ボート競技
富山国体に成年男子舵手
付きフォアの監督として出
場。

初めての佐野高校ボート部
OBクルー(漕手は下記 蔵田
+中央大学3人)結成で、
なおかつ強力クルー
準決勝進出を期待したが、
<二次予選落ち>
2000年
(平成12年)
 2月 32歳 小学館 『ラピタ』
3月号発売
カネコ木工のホーム
ページ
 がオーディオ
分野の代表HPとして
掲載される
1999年
(平成11年)
12月 32歳 カネコ木工のホーム
ページ
小学館 
『ラピタ』誌の
「ラピタなホーム
ページベスト100」
に選ばれて取材を
受ける
1999年
(平成11年)
10月 31歳 KD−100がFMfan
誌ダイナミックテスト
に掲載される
1999年
(平成11年)
 9月 31歳 長岡鉄男氏邸
『方舟』初訪問
FMfan誌
ダイナミックテスト
参加
1999年
(平成11年)
 8月 31歳 カネコ木工のホーム
 ページ

アップ

KD−100同時発表
1999年
(平成11年)
 7月 31歳 オリジナルバックロ
ードホーンスピーカ
ーKD−100設計
製作完了

・インターネットで発表
・大学生の後輩に譲る
 (バイト代代わり)
という2つの目的が大
前提であった。結果と
して
「奥行きを30cm以下
 にする」
という目標を立てた。
これだと本棚と並べて
置けるから。・・・しかし
設計は難航に難航を
重ねた。なかなか直
方体にまとまらない。
しかし結果として出て
きた音には大満足。

いつも思うが、バック
ロードホーンスピー
カーの設計といのは
パズルみたいなもんで
ある。コストでも寸法で
もいいから、何かひとつ
決めておかないとまとま
らない。
1999年
(平成11年)
 6月 31歳 栃木県ボート協会の
 ホームページ
  
アップ


直に検索エンジン「ヤフー」

に登録される

1998年
(平成10年)
 9月 30歳 ボート競技
神奈川国体に成年男子舵
付きフォアの監督として
場。 
自治医科大学クルー
<敗者復活落ち>
1998年
(平成10年)
 7月
〜8月
30歳 CW型オリジナル
16cmバックロード
ホーンSP製作

KD−100の直接の
原型となったもので、
「ステレオ」誌の工作
特集号に掲載してもら
った。
ユニットはFE168SS。
しばらく私のリファレンス。
1996年
(平成8年)
 6月 28歳 高校同期の蔵田和彦君が
アトランタオリンピック出場
を決める
栃木県佐野市にて壮行会
開催


事務局就任早々の大仕事!
1996年
(平成8年)
 5月 28歳 栃木県ボート協会
事務局就任

T先生から電話で打診が
あった時からアレコレ理由
をつけて断ろうと思ってい
たが、いざ理事長のところ
に集まってみると誰も反対
してくれず、自分の意見を
述べるまでも無く決まって
しまった。ウ〜ム。
ただ自分が事務局に就任
していなかったら、『栃木県
ボート協会のホームページ』
は絶対に生まれなかったと
思う。

1996年
(平成8年)
点音源型オリジナル
バックロードホーン
スピーカー製作


KD-100&S10000
の原型となった記念す
べきスピーカー(今は
処分してしまって無い)。
MDF材で製作して仕上
げも無し。
オーディオコンポは火事
の後売り払ってしまって
無かったので、ディスク
マンのヘッドフォン端子
からつないで鳴らしてい
た。
取り付けたユニットは
6N−FE108スーパー。
小学館「ラピタ」の記事
にもあった通り、火事の
時に奇跡的に焼け残った
ユニット。
これが無ければ再び
スピーカーを製作する
ことは無かったであろう。
1995年
(平成7年)
 4月 27歳 『カネコ木工』
として木工業を再開する
1994年
(平成6年)
 9月 26歳 ボート競技
愛知国体に成年男子舵手
付きフォアの3番漕手とし
て出場

念願の国体出場であったが
工場火災の後全く練習が
出来なくなってしまい、
<敗者復活落ち>
1994年
(平成6年)
 8月8日
26歳 工場全焼
給燻q木工所閉鎖


午後6時13分、隣接する
工務店より出火
翌朝8時まで燃え続けた
モノスゴイ火事
私は消防団員として、
自分で消防車をとりに
行った
以後丸5年は毎日が
金策の苦しい日々

今後2度とこんな不幸は
起きて欲しくないと祈る
のみ
1993年
(平成5年)
 4月 25歳 田沼町消防団第2分団
入団
1993年
(平成5年)
 1月
〜3月
25歳 長岡BH
スーパースワン製作

知ってる人は知ってる
長岡先生の最高傑作
といわれるスピーカー。
10cm一発とは思えぬ
低音の量感にビックリ!
しかしセッティングが決
まらず、このことがきっ
かけで再びオリジナルの
設計に乗り出す。
1990年
(平成2年)
10月 22歳 佐野高校ボート部OB会
『わたらせ会』
発会
第1回目の総会を開催
以後 総会は毎年開く
1990年
(平成2年)
 8月 22歳 ボート競技
国体予選関東ブロック
大会に出場
(成年男子舵手無し
  ペアー)
1990年
(平成2年)
 4月
22歳
家業〔給燻q木工所〕に
就く
(大学院入学は辞退)
1990年
(平成2年)
 3月
22歳
国立群馬大学工学部
繊維高分子工学科
(現・生物化学工学科)
卒業
1989年
(平成元年)
 9月
21歳
国立群馬大学工学部
大学院修士課程
(プロセス基礎講座)
合格

1989年
(平成元年)
 8月
21歳
ボート競技
国体予選関東ブロック
大会に出場
(成年男子舵手無し
  ペアー)
(4年生)

1988年
(昭和63年)
 4月〜 20歳 母校・佐野高校ボート部の
コーチに就く
以後 指導に当たる
1988年
(昭和63年)
 8月 19歳 オリジナルSP
CW型バックロード
ホーン製作

ユニットはFE106Σ
×2本。
デザイン優先と部屋の
悪さで余り音は良くな
かった。
1987年
(昭和62年)
 6月 19歳 ボート競技
成年男子ナックルフォアで
栃木県代表を目指すも、
自治医科大学に敗れる。
(2年生)
1986年
(昭和61年)
 9月 18歳 群馬大学空手部
(体育会) 
退部
(1年生)
1986年
(昭和61年)
 4月 18歳 群馬大学空手部
(体育会)
 入部
(1年生)

1986年
(昭和61年)
 4月
18歳
国立群馬大学工学部
繊維高分子工学科
(現・生物化学工学科)
入学
1986年
(昭和61年)
 3月 18歳 オリジナルSP
スパイラル型バック
ロードホーン製作

ユニットはFP−163.
大学生活を始めるに
あたって、4帖半に置
けるように薄型設計。
ホーン長が1.9mしか
無かったので、低音は
あまり出なかった。
1986年
(昭和61年)
 3月
18歳
栃木県立佐野高等学校
普通科 
卒業

1985年
(昭和60年)
 8月 17歳 ボート競技
国体予選関東ブロック
大会に出場
(少年男子ナックル
 フォア)
<決勝にて敗退>
(3年生)

高校におけるボート終了
1985年
(昭和60年)
 8月 17歳 ボート競技
全国高校総体(石川
インターハイ)に
シェル
フォアの3番
漕手として
出場
<敗者復活落ち>
(3年生)
1985年
(昭和60年)
 6月 17歳 ボート競技
高校・関東大会に
シェル
フォアの3番
漕手として
出場
<二次予選落ち>
(3年生)
1985年
(昭和60年)
 2月 17歳 長岡SP:D−3U
製作

自分で製作した初めて
のバックロードホーン!
本当に製作は大変だっ
た。
1984年
(昭和59年)
 9月 16歳 ボート競技
高校生関東新人大会に
出場
ナックルフォアにて優勝
(2年生)
1984年
(昭和59年)
 8月 16歳 ボート競技
国体予選関東ブロック
大会に出場
(少年男子ナックル
 フォア)
<敗者復活落ち>
(2年生)
1984年
(昭和59年)
 6月 16歳 ボート競技
高校・関東大会に
ナックル
フォアのバウ
漕手として
出場
<敗者復活落ち>
(2年生)
1984年
(昭和59年)
 4月 16歳 部活復帰
(2年生)
1984年
(昭和59年)
 2月 16歳 コンポ機器購入
長岡SP:DB−8
製作
1983年
(昭和58年)
 9月〜 膝の病気〔オスグッド病〕
のため、ボートを降りる
1983年
(昭和58年)
 8月 15歳 ボート競技
国体予選関東ブロック
大会に出場
(少年男子ナックル
 フォア)
<敗者復活落ち>
(1年生)
1983年
(昭和58年)
 6月 15歳 ボート競技
高校・関東大会に
ナックル
フォアの3番
漕手として
出場
<敗者復活落ち>
(1年生)
1983年
(昭和58年)
 4月 15歳 県内唯一のボート部
入部(1年生)
1983年
(昭和58年)
 4月
15歳 栃木県立佐野高等学校
普通科 
入学
1983年
(昭和58年)
 3月
15歳
田沼町立東中学校
卒業
1982年
(昭和57年)
 7月 14歳 中学校最後の安佐
陸上競技大会に出場
するも、砲丸投げにて
3位に
終わり、目標の
県大会
出場ならず
(3年生)
1981年
(昭和56年)
初めてのスピーカー
を製作。
継ぎ足しだらけの
9mm合板で作った
スゴイモノ
(2年生)
1980年
(昭和55年)
陸上の専門競技を
長距離→高跳び→
投てき(砲丸投げ)へ
と変更
(1年生)
1980年
(昭和55年)
 4月 12歳 陸上競技部に入部
(最初の専門競技は
 長距離)
(1年生)
1980年
(昭和55年)
 4月
12歳
田沼町立東中学校
入学
1980年
(昭和55年)
 3月
12歳
田沼町立吉水小学校
卒業

1979年
(昭和54年)
12月  12歳 安佐地区駅伝大会に
出場
(6年生)
1979年
(昭和54年)
合唱にて安佐大会
出場(6年生)
1979年
(昭和54年)
  ブラスバンドにて
ユーフォニュームを
演奏(6年生)
1978年
(昭和53年)
ブラスバンドにて
バストロンボーンを
演奏(5年生)
1977年
(昭和52年)
ブラスバンドにて
バストロンボーンを
演奏(4年生)
1974年
(昭和49年)
 4月
 6歳
田沼町立吉水小学校
入学
1967年
(昭和42年)
11月
  栃木県安蘇郡田沼町に
生まれる